デッド・ラインを越えるまでに、


 

打ち合わせの日がやって来た。
気分は上々、体調も良好。肌のコンディションも抜群だ。悩んでいた日々が嘘のように、そして年甲斐もなくウキウキとしていることを客観的に考えてみれば、少し気持ち悪いおばさんに見えてしまうのかもしれない。それでもいいやと思えるのだから、女というのは現金な生物だと感じた。いや、人間という存在が現金な生物なのかもしれない。
打算的に動くというよりも、メリットとデメリットを考えて動くというのを意識して生活してみようか。そう考えるのであれば、今日の打ち合わせは私にとってメリットしかない。高杉さんにも逢えて、仕事の打ち合わせも出来て、本当に最高じゃないか。
本当は仕事無しに会うというのは一番なのだろうが、私にとって今の仕事は切っても切れない関係なのでそこは仕方がない。
結局はこの気持ちを押し隠さなければならないのだけれど。そこだけが唯一のデメリットか。まぁ何にせよ、待ちに待った今日なのだから至福のひと時を過ごすことにしよう。



「――と、いうことで、評判は上々だ」
「嬉しそうだね、高杉さん」
「担当作家が売れるんだ。喜ぶ他に何があンだよ」
「いや、そんな嬉しそうな顔してるので」
「……そうか」

奇しくも既存連載作品締切日は、例の新規作品の雑誌掲載日と重なり、高杉さん曰く高評価を得ているらしい。新しい試みだったというのもあり、一先ず胸を撫で下ろした。承認欲求ほどではないが、やはり自分の生み出したものがどう言われているのかは気にしてしまう。……いや、これは承認欲求か。
打ち合わせの内容とは全く関係のない事に首をひねっていれば、さも興味無さそうに目線だけを送ってきていた高杉さんが喉で笑った。

「そんな悩まねェでも、評価貰ってンだから良いだろ」
「えっ……あぁ、そうですね、はい」
「あ?」
「いやいや、なんでもないです。違います。そうじゃないんです。えっと……」
「なんだよ」

褒められて嬉しいと、思いました。――と、言葉尻の音が小さくなりながらもそう言えば、独特な笑い方をして高杉さんは、当たり前だろ、と言った。

「それは人間誰しもが持ってる承認欲求だろ。最近では他人を気にし過ぎるだの距離が気になるだの精神症状が知れ渡るようになってきたが、他人に褒められたい、評価をして欲しいっつーのは子供が親にテストで百点取れたから褒めて欲しいっつってんのと一緒だ」
「……高杉さん、意外と知的なんですね」
「ニュースやら世間の話題を取り入れつつ、それを作家に提供するのが担当の役目だからな」
「坂本さんは美味しいスイーツの話しかしませんでしたよ」
「あの野郎はあれが素だ。気にするとペースに巻き込まれて取り返しのつかないことになるぞ」
「りょ、了解です」

今後の作品の指標も定まり、書類を片付け始める高杉さんの所作はいつも通り綺麗だった。
指が長い。切り揃えられた爪先。紙媒体を扱うからか、皮膚の水分を吸われて少しだけ荒れている指の平は男性特有なのか、ほんのりと大きく見えた。
――駄目だ、これ。
ずくん、と震える心を抑えながら、それでも高杉さんの指から目が逸らせない。
どうしたのかと問われるまで、私の視線は離れなかった。
しどろもどろになりながらも誤魔化すが、高杉さんの鋭い視線は私を射たまま離れない。まぁいい、と納得してくれたのでと思うのだが、この人は年下なのにも関わらず私よりも冷静に物事を見ていて、なんだか場数が違うという雰囲気が漂っているのだ。妖艶とはまた違う、男の色気を醸し出しながら、巷で言うスーパーダーリンのように受け入れてくれるというか。
ある意味、高杉さんは駄目女量産機なのかもしれない。

「それでは、次またお願いします」
「あ、はいっ、こちらこそ」
「……そういえば、」

片付けが終わり、打ち合わせも終わり、仕事モードへと一瞬切り替わった高杉さんへの反応が遅れてしまったが、彼はそんな事気にせず本当に今思い出した要件を口にする。

「坂本にやってたように、原稿の渡しはデータで良いんだぞ」
「え……あ、そうですね……」
「評判も上々。今後の展開も問題ない。なら、直接会わなくても良いだろ」
「で、ですね! じゃあ、また締め切りまでに送ります!」

打ち合わせの時間だけは高杉さんを独占できていたのだが、大人らしくないワガママをぶつけてしまいそうになって、自分の頬を強く叩きたくなる。
私がどう考えていようと、高杉さんにとってはただの仕事仲間なだけなのだから勘違いをしてしまってはいけない。
何かあったらメールか電話か、何かしらの方法で連絡が来るのだから。気をつけろ、私。

「お疲れ様でした」
「はい、お疲れ様でした」

スーツ姿を見送って、見えなくなった時。盛大な溜め息が出た。
駄目なのだ。自覚してしまったからこそ、口からどんどん溢れ出そうになってしまって、閉じれる呪符とか無いのだろうかなんて馬鹿らしい妄想をしてしまう。
それでも担当者という繋がりがあるだけ感謝しなければいけないのに、もっとと望んでしまうのは私自身がまだ幼稚だからなのか。
成熟していない成人で三十路なんてお荷物過ぎる。
何度も深呼吸して、肺と脳に酸素を行き渡らせて、高杉さんの去って行った方向を一度だけ見た。
――それだけで、いい。
私も背を向けて、歩き出した。

(2021/01/14)

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