アパシーがーる。

――ここ数日、凡ミスが多い。
演劇部ではセリフを何度も間違い、空手部ではボーッとし過ぎてサンドバッグから反撃を喰らってしまうし、なんてったってバイトでもオンラインゲームでも、ミスが目立ってしまっている。
それぞれの環境で体調不良を心配され、でも実際は熱なんてないし、いつも通りのあたしだ。
「なんか腑抜けてんな」というのは、空手部部長とクーさんのお言葉だ。確かに、いつも通りなのにちょっと気が入らないというか、別の事を考えてしまっているというか。
……まぁ、原因はわかっているんですけどね!!
でも周りは知り合いばかりで相談出来ないし、相談する人物を間違えたら一発で知人全員に話が広まりそうで困っている。
それでも誰かに話を聞いて欲しいのが、この乙女心なのだ。

「――と、いうわけなんです」
「……なるほど。事情は分かりました。ですが、貴女への助力が私に務まるでしょうか?」
「大丈夫です。本当に、話を聞いて欲しいんです。それだけなんです。面白がって話を広めないでくれるだけで良いんです」
「そうですか。それなら、私は貴女の友人知人とは親しくないですし、顔も知りませんから。広められる不安は無い、という事ですね」
「そうです、そうです。……すみません、バイト終わりで疲れているところ呼び止めてしまって」
「気にしないで下さい。いつも名前ちゃんには助けられていますから。恩返しができるなら私も嬉しいです」

大学の講義が全て終わり、部活もバイトも無く夜の帳が降りてきた頃。偶然、泰山から出て来たであろうダメット……もとい、バゼットさんと鉢合わせしてした。
そして顔を合わせるなり、咄嗟に呼び止めてしまったのだ。この人なら、相談できる! と直感が言っていた。
念の為、大学からも泰山からも離れている繁華街……を避けて、ちょっと脇道にあるオレンジ色の暖かい光が薄暗い店内を照らす、少し小洒落た喫茶店に入った。
用心には用心を重ねて、店内でも少し奥の四人掛けテーブルに座ることにしたが、やけに店員さんが可愛くて気になってしまう。高校生なのかなー、可愛いなー、ツインテールだしニコニコ笑顔だし、あんな蛍光色スカート穿けるなんて若いってすごいなぁ。……いや、まて。バイト先でチャイナ服着てるあたしも一緒だわ。

「それで、その具体的な話というのは?」
「……はい、実は――」

要点を纏めて、先日のオディナ先輩との約束の件を話した。
身振り手振りを交えず、出掛けることになって、その事が気掛かりで、日常生活に支障が出ていることを告げる。
真剣な眼差しで、茶化す事も無く、時折頷いて相槌を打ちながら話に耳を傾けてくれるバゼットさんは、あたしが話し終わると一旦小休止を置くように運ばれてきていた紅茶を一口含んだ。あたしもアイスカフェオレを一口。
話し続けていたから口の中が乾いて、喉が乾燥してきているのがわかる。暑くなってきたのでどこの店も冷房を点けているが、身体も冷えるし喉も乾燥してしまう。難しい季節になってきたものだ。

「一通り、話は聞かせてもらいました」
「はい、ご拝聴ありがとうございました」
「それでですね。私の感想というか、率直な意見を言わせてもらいますね」
「忌憚なくお願いします」
「要するに、そのオディナ先輩という方に、名前ちゃんは好意を寄せてるんですね」
「全然違いますね」
「えっ?」
「全然違いますね」
「あ……あっれー?」

まさか自分の考えが違っているとは思わなかったんだろう。バゼットさんは気まずそうに、人差し指で頬をポリポリと掻いた。
いや、その考えも理解できる。あたし自身も、もしかしてオディナ先輩の事を好きになったのではないかと疑ったくらいだ。……でも、多分違う。
あの日、オディナ先輩はあたしが積んでいた本を適当に読んでいただけだ。適当、に。多分、自分の目的の本や興味のあるものを選んでは流し読みをしていたのだと思う。
だから、人に対して効果のあるものかどうかを試していただけ。吊り橋効果なんてずっと続いたりするし、効果的な好印象を与え続ければ人の心なんてコロッと傾くものだ。但し、イケメンに限る!!
つまり、状況分析を冷静に考えれるのだから、あたしはオディナ先輩に好意を寄せているわけではない。

「でもッ、でもですよ!? よく言うじゃないですか! 眼を瞑って思い浮かぶ人が好きな人だとか!」
「……バゼットさん、恋、した事あります?」
「ナッ!? なっ、ななななっ!? なんでそんな事っ、今っ、関係あります!?」
「ありますね」
「っ……あっありますよ! 人並みに!」
「……ほう?」
「なんですか!? その疑いの目は……!!?」
「お客様ー? お店ではお静かにお願いしますー」
「あ、すみませーん。今止めまーす」

うん、あたしが話した相手は人選ミスだったようだ。今更ながらに気が付いた。
でも誰かに話したいという欲求は達成できたので、心の安定は保てるだろう。幾分かマシになった気もする。
だから、自分よりも年上で外見とは裏腹に乙女心満載なおとなのおねえさんに、少しだけ話しても良いだろうか。

「あたしはね、あるんですよ。失恋前提でずーっと片思いしてたんです。つい最近、やっと振ってくれまして、肩の荷が下りたところだったんです。だから、まだ、新しい恋愛とかは遠慮したいし、そんな心の余裕無いって感じですね」
「……コホン。なるほど、そういう理由があったのですね。こちらこそ不躾に発言してしまったようだ。謝罪します」
「良いんですよー。お話ししたくて引き留めてるのはこちらだったし」

話せて楽になりました。と、改めて御礼を言い、深々と礼をすれば、バゼットさんもいえいえ、とお互い深々と礼をした。
そしてタイミングを合わせたかのように小休止。残った飲み物を飲み干した。

「とりあえず、どうするのですか? その土曜日ってもう四日後ですよね?」
「ですね。いやほんとに、一週間ってあっという間ですね」
「はぁ……。とてものんきな事を言ってる自覚は……一応あるみたいですね」

あたしの表情を見たバゼットさんが、頭を抱えながらもそう言ってきた。自分でも理解は出来ている。だって、めっちゃ視界が揺れているのだ。
平静を装っているつもりなのだけど、内心めっっっっっちゃくちゃに動揺しているのである。これはお得意の演技も出来ないよ!

「そのオディナ先輩という方の人柄は、とても好青年だという印象なのですが、合っています?」
「合ってますね。成績も多分優秀だと思います。文武両道だし、イケメンだし、品行方正です。とても良い先輩です」
「だからこそ、自分がアプローチかけられている事が信じられないと?」
「……そうです。勘違いかなぁとか考えてみたんですけど、こっちを意識させようとしてくるテクニックが凄いんですよ。マジで。オディナ先輩の事だから素でやってるのかもしれないけど、そんな無自覚じゃなくて、理解してやっている感じなんです」

そうだ。一番近くに居た無自覚なドンファン野郎のようにナチュラルではなく、自分がしている行動を理解しているような気がしたんだ。だからこそ、あたしは今悩んでいる。
――バゼットさんに話した事は本心だ。あたしは今、新しい恋を始めるとかそういうのに興味が無い。だってアーチャーの事もあり、クーさんの事もあり……そんな中、オディナ先輩までなんて、モテ期の比率おかしくない? って話だ。
というか、この世にモテ期とか存在していた事実に驚いている。都市伝説だと思っていた。
氷だけになったコップの中をストローで音を立てながら吸えば、少しだけ味のする冷たい水が口の中を潤してくれた。

「一回、行ってみたらどうです?」
「約束だから、行くには行きますよ」
「まぁそうでしょうけど、そうじゃなくて。デートしながら、そのオディナ先輩について考えてみたらどうですか?」
「考えるって……そう簡単に――」
「えぇ。簡単です。考えるのは名前ちゃんですから。どう行動するかも、名前ちゃん自身が決める事なので私が出来る事はここまでです」
「ぐぬぬ……ごもっともです……」

なぜか勝ち誇った表情をされて、この問題は解決ですね、と言いたげなバゼットさんだが、結局何も解決してないのは言わないでおこう。話したかったのはあたしで、それに付き合わせてしまっただけなのだ。
むしろ、バゼットさんには相談じゃなく話を聞いてもらう為だったから、解決法やら対策法やらを求めていたわけではない事を思い出した。あたしは何を勘違いしていたんだ。お店でもダメットさんと呼ばれているバゼットさんに、こういった相談は不向きなのを理解していたはずなのに。それでも――。

「実際に拳で語り合えば良い、とか言われなくて良かった……」
「何か言いました?」
「いやいや! 何も!!」

自分が会計をすると言い張るバゼットさんのお気持ちに甘えることにし、レジで会計をする背中を見ながらポツリと呟いたら反応されてしまった。これはウッカリ。

「ありがとうございました〜。またのお越しをお待ちしておりにゃ〜す」

間延びした、ちょっとクセのある声で見送られながら店を出た。話に夢中だったけれど、なんだか面白いお店だった。
店員同士が仲が良いという事は、良いお店なんだろうなと感じる。泰山然り、士郎のバイト先然り。
ご馳走様でした。とバゼットさんに一礼する。なんだか照れ臭そうにいえいえ、と言われた。

「名前ちゃんは明日シフト入ってましたよね?」
「そうですね。夕方からです」
「それじゃあ、私はオーラスなので会えますね。お返し期待してます」
「えっ…!?」
「あっはは。冗談ですよ。それじゃあ、気をつけて帰って下さいね」

何年物だろうかと考えるような、年季の入った自転車をジャコジャコと音を鳴らしながら走り去っていくバゼットさんを見送りつつ、今度士郎を紹介して自転車を直してもらおう、と思った。

(2022/05/12)