デッド・ラインを越えるまでに、
――ただひたすらに夢を追い続けた鳥たちは、自分たちの信じるまま空を飛び続けた。――
やっと終わった、と。意気揚々にEnterキーを押し込む。同じ体制で凝った身体を外出中であることも忘れて伸ばし、体内で盛大に骨が鳴る音を楽しみつつ画面上の保存マークにカーソルを合わせ、出来立てほやほやのデータを上書き保存すべくクリックした。
保存中のバーが動いていくのを待ちながら頼んでいたアイスコーヒーを喉に流し込めば、作品を仕上げることに熱を出していた身体をゆっくりと冷やしていってくれる。
今回のデッドラインも無事に守ることが出来た。この快感はなんとも言い表し難いくらいで、作品が完成した瞬間に発生するドーパミンの量が私自身の麻薬となっていた。
無事にデータが保存できた事を知らせるように、短い通知音を愛用のノートパソコンが奏で、それと同時にスマホで担当に連絡。コール音は数回で途切れ、低くやる気の無い声が通話スピーカーから漏れてくる。
「お疲れ様です。ペンネームです。今月分の仕事が終わりましたので、データ送りますね」
『……お疲れ様ですペンネーム先生。わかりました。後で確認します』
「高杉さん、本当にお疲れのようですね? 大丈夫ですか?」
『えぇ、まぁ。少し引き継ぎトラブルがありまして。……あぁ、先生の次の締切や作品の傾向を打ち合わせしたいので、また後で日程調整の連絡します』
「あ、わかりました。もう今月は暇なので、いつでも大丈夫です。予定はそちらで合わせてもらえれば」
『お心遣いありがとうございます。では、候補日を何日か送りますね。では、また』
「はい。お疲れ様です」
簡素な会話なのかもしれない。他の作家関係は担当と密に連絡を取り合うと聞いているが、私と担当である高杉さんはそこまで連絡を取り合うことはない。なんて言ったって、私自身が締め切りを破ったことなんて無いし信頼されている事に加え、高杉さんは前担当から担当を引き継いだばかりでそこまで仲が親密なわけではないからだ。
それともう一つ加えるのならば、私の方が彼よりも2つほど歳が上というのも関係している。
良く言えばアラサー。悪く言えば三十路を超えた喪女。そういう表現が自分に合っているのかもしれない。同年代の女性は、結婚し、子供を育てているのだが、私は恋愛経験もそこそこに文字を書く仕事に就けたので、言ってしまえば出会いが無い生活が続いている独女だ。
かと言ってガツガツと結婚願望の強いことは無く、誰か良い人が居たら良いなぁ、なんて朧気に考えるだけ。上の兄と姉が結婚して孫の顔も見れているので、両親から私にとやかく言われはしない。かと言って実家暮らしをこの歳になって……とは考えておらず、一人暮らしはもう10年を越えそうになっていた。
要するに、普通の会社に勤めていたらお局手前の人間だったのかもしれない。
結婚して旦那と子供が居る生活も想像できないので、私には今の生活が合っているのだ。と自分自身を納得させながら、担当である高杉さんに作品データを添付して送る。送信完了の文字を確認後、スマホを再度取り出し、メッセージアプリにて送信しましたの文字を打ち込み送った。
すぐに既読マークが表示され、確認しました、のメッセージが送られてくる。ここまでで私の仕事は終わりだ。後は編集、出版社側の仕事になる。
私の仕事と表現するなら、決められた期日通りに作品を仕上げて提出すること。そして次の期日までに構想を重ね、少しずつ書き進め、また期日を守って提出。それの繰り返し。日々のデッドラインを守りながら規則正しい生活をしていればストレスフリーの仕事だ。
「ふぅー……」
今時珍しく喫煙の出来る店内で、タバコの苦味とカフェインの苦味を咥内でブレンドしながらスマホでネットニュースを見漁る。巷の流行を追うことも、私の仕事には欠かせないものだ。
例えば、作品の内容が現代ならば流行りの店へ取材に行くこともあるし、店内の雰囲気や臨場感を感じて文字に表現しなければ読者にそれは伝わらない。まぁ、行くとしても一人というのは失笑ものだ。
こういう時に男性の意見を求める為、兄や義兄、友人の旦那に話を聞いたりするのだが、身近に参考に出来る男性が居ないのがネックだと考えることもある。よく連絡をする男性一位が担当の高杉さんなのだから、これまた自分の交友範囲が狭いのも出会いの無い要因なのだろう。また失笑が漏れた。
灰皿一杯にタバコの吸い殻が埋め尽くされ、それに気付いたマスターが灰皿を変えにやって来た。学生の頃から世話になっているので、もう見知った関係である。
「名前ちゃん、今日はもう終わったんですか?」
「はい。今月の仕事は終わりましたね。あとはフリーです。次の締切も決まってないし」
「いつも通り早いんだね。次の新刊も楽しみにしてますよ」
「ありがとうございます、マスター。あ、アイスコーヒーおかわり下さい」
「かしこまりました。いつもご贔屓にしてくれて、ありがとうね」
空になったグラスと許容範囲を超えそうになっている灰皿という相反する存在が乗ったトレーをカウンター内に持ち帰り、慣れた手付きでコーヒーを淹れだすマスターの姿はキマっていた。表現が乏しい事は文字書きとして死活問題であるのだが、本当に、当たり前がそこにあるというくらい、安定しているのだ。
カウンター内にはマスターのご家族の写真や、つい最近産まれたと言っていたお孫さんの写真が写真立てに飾られ、良いお父さん、良いお爺さんであることが伺える。
この喫茶店が好きでよく作業をしに来る人間としては、落ち着く以外に言葉はない。
もう一本タバコを吸おうと口に咥えると、震えだすスマホ。着信ではなくメッセージアプリの通知。
タバコに火を点け、咥えながら画面を操作する。アプリに表示された名前は、先程やり取りをしたばかりの高杉さんだった。
メッセージの内容は、打ち合わせの候補日時が数日分記載されていた。別にいつでもいいと伝えていたのだが、ビジネスメールを正しく扱えるところに関しては印象が高い。そうやって評する私も正しく扱えているかという点に関しては微妙なラインだと思うので、上から目線で評価なんて出来ないのだけれど。
「お仕事?」
「あぁ、はい。明日、変更じゃなければ新しい担当さんとここで打ち合わせします。大丈夫ですかね?」
「うん。大丈夫だよ。奥のテーブル席、予約席にしておきますね」
「ありがとうございます。いつもすみません」
「気にしないで下さい。僕はペンネーム先生のファンですから」
「茶化すの止めてくださいよ。照れますから」
「おや。そうですか。すみませんね」
クスクスと笑うマスターの茶目っ気のある性格のおかげもあって、歴代の担当からもこの喫茶店は人気だった。
現担当である高杉さんは、明日の打ち合わせで初めて利用することとなる。気に入ってくれたら良いなぁ。そんな望み方をするなんて、私らしくない気がした。
マスターが持ってきてくれたアイスコーヒーの氷が、軽快な音を鳴らして私を鼓舞してくれる。
少しだけ次の構想が思い付き、自分の作品を展開する為の伏線をパソコン画面上へと打ち出し、明日はこの話もしてみようと意気込む。
今の私の仕事は天職だと将来の自分に胸を張れるように、私の指はキーボード上を踊りだした。
(2020/08/05)
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