アパシーがーる。

 

「え……」

思ったよりも掠れた声が出た気がした。
さっきまでこの席に座っていたのは龍兄ちゃんで、あたしと一緒に昼食を食べるはずだったのに。
いつの間に龍兄ちゃんはオディナ先輩になったのだろうか。なんて、わかりきった疑問ばかりが頭の中をぐるぐると回る。
混乱するあたしと違い、珍しく眼鏡をかけたオディナ先輩はニコニコと殺人級の笑顔をこちらに向けて、軽やかに振られる手は指が長くて綺麗だった。

「あの、えっと……?」
「やぁ、苗字さん」
「オディナ先輩、席、間違えてません?」
「あぁ、俺の席はここだが?」
「あー……じゃああたしが間違えました。ごめんなさい」

そう言って辺りを見回すが、龍兄ちゃんの姿は見当たらない。
そしてもう一度テーブルを見れば、あたしの鞄が置かれているので自分が間違っているわけではない。
じゃあオディナ先輩が間違ってる?――と疑問符がぐるぐると巡った。

「苗字さんの席もここだが?」
「ええー……?」
「ここの席に座っていた生徒が、席を譲ってくれたんだ」
「えっと…? その言い方だと、オディナ先輩はその人とお知り合いでないんですよね…?」
「うん。そうだな」
「なのに、待ち人が居てるはずの席を、譲る…?」

どう考えてもおかしくないだろうか。
龍兄ちゃんは確かにあたしを待っていたはずだし、そもそも昼食を一緒に食べようとしていたのだ。それで席を譲るというのはおかしすぎる。
龍兄ちゃんとオディナ先輩はお互い三年生で、顔見知りであってもそこは不思議ではないのだけれど。席を譲るという行為が信じられないのだ。
だって、相手はあの龍兄ちゃんなのだから。多少は猫を被っていたとしても、自分の意志は曲げないはず。
とりあえずそれぞれの片手に持っていた日替わりランチが乗ったトレイをテーブルに置くと、すかさずオディナ先輩から昼食代が渡された。

「え、要らないですよ。龍兄ちゃんからも貰う予定じゃなかったし」
「良いんだ。貰ってくれ。女性に奢ってもらうなんて、男らしくないだろう?」
「んんー? じゃあ、ありがとうございます……?」
「あぁ、貰ってくれ」

なんだか、本日のオディナ先輩は押しが強いようだ。これにどういった意味があるのかはあたしの知らないところなわけだが、なんだか変な感じがする。
あたしは蚊帳の外で、何も知らない感覚。この感覚は昔も、そして最近も経験した気がする。なんだろう、これ。物凄い違和感に、ざわっと全身が鳥肌だらけになる感じ。少し、気持ち悪い。
目の前に座るオディナ先輩は何事もなかったかのようにランチを食べ始めるので、このテーブルの真ん中で境界線が出来たような気がする。
一応スマホを確認したが、龍兄ちゃんからの連絡は入っていない。

「冷めてしまうぞ?」
「あ、はい、……いただきます」

――促されてランチを口に運ぶが、味は一切わからなかった。



「……おかしい」
「おかしいのは貴女の頭の中では?」

オディナ先輩と気まずい昼食を終えて、次の講義の教科書を準備するためにロッカー室へと向かい、そこでスマホを確認しても龍兄ちゃんから連絡は無かった。
本当におかしいと思ったので口に出てしまったのか、ロッカーが近いカレンに聞かれてしまったようで。頭の中を心配された。失礼な。

「あたしの頭はおかしくありませんー」
「そうですか。恋煩いに現を抜かすくらいはおかしいと思っていたのですが……。そうではなかったのですね」
「こっ、恋煩い!?」

思わず、大きな音を立ててロッカーの扉を閉めてしまう。
カレンは淡々と自分の準備を済ませながら、あたしに視線を合わせることなくこれまた淡々と話し出した。

「あら、気付いてなかったのかしら。最近どの学年かは知らないけれど、男子生徒と一緒に居るのが多いでしょう」
「えっ? はい!?」
「頭がオレンジ色の、ぱーりーぴーぽー」
「龍兄ちゃんのこと? ってか、パーリーピーポーじゃないよ、多分」
「名前は知らないけれど、その男子生徒さんかしら。目撃情報が多いから、二年の間では話が回っているみたいで」
「なんでよ!?」
「貴女が普段から特定の男性としかいないから、珍しいのでしょうね」
「そんなに、なのかな……」
「自分の交友関係を改めてご覧なさいな」

そう言われて、良く話す男友達を一度考えてみる。
アーチャーは幼馴染だし、士郎もそうだし、ウェイバーは講義被ること多いし、クーさんはゲーム友達だし、オディナ先輩と会長はなんだかセットで居るし、あとは演劇部と空手部の生徒で……あれ? 本当に、あたしって決まった人としか喋ってない……のだろうか?

「そんな中にいきなり他の人物が現れたものだから、エミヤさんを含めた他の男性狙いの女子生徒が騒いでたんです。それこそ、一粒のカステラの破片に群がる蟻のように」
「待って。表現が怖い」
「あら、そうですか。それは失礼」

フフフ。と笑うカレンは、その状況を愉しんで見ていたことだろう。文字通り、愉しんで。
笑い方はどこぞの神父と瓜二つだなぁ、なんて、機嫌を損ねるから絶対に言わない。

「でも、恋とか、そうじゃないから」
「そうだったのですね。残念」
「全然そう思ってるように見えないんだけど……?」
「新しい愉しみが無くなってしまったので、つい」
「あー、んー、あれですよ。龍兄ちゃんは元々近所に住んでて、小さい頃遊んでもらってたことあるの。だから、久しぶりに会えて、最近話してただけ」
「へー。そうなのですね。――でも、おかしいですね」
「何が?」

やっと視線の合ったカレンの瞳には、揺れる自分の瞳が映っている。グサリと真を突かれたように、身体が硬直した。

「昔なじみの方だったら、どうしてエミヤさんともお話しないのかしら」
「え? なんで?」
「お話しているところなんて、見たことがないので。目立つお二人ですから」
「えー、いや、龍兄ちゃんは、アーチャーのこと、覚えてたよ?」
「そうですか。なら、私には預かり知らないところで話していたのかもしれませんね」
「カレンってば。自分が情報通みたいな言い方しなくてもいいじゃんか」
「フ、フ、フ」

意味深に嗤うカレンの表情が怖い。これは演技なのかそれとも素なのか。知り合って二年のあたしにはわからない。
それでは。と言って先にロッカー室から去っていく彼女の後ろ姿は、すごく凛々しかった。

――そこから何日経っても、龍兄ちゃんからの連絡は一切無かった。
あたしがメッセージを送っても既読なんてつかない。虚しい一方通行の連絡しか出来ず、電話をしてもコール音がするだけで龍兄ちゃんの声は聞けない。
何か事件に巻き込まれたのでは、なんて考えたけれど、それだったらこの数日間の間でニュースに彼の名前が出てもおかしくは無いと思ってた。だから、その線は薄いと考えられる。
知り合いだと言っていたオディナ先輩にも話を聞いたけれど、学科は違うし連絡先は知らないからわからないと言われる始末。
アーチャーに相談すれば、課題の提出で忙しいのではないか、なんて事を言われるし。
時間が空いた時に学科棟へと行ってみるものの、特徴的なオレンジの髪色をした生徒は見当たらなかった。
そのまま新入部員公演が近付いてきてしまい、あたしも忙殺される日々へと戻ってしまう。だからといって龍兄ちゃんの事を忘れるわけはなかったが、連絡する頻度は減っていき、気が付けば、公演日当日となっていた。
舞台裏で緊張する新入部員達に声を掛けながらも、手に持ったスマホで龍兄ちゃんからの連絡を待つ。来てくれるって言っていたから、約束は破らないと信じてた。
公演中に関するアナウンスが会場内に流れ出す。本番まであと十分をきった。

「……大丈夫。約束したから、大丈夫。絶対、来てくれてる。見てくれる」

スマホを抱きしめ、何度も自分に言い聞かせる。そして舞台袖に置いてある自分のドリンク近くに、そっと音を立てないように置いた。
何度も自分に言い聞かせるしかない。客席に、絶対居てくれるはずだと。
龍兄ちゃんは、約束を破ったことなんて、――、あ、。

「……ある、」

か細く、声を出してしまった。
――約束を破られたこと、あったじゃん。
舞台の幕が、ゆっくりと上がっていく。
――駄目だ、頭が真っ白になっちゃう。
真っ白の心と身体になっていく。大丈夫なわけがなかった。
大事な約束を破られたことがあったのを、思い出してしまった。
いけない、いけない。このまま白くなってしまったら、何もできなくなってしまう。
降りてこい、降りてこい。カムパネルラ。
今だけはあたしじゃない。あたしはカムパネルラだ。
そうだ。今だけは、苗字名前を捨てろ。絶望するな、希望を持たなきゃ。
降りてこい、降りてこい、降りてこい、降りて、降りろ、降りろ――!!


――嗚呼。光が、……眩しいなぁ。


(2020/07/29)