アパシーがーる。

 

「あーあ」

――と、誰も居ない空間で、物思いに耽ける男が一人。
薄暗く冷たいコンクリートで囲まれた、部屋と呼べるかは分からないその場所に何れ自分が行き着くのだと理解をしていても、それはまだ早いと計算をしていた。
折角潜り込めた最高のシチュエーションは、男の目論見通りに物語が進まず、作り上げた関係も無になってしまった。
それでも、尚、彼が思い出すのはある少女の姿だった。
あどけない笑顔が苦痛に歪み、自分に懇願し、そして絶望してゆく様を、彼は頭の中で思い浮かべては恍惚に浸る。

「上手くいってたのになぁ。全然COOLじゃない」

ギシ、と音を立てるパイプベッドは薄汚れ、少し動くだけで埃が舞う。
彼自身を手助けした教師の処遇はどうなったのだろうか。何も情報が入ってこない現状で、思考していても意味は無く、自分が拘束されてからどれくらいの日にちが過ぎたのかさえも不確かになってきていた。
室内に時計は無い。持っていたスマートフォンも押収され、日付の感覚はすぐに消え去っている。窓も一切無い部屋では太陽を頼って時間を知ろうにも無理な話だった。
だからこそ、男は自我を保つために思い浮かべる。――自分が恋い焦がれ、憧れ、壊したいと感じた少女の姿を。
自分を慕っていた屈託のない笑顔が、どのようにしたら歪んでいくのかを。

「……あーぁ…」

漏れた笑みは恍惚そのものだった。
自然と口内を満たしていく唾液を生々しい音を立てながら飲み込み、焦点が定まらなくなる目線を天井へ向ける。
あの笑顔を自分だけのモノにするには、周りをどうにかすれば良かった。邪魔者を排除して守る壁を壊していけば、自ずと城は陥落していく。城攻めの方法を急いてしまった結果だ。そこを悔やむなら、早めに行動に起こしておけば良かったのに。
少女の表情はどのように歪んでいくか。少女のナカはどうなっているのか。想像は想像の中だけしか存在しない。だから自分の目で見てみたかった。
笑顔が歪み、自分を呼ぶ声が慄いたものに変わり、最期には無になって自分のモノになる。――それを実行したかっただけなのに。

「大丈夫だよ。また逢える。約束を破ってばっかりなお兄ちゃんでごめんね。次の機会には君を幸せにして、俺も幸せになるから」

――二人で最高にCOOLな幸せを掴もうね。
男の視線はぐるりと回転し、自らの妄想の中で自らを呼ぶ少女を抱きしめながら、果てるのだった。
約束、次は絶対に守るから。この約束は、必ず。







ぞわり。ぞわり。
何かが這い寄ってくる感覚がして、意識が覚醒した。
起き上がればそこは白で囲まれた場所だった。
かすかに鼻を掠める薬品の匂いで、今の自分がどこに居るのか察する。
重い上体を起こし、何があったのかを思い出して――そうだ。劇は、どうなったのか。
ベッドを降りようとすれば、身体は倦怠感を感じていてうまく動いてくれない。
周りから音が聴こえないので、今この場には自分しか居ないのだろう。白いカーテン越しに映る外の景色は、やや薄暗くなっていた。

「……起きたか」
「あ……はい。起きました、です」

美人のアイリ先生がいつも座っているはずの椅子に代わりに座って、こちらを横目で見てくる金髪赤眼の会長の視線が痛い。
どうしてこの場所に居るのかと問いかける事はしなかった。それよりも、全身を襲う倦怠感の方があたしにとって最大優先事項なのだ。無駄な体力を使いたくない。

「貴様は無理する事が特技か何かなのか?」
「いえ、違いますけど……」
「公演後に舞台袖で倒れ、そのまま運ばれたのだ。そうとしか思えん」
「あー。それは、えっと、」

無事に公演は済んだのですね。――そう言えば、目の前の会長は目を細める。

「自分の体調よりもそちらの心配か」
「だって、新入生のみんな、頑張ってましたから。先輩としては気になりますし」
「そのお人好しは誰に似たのだか」
「さぁ? 誰でしょう…?」

盛大な溜め息を吐かれる。おかしな事を言っているわけではないのだが、目の前の会長さんには呆れた物言いだったのかもしれない。
ゆっくりと立ち上がった会長はゆっくりとあたしに近付き、こちらの顔色を伺っているのか、やけに視線が痛い。一応はイケメンの部類なわけだし、外国人の端整なお顔立ちなのだから、いきなり目の前にそんな整った顔がきたらキョドってしまうのも仕方ないと思う。
ふむ、と何かに納得したらしい会長は、もう一息溜め息を吐いて、そして――、

「…ぎゃ!?」
「なんだその色気の無い声は。仮にも女だろう」
「いきなり抱えてそれは無いですかね!? てか、仮にもってなんですか!? 普通に性別学上も戸籍上も正真正銘女ですよ!?」
「そのくらい意気が良いなら、それでこそ雑種だ」
「褒められてるのか貶されているのかどっちですかねえ!?」

突然抱き上げられ、以前のような俵担ぎではなく、完全な横抱きだった。
お姫様抱っこと通称は呼ばれるのだが、会長は王子様と例える事が出来るけれど、あたしは姫と呼ばれるような存在ではないので横抱きだ。
誰も居ない医務室を後にして、しばらく無言の時間。散々言い合ったのだが、結局は降ろしてくれるわけがないので、大人しく従うしか無い。
これはきっと、家まで送られるコースなのだろう。緊張感が増す。
最近、会長の車にお世話になる事案が多すぎやしないだろうか。悶々と考えていけば、知らずの内に、あたしの意識は心地良い揺れを感じながら、遠退いていった。


(2020/08/04)