アパシーがーる。

 

――親友を置いて、一人で去る気持ちは、どんなものなのだろう。
  何もかもを棄て、後悔無く、この世を去る気持ち。
  最後の最期で親友と掛け替えない思い出を作り、今生を終わらせるのは、とても寂しいと思う。



「待って! ストップ! ダメ!!」

演出監督である部長の声で、我に返った。あたしは、何かセリフを間違えてしまったのだろうか。
演技中は役に入り込んでしまっているから、多少セリフが変わっていたとしても意味やニュアンスの違いは無いはず、だ。
終幕である、ジョバンニとカムパネルラの別れのシーン。重要なシーンで自分が間違えるはずは無い。多分。じゃあ、主役である新入生の子が間違えたのだろうか? と、改めて後輩の顔を見る。――なぜか、怯えた表情を、あたしに向けていた。

「名前、アンタよアンタ」
「えっ!? 台詞ミスりました!? ごめんなさい!」
「違う、そうじゃなくて、殺してる」

主役を。という言葉に、やってしまった、と思った。
本番が近付き、舞台を使用した通し稽古が何回も行われている中、何度も何度も稽古を止めてしまっているのは、自分自身のせいだった。
銀河鉄道の夜での主役は、あくまでジョバンニ少年だ。その親友で準主役があたしの演じるカムパネルラ。つまり、主役を立たせつつ、サポートしなければいけない。だというのに、あたしは何回もその主役を食ってしまい、そしていま止められたように主役を殺してしまっているのだ。
アーチャーに相談した時、食ってしまえばいいと言われた。それを部長に相談すれば、影響のある食い方をして相乗効果が生まれれば良い、と言われた。だから、あたしの演技に後輩が乗ってきたら、部長の求める相乗効果が生まれると思ったのだけれど……現実はうまく行かない。

「……ごめん。ちょっと、頭冷やしてくる」
「そうね、そうしましょ。舞台の使用時間も限られているし、えーっと、とりあえず20分休憩で。その後に終幕をアタマからやり直しましょうか」

まばらに返事をする演劇部の面々と会話を交わすこともせず、あたしは早々に外へ出る。曇の広がる曇天の空から雫は落ちず、静かな時間が流れていた。
こういう時は、あれだ。道場へ行こう。衣装のままだけど、まぁ、良いだろう。体を動かしてスッキリしてみよう。
もやもや、悶々、胸と脳みそが同時に黒く染まっていくなら、その黒い渦を晴らさなければ。
心は重いが体は軽い。足は意気揚々と道場の方へと向かうのだった。

「たのもーう!!」
「えっ……いや、ここお前の部活! じゃなくて、どうしたんだよ苗字。今は演劇部優先だろ?」
「ちょっとスッキリしなくてですね。部長、一本お願いします!」
「それ舞台衣装だろ? 良いのか?」
「破らなければセーフですよ!」

スパーリングや組手をするには防具を着用するのだが、休憩時間も限られてるしって事で、パンチンググローブだけ着用。他の部員は端に避けたのを確認して、一礼した。
始まりの声がする。部長は女のあたしに比べてタッパもあるしリーチもある。やっぱり、無理な相手に挑むことは目の前の目標だけ見据えれるからか、頭が空っぽになって、楽しい。
手も動く、足も動く。襲い来る拳の動きを目で追い、迫り来る脚を躱して体制を整えた。
――嗚呼、楽しい。
頭と心の黒い靄は、どこかに消えていった。



「お取り込み中のところすまないのだが、二年の苗字名前は居るだろうか?」

一通り汗をかき、スッキリした気持ちでスポーツドリンクを飲んでいれば、道場の入り口から聞き慣れた特徴的な低音の声。言わずもがなアーチャーだった。
彼はあたしの姿を見るなり溜め息を吐き、来い来いと手招きされたので近付く。そして、頭から全身に響くほどの激痛。

「っげ、拳骨は無いでしょうよ!? いきなり女の子にする!?」
「君は今演劇部の稽古中だろう。私にまで捜索依頼が来たのだが? 他人に迷惑をかけている気持ちはどうだ? 楽しいか?」
「ご、ごめんって……むしゃくしゃしてて。もう戻るから……」

相手をしてくれた部長に礼を言って、アーチャーに監視されながら道場を後にする。若干キレ気味なアーチャーの弓道着を見たのが久しぶり過ぎて、なんだか変な感じ。
じっと見られていることに対して訝しげに眉をひそめる彼は、何を勘違いしたのか、あたしが脱走を試みていると思ったらしい。鋭い釘を刺された。

「本当にむしゃくしゃしてただけだって」
「ほう……?」
「ほら、アーチャーは食ってもいいって言ってたじゃん? 次の公演の。でもさ、やっぱり入り込んじゃうとその考えもどっかいっちゃうみたいで、相手役を無くしてるというか、なんだろ、殺してるって言われた。だから、思うようにいかなくて、むしゃくしゃしてた」
「なるほど。私のアドバイスのせいだな。そこは謝罪しよう。すまない」
「アーチャーのせいじゃないよ。ちゃんと部長にも部員のみんなにも相談したもん。相乗効果が生まれるなら良いって、そう言われたんだけど……役になりすぎると駄目なんだにゃあ……」
「可愛くないぞ」
「知ってるわい」

むしゃくしゃの理由を話せば、自分に責があると言い出すのがこの幼馴染みの良いところでもある。だが、これは結局あたし個人の問題なので、本番までに行動を移すのはあたしなのだ。有能過ぎる幼馴染みの手助けを頼ってばかりでは、あたしも成長しないわけだし。
ん? この考えを思いつくだけで、あたしは成長しているのでは? ……なんて、馬鹿らしいと自分を叱責する。

「もう大丈夫なのかね?」
「んー、ちょっとみんなともう一回相談してくる。――あ、」
「どうした?」
「衣装汗臭くしちゃった! どうしよう! 怒られる!!」
「なんだ、そんな事か。休憩時間を超過しているんだ。素直に怒られてこい」
「そんな殺生な…!!」

なんだかんだと話しながら弓道場を通り過ぎて、舞台ホール入り口まで送ってくれる無自覚ドンファンに別れを告げ、怒られる覚悟を決めながら扉を開ければ、心配する一年生の顔と呆れる先輩たちの顔と、怒りを顕にする同級生の顔が目に入った。

「名前、スッキリできた?」
「はい! もう大丈夫です! ただ、ちょっと個人練習の時間を十分だけでも貰えれば嬉しいなぁって……」
「個人練習? どうして?」
「ジョバンニと友情を深めたいなぁ……なんて……」

あたしの言葉に、どういう事だと疑問符を浮かべる部員が大半の中、部長は賛成をしてくれた。
十分きっかり時間をもらい、ジョバンニ役の一年生と舞台へ上がる。

「あの……先輩? 私、どうしたら……」
「あ、違うの、何も心配すること無くて。えっと、カムパネルラに語りかけるシーンを演って欲しいなって」
「どこのですかね…?」
「どこでもいいよ。自信あるシーン。お願い」
「は、はあ……わかりました」

何がなんだかと演じだす一年生。去って行ったカムパネルラに語りかけ、現実に戻っていくジョバンニ。憂いと成長。――それは、あたしが去年演じていたジョバンニだった。

「……うん、ありがとう。あのね、それ、あたしのジョバンニだよ」
「え、でも、先輩を参考にしたらと思って……」
「参考にするのは全然構わないけど、あたしのジョバンニであって、それはあなたのジョバンニではないよ」
「え、ええ……?」

あたしの言ってる意味がわからない、と首を傾げる後輩にどう伝えたら良いのかとあたしも首を傾げる。
この状況を見ていた部員も、どうやって仲介に入ったらいいのかと言葉が見つからないといった雰囲気を醸し出していた。

All that glitters is not gold.光るもの全て金にならず いやぁ、青春ですなぁ!」
「…げっ……」

心の底から、嫌悪の混じった声が出た。
世界中に渡って活躍する俳優兼戯曲家であり、我が演劇部の客員講師。滅多に姿を見せないから、存在自体を忘れていた。
自慢の髭を少し擦りながら舞台へ近付いてくる講師が手に持っているのは、銀河鉄道の夜の台本。毎年多少の改変編集はあるので擦り直しているのだが、彼が持っているのは使い古されて読み込まれた、よれよれの台本だった。

「ではミス・名前。今の貴女でジョバンニを演じてご覧なさい」
「え、今ですか? あたし、カムパネルラなんですけど……」
「良いんですよ。今の貴女のジョバンニが、私は見てみたいのです。さあ!」

部活に顔を見せたと思えば無理難題を言ってくるこの講師が、あたしは嫌いだ。こういう有名人を客員講師として呼べるのだから、この大学の財力は本当に底知れない。
はっきり言うとすれば、会長や友達名前ちゃんの家って本当に何なの? って事になる。その100分の1だけでも良いから分けて欲しい。いや、1000分の1でもいい。
講師――ウィリアム先生に言われた通り、舞台の中央へ立ち、ジョバンニの気持ちへと入れ替える。カムパネルラの気持ちを理解した今、あたしのジョバンニはどんなジョバンニになるのだろうか。
瞼を落とす。深呼吸。台詞は頭にある。感情は、どこにあるのだろう。
……あ。……あった――


marvellous素晴らしい!!」

大きな拍手と喝采する声。それであたしは現実へ戻ってこれた。

「やはり貴女の演技は素晴らしい! 面白い演じ方をしますね! しかしながら、これは貴女にしか演じることができないジョバンニだ。誰にも真似することは出来ないでしょう。これは貴女の人生の中に存在する人格なのですから」

何を言われるのかと肝を冷やしたが、好感は得れたようだ。ウィリアム先生はとんでも発言を連発するので、それに振り回された事のない一年生を巻き込むわけにはいかない。
なんとかあたしだけの被害に食い止めれたのならそれで良いか、と思ったのも束の間。彼の視線は、あたしと同じ舞台上に立つ現ジョバンニに向けられた。

「ふむ。貴女は他人の人生を真似して歩むだけですな。そんな事、猿にでも出来る! 貴女は、どんな人生を歩んで、どんなジョバンニを演じるのですかな?」

じわじわと迫り寄ってくるウィリアム先生の圧に、後退りする一年生をどう庇おうかと思考を巡らせば、先に部長が動いて彼を止めた。

「ウィリアム先生、図書館は行きましたか? 書籍数を増えて、圧巻ですよ。久しぶりに大学へ来られたんですから、足を運んでみてはいかがですか?」
「――、そうですか。わかりました。行くとしましょう。
Sweet are the uses of adversity, Which, like the toad, 逆境が人に与えるものこそ美しい。それはガマガエルに似て醜く、
ugly and venomous,Wears yet a precious jewel in his head! 毒を含んでいるが、その頭の中には宝石をはらんでいる!
それでは皆様、ごきげんよう。良い学生生活を!」

扉が閉まる音。やっと嵐が去った。どっと疲れが押し寄せる。
防音処理をしているはずなのに、扉から出るまで響いていた陽気な笑い声が耳から離れない。
もう、本当に、会長とは違ったタイプの歩く公害だ。苦手なタイプ過ぎて行動や思考が鈍る。それも含めてあの人の掌の上だと言うなら、戯曲家様様。

「気にしなくて良いからね。あの先生、変わってるだけだから。実力はある人なんだけど、あたしも苦手でさ――」

だからなのか、一年生のフォローが遅かった事にも、すぐ気付かなかった。あたしを含め、全員の思考が鈍っていた。
泣きそうなジョバンニ。不安がる他の一年生たち。どうしよう、どうしよう。こんな時、カムパネルラなら、どうした?

「ジョバンニ、また泣いてるのかい? あんな奴の言うことなんて気にすること無いさ。僕は僕、君は君なんだ。元気をおだしよ」

勝手に動いていた。頭を撫で、肩を叩き、親友を元気付け、勇気を与える。それが、あたしの考えるカムパネルラだ。

「あ、――ありがとう、カムパネルラ。……ほら、見て! 外は星の海!」
「うん。すごいや」

その言葉はカムパネルラだったのか、それともあたしだったのか。それは分からない。
でも、あたしのアドリブに乗り、たどたどしさが残りつつジョバンニを演じだしたこの子は、すごいと思った。

「……という事で、良ければ龍兄ちゃんも来てほしいの」
「うん。もちろん。楽しみにしてるよ」

新入生公演本番を明日に控えたお昼休み。
放課後にガッツリとゲネプロをすることもあり、演劇部の練習は無く、あたしは久しぶりに自由な休み時間を手に入れ、これまた久しぶりに龍兄ちゃんとランチをしていた。
お弁当を作る時間は無かったので食堂でご飯でも、と誘ってみたところ、基本的にコンビニ飯で済ませているらしい龍兄ちゃんは快く了承してくれたのだ。

「食堂に来たの久しぶりだなぁ。龍兄ちゃんは?」
「俺もだよ。基本的にアトリエに引き籠っちゃうから」
「あ、そっか。作品作るの大変だもんね」
「そーなんだよね。課題の提出も多いし。嫌になっちゃうよ」

龍兄ちゃんの学科は、学年の関係もあるけれど座学はほぼ無く、実技が多いらしい。それはそれで課題の提出も多く、日々作っては提出、作っては提出の繰り返しなのだそうだ。
あたしとしては座学が無いことの方が羨ましいのだけれど、講義中に寝れないからね、という言葉にハッとした。寝れないのは困る。
食堂はいつも通り賑わっており、空いているテーブルを探すこと数分。端の入り口から死角になる場所にあったテーブルが丁度空席になった。二人掛けのこぢんまりした感じだけど、二人だから気にしない。
椅子に腰掛け、どっちが食券を買うかのジャンケン。そして、あたしは負けてしまった。
龍兄ちゃんと自分の昼食争奪戦へと向かい、二人分の昼食を無事に獲得してテーブルへと凱旋すれば、そこに座っていたのは龍兄ちゃんではなく、オディナ先輩だった。


(2020/06/03)