デッド・ラインを越えるまでに、


 

いつもの喫茶店で言葉を紡ぐ日々が舞い戻ってきた。
太陽が存在感を主張し、それに負けた人間たちは建物内へと逃げてひと時の安らぎを得ている中、私の目の前には約一ヶ月前に行われた夜の打ち合わせから交流の深まってしまった高杉さんが居る。別に打ち合わせも兼ねつつ参考資料を持ってきてもらっただけなので、それ以上の関係になったわけではない。
彼が目の前で再考されたプロットを読み、意見を出し合いながら物語に肉付けしていく作業に関してで言うと、やはりイチ読者として話してくれる担当が居てくれると私は助かる方だ。文字書きを生業とする人間にも様々な性格が存在しているので、煩わしいと思う人も中には存在しているだろうが、私は誰かと話す機会が少ない分そちらの方が助かっている。
紙同士の奏でる乾いた音と店内に流れるクラッシックを聴きながら、キーボードで文字を打ち込むのは少し楽しい。この時間が好きだ。

「……よし」
「大丈夫そう?」
「あぁ、これでいこう」
「良かった」

――結局、私は例の仕事を受けることにした。原稿料はさておき、自身の文章力が高められると理解が出来たからだ。
官能小説と呼称される分野の作品を読み込み、その世界観に触れすぎてしまったのかもしれない。所謂、毒されてしまった状態だ。これが良いことなのかの判断は難しいのだが、違う分野へ挑戦することを無謀とは思いたくはない。それに、自分の知らない世界を知るという、学生の頃に感じていた気持ちを思い出せたような気がする。
大人になるという歳や知識を重ねていくにつれて凝り固まってしまった概念を取っ払うというのも、これはこれでアリだろう。固定概念ばかりに固執するよりも、昔のように新しい知識や表現を貪欲に取り入れていければ、私自身が今後も成長できる糧になる。
仕事を受ける時にそういった話をしたら、高杉さんと坂本さんは喜んでくれた。

「このまま一旦書き進めて、何かあったら連絡しろ」
「了解でーす」

高杉さんとも、大分フランクに話せるようになったと思う。それもこれも、坂本さんの入れ知恵やらヅラ子さん関係だったりするが、元々人と会話をしない高杉さんが仕事以外で自分から話すのは珍しいと伺った。私に合わせてくれているのかと一回考えてみたが、私も人と話さないタイプであるので、お互いが距離感を掴めないまま延長線にもつれ込んでいるのだろうと推測する。
書類を片付け、自分の仕事鞄に戻していく高杉さんの動作は早い。これから会社に戻ると言っていたし、また忙しい時期がやってきたのだろう。
出版社で働く社員の方々は余程新人でない限り何人もの、ジャンルも様々なクリエイターの担当をしていると聞くし、私の預かり知らないところで何かが動いているのだろうと思った。この気持ちも作品に取り入れたらどんな展開になるかと思考するが、人物像か自分寄りになってしまいそうだから止める。私のような面倒くさい人間を増やして、どうやって作品が展開していくだろうか。無理だ、無理。

「まだ残っとくか?」
「あー、はい。うん、そうだね。ちょっといい感じだから進めときたい、かな」
「そうか。複数作品の掛け持ちで、締め切り破んなよ」
「一度も破ったことありませんから。文字を書くことしか出来ない独身女ですもんで」
「ハッ、そうか。……無理すんなよ」
「高杉さんこそ。体調にはくれぐれも気をつけて。坂本さんにもよろしくって伝えておいて」
「あぁ」

席を立つ高杉さんを見送り、再度ノートパソコン画面に視線を移す。が、視界の端に何か映ったので視線を外したら、コースターの下敷きになっている千円札が見えた。きっとこれはポケットマネーだろう。粋なことをするもんだな、と、少しだけときめいたのかもしれない。キーボードで音を奏で画面に入力されていく文字の中で、恋、という字が踊っているように見えた。



「――という事で、先程作品データ送らせていただきました」
「あまりの早さにわしビックリ」

偶然にもヅラ子さんのお店で坂本さんにお会いしたので、関与しているしで、一応の報告をしておく。
バーの雰囲気やヅラ子さんのキャラクターも相まって私のお気に入り店舗の仲間入りをしてしまっているわけだが、出版社からも近くそりゃあ会ってしまう可能性も無いわけではない。ヅラ子さんか坂本さんに変わらず辛辣なので、構ってあげるための話提供だったのだけれど思いの外食いついてくれてよかった。

「あっはっはっはっ。しかしまぁ、ペンネーム先生の筆の速さには驚きしかないのう」
「そんな褒められるような事ですかね?」
「そりゃそうじゃろ。高杉も今頃読み進めてるかもしれん。修正してもらおうと必死にな」
「坂本、お前よりも一応仕事が出来る男だぞ。性根は腐っているがな」
「間違いない。あっはっはっはっはっ」

そんなこんなで昔馴染みの会話へと入れてもらっている。本日の高杉さんは残業なのだそうだ。それも坂本さんが押し付けたのでは、なんて想像してしまうのは、ヅラ子さんと残業中である当の本人からサボり魔だという情報を得ているからだし、現に私の担当をしてくれていた時も打ち合わせの約束を忘れていたり締切日を間違えていたりでてんやわんやだった経験が物を言っている。実体験以上に確固たる証拠はない。
ウィスキーをロックで飲みつつ、ふぅ、と溜め息を吐いた坂本さんは、昔は可愛げがあったのになぁと呟いた。

「ヅラ子さんと高杉さんは同級生でしたよね?」
「そうだ。小中高と同じでな。坂本は高校の先輩にあたる。先輩とは思いたくないが」
「おまんら、わしを先輩なんて呼んだことなかっただろう。呼ばれたかったなぁ」
「ん? じゃあ、坂本さんって……おいくつ?」
「言うとらんかったっけ? わし、名前ちゃんと同い年よ、同い年」

全くの初耳だった。その事を告げると、アルコールの影響もあってか笑い出す坂本さんの声は段々と大きくなっている気がする。うるさい。と、ヅラ子さんが一喝してくれなければ、鼓膜がどうにかなりそうだったので助かった。

「まさかでした。そうだったんですね」
「大人の男の色気っちゅーもんが出とるだろ?」
「皆無だ。出直せ」
「ほんにヅラは冷たいのう」
「ヅラじゃない、桂だ。いや違う、ヅラ子だ」
「……そうじゃ!」

何か思い付いたのか、スラックスのポケットから取り出した坂本さんのスマホ画面には、高杉さんの名前が表示されていた。何をしようとしているのか即座に理解したので、仕事中なのにと止めようと試みるがお酒の入った男性は止まる所を知らずとことん進み続ける。
微かに聞こえる数回目のコール音の後、高杉さんの声が漏れ聞こえた。

「たっかすっぎくーん。仕事の方はどうじゃー? んー、そうかー。いや今な、ヅラんとこで名前ちゃんの会って話しとるんだが、おまんも来るか? ……なんじゃ、切りおった」
「三十分以内で来るだろう。シャンパンを賭けてやる」
「お! じゃあ来んかったらわしが名前ちゃんの会計もシャンパンも出すぜよ!」

汚い大人の会話だった。いや、こうもしなければ働けないのだろうし、第一明日は一般的に言う週末の休みだ。カレンダー通りになるなら坂本さんも仕事は休みなのだろうし、日頃の鬱憤を晴らしてしまいたいのは理解できるのだけれども、人の行動を賭け事にするのは如何なものか。
まぁ、この展開を私は作中で使わしてもらうわけで。しかも賭け事に混ざってないので、損は無いから楽観視出来る立場で良かったと胸を撫で下ろす。
そして三十分以内に息を切らした高杉さんが現れたので、賭けはヅラ子さんの勝ちとなり、坂本さんのツケが私の分も含めて嵩んでいくのだった。

「じゃあねー。歯ァ磨いて寝ろよー。わしは姉ちゃんのおっぱいをぱふぱふして帰るからなー」

現実逃避も含めてすっかり泥酔しきった坂本さんが、未だに煌めくネオン街へと消えていった。店外で見送りながら、元気だなぁとそういう面は尊敬しても良いだろう。
仕事を無理に切り上げ、これまた無理に付き合わせてしまった高杉さんはと言うと閉店支度をする店内でぐったりと寝ており、ヅラ子さんが自宅へ送り届けるとのことだ。タクシーに相乗りさせてもらえることとなったので、坂本さんの姿が完全に見えなくなってから店内へ戻れば、カウンターに突っ伏す高杉さんに変化はない。
私の姿を視界に入れたヅラ子さんは着替えてくると言ってお手洗いの方へ向かったので、必然的に高杉さんの隣に座り様子を見ることとなる。
見る限り寝ゲロはしていなさそうなので大丈夫だと思うのだが、とりあえずチェイサーとして置かれている二つあるコップの一つを高杉さんの近くに置き、私自身も飲み過ぎた感はあったのでもう一つは自分で飲み干した。無味無臭なのに、あっさりとした舌触りと喉心地で意識が少し鮮明になってきた気がする。
そういえば、お酒というのも大人の醍醐味だよなぁ、と。基本的にあまり飲まないしこういったお店でしかお酒を頼むことはないが、確かに、と再確認してしまう。子供の頃の当たり前じゃないことが今では当たり前になっていて、子供の頃の当たり前が当たり前でなくなっている感覚だった。

「……、」

もぞり。隣に座る高杉さんが身じろいだ。このまま起きるかと思って声をかければ、頭がカウンターから浮き、焦点の合っていない右目と目が合う。

「大丈夫? お水飲める?」
「――……おめーは、変わんねーだな……」
「は……?」

明らかに誰かと勘違いしているようなので、ヅラ子さんに高杉さんが起きたことを告げるために声を出す口は手で塞がれ、鼻に、変な感覚。
高杉さんは普段絶対に見せないような座りきった瞳の形で、ははっとから笑いをし、またカウンターに突っ伏すのだった。
男性経験がそんなに無いからと言って、こんな事態に動揺するほど純情ではない自分自身に少し嫌気が差しながらも、改めてヅラ子さんを呼び帰り支度を始める。
戻ってきたヅラ子さんはどこにでも居るような男性の服装だったので、高杉さんを任すことにしてお店を出た直後タクシーが目の前を通ったので駐めて乗り込むなり行き先を告げた。
――そう。純情ではないし、これでも良い歳した大人だ。それでも、鼻は、駄目だろう。
溜め息が勝手に口から漏れ出る。何だったんだ全く。これは作品のネタにしないでおこうと、心に決めた。

(2020/08/07)

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