同棲、九十七日目。



どうしてこうも、自分の親は自分勝手なのだろうか。と疑問に思う事は今までで無かった訳ではない。むしろ、あり過ぎた。
休日に出掛ける時も、海外に出張する時も、大体は前日に話をされて納得せざるおえない状態に持っていかれる。現に、先生が一緒に住む事になったのもいきなりだった。
そして、今、目の前にはにこやかに微笑む両親が、椅子に座ってテーブルに並べられたコーヒーの香りを楽しみつつ談笑しているのだ。
普通、帰国するなら娘に一言あるのが普通ではないのだろうか。というか、なぜ先生は知っていてあたしは知らないのか。
サプラーイズ! とか言われても、ぶっちゃけ、殺意しか湧いてこないぞ。

「だってぇ、名前ちゃんっていつも反応遅いから、高杉くんに話をした方が早いかなって」
「流石に授業中とかは見れないけどさ。バイト中も見れないけどさ。娘ですよねあたし!?」
「蔑ろにしているわけじゃないんだし、マムを許してやってくれ」
「いやいやいや!? ちょっと外国で仕事しているからって呼び方どうした!?」

うちの両親はいつの間にか非常識な人間になってしまったのか、と思えてしまうくらいの変わりようなのだが、先生は気にせず、あたしの隣でコーヒーを飲んでいる。ブラックだ。砂糖も入れていない。
こういう時の先生は、イラついているか、それとも理性を以て感情を抑え込んでいるか、どちらかである。
つまり、あれだ。猫被りはまだ続いているという訳だ。

「まぁ、名前の事は晋助くんが見てくれているんだし、これと言って心配はしていないんだが……」

お父さんが言葉を濁す。
目線は、先生へ向いていた。

「なに? 先生に何か話したい事があるの?」
「……その、アレよ。名前に縁談の話をしに来たのよ」
「はぁ!!?」

あたしが声を出すのと同時に、目の前に座る両親は申し訳なさそうに微笑んだ。
縁談とか、あたしはまだ高校三年生で、いや、それは確かに結婚出来る年齢には既になっているけれど。いきなり縁談ってなんだ。
チラリ、と先生の表情を見たが、目を細めながらコーヒーを再度飲むしか反応が無い。

「向こうでの取り引き先の方がな? 息子はどうだと言ってきてくれたんだ。もし名前が良いなら、高校卒業と同時にあっちで一緒に住んで、その人と結婚しても良いんではないか、とね」
「いやいやちょっと待っ――」

あたしの声を遮るかのように、カシャン、と、食器同士がぶつかった、甲高い音がリビングに響く。
空になったコーヒーカップがソーサーとぶつかり、揺れていた。
驚く両親とあたしの視線を受けて、先生は、ゆっくりと視線を落とす。

「無礼を承知でお話させて頂きます」

そう言って、改めて両親を見る先生の眼帯の奥はどうなっているのだろう。先生は今から何を話そうとしているのだろう。
あたしには想像するしか出来ないし、断言も出来ないが、この空気を壊してはいけないと思った。

「以前、私の立場を承知しながらも娘さんとお付き合いのお話をさせて頂いた時、御二人は快くお認め下さいました。その点に関して、私はとても感謝しております。しかしながら、今回のお話は薮から蛇にも程があるかと」
「そうは言ってもね、晋助くん。私達も名前の今後を心配しているんだよ。進路の事で悩んでいるようだと、連絡をくれたのは晋助くんじゃないか」
「御二人が娘さんを大事に想っている事は存じております。そして、私も御二人と同じように、名前さんを大切に想っております」

先生の言葉に、思わず俯いてしまう。
いや、待って、これは、だめだ。この先は、年頃の女子高生がまともに聞ける内容では、無い。

「今後も、末永く私達の関係を見守って頂けませんか?」

いつものように、冗談話として話題を流したい。出来ない。声が出ない。全身の熱が顔に集まって、頭がぐるぐるしてくる。
膝の上に置いていた両手に力が入る。震える。どうしてあたしが恥ずかしくなっているんだ。
これも、全部、先生のせい、だ。

「……ふむ、」

お父さんの考え込む声。
次の一言はなんだ。早く言ってくれ。なんでもいい。娘はやらん、でも。わかった、でも。なんでもいい。
そうじゃないと、全身に力が入り過ぎて、固まって、あたしの心臓がギブアップしそうで、怖い。
怖い、怖い、こわい。
和やかな空気が一変してしまった事も、先生の雰囲気も、両親の沈黙も、全てが怖い。
怖くて、息が出来なくなる。

「お父さん?」

お母さんの穏やかな声が、張り詰めた空気に一瞬の風を吹かせる。

「……そうだな、お母さん」

緊張が、和らいだ気がした。

「虐めちゃってごめんなさいね。この人ったら、いつまで経っても子供から卒業出来なくて」
「いえ。私も、改めてお話はしていなかったものですから」
「今回の件は無かった。すまないな、晋助くん」
「ごめんね、名前ちゃん」
「――えっ、じゃあ、縁談の話…は、無くなったの?」
「そうよ、無かったのよ」

……は?

「なるほど。そうだったんですね」
「悪いな、晋助くん。君の話を聞けて良かったよ」
「名前ちゃんの卒業が近くなってきたし、晋助くんが居るとはいえ、日本に一人で置いていっちゃったから寂しかったのよねぇ」
「それが親心というものですので。理解出来ます」

違和感が残る。緊張の糸が解けたにしては、簡単に和やかになり過ぎではないだろうか。
ちょっと待って。この違和感はなんだ? あたしと先生との仲を、改めて認めてくれたって事なのか?
それにしてはちょっと、違和感しかないのだけれど。

「待って。ちょっと待って。先生もだけど、どうしてそんなに元に戻って話が出来るの?」
「ん? それは当たり前だろう。晋助くんは遠方とはいえ親戚なんだぞ?」
「いや、だからって、そんな簡単に話が出来るものなの? だって、縁談とかって、先生と別れろって、言ってるような――」
「さっきも言ったじゃないか。無かったって」
「え、それは、縁談の話を無かった事にするって……」
「違うわよ。無かった、のよ?」
「は…?」

切実に願う。誰か時間を巻き戻してくれ。
あたしの稚拙な脳みそじゃ、親の言っている事が理解出来ない。

「御二人も言っただろ? 無かったんだ」
「え? えっ?」
「こちらの事を心配した、御二人の嘘って事だ」
「――は、い……!!?」

理解した。
理解した上で、申し訳なさそうに微笑む母よりも、てへぺろコツーンとふざける父を殴りたくなった。
が、私の手の上に置かれていた先生の手のせいで、それが実行に移せず終わってしまう。
力んでいた身体は、いつの間にか解けて軽くなっていた。




「……晋助くん。あの話なんだが、」
「いえ、理解しています」

夜も深まり、外から聞こえる車のエンジン音も少なくなってきた。
明日は朝からバイトがある名前と飛行機による長旅で疲れた母親は、日付けが変わる前に自室へ戻っている。
残された男二人。華が無いわけだが、自分からすれば見知った親戚の家であり、相手からすれば自分の家なので、あまり気を使う必要は無い。
晩酌に付き合って欲しいと言われ、昔話を肴に話していたが、顔を赤くした父親の話し出す内容は容易に想像がつく。
それを遮れば、昔懐かしい笑みを向けられた。

「君は昔から聡い子だったね。だからあの子も懐いたのかもしれない」
「ガキの頃の話ですよ」
「そうだね。そうかもしれないが、君が成長するにつれて縁遠くなってしまって、それでも、娘が通う高校に君が居ると知って安心したんだ」

空になったグラスには溶けきれなかった氷しかない。
が、酒の残りを味わうかのように、父親はそれを口に含み、音を立てて噛み砕いた。

「名前を、……娘をよろしく頼むよ」

親とは偉大な者だと。自分が親という存在にあまり触れてこなかったからこそ、頭を下げるその姿にそう感じた。

「――俺も、昔話を、良いですか」
「あぁ。そういえば、晋助くんとまともに話すのは久しぶりだね」
「確かに。そうですね」

これは、昔話であり、酒が入ったことによる余興だ。

「何を言っているんだこの親は、と思いましたよ」
「久しぶりに会った時だね。昔話になるのかな?」
「なりますよ。俺にとっては」
「そうか。いいよ、続けてくれ」
「はい。ありがとうございます」

そうだ。面倒ながらも新入生の入学説明会へ参加しなければならない時。膨大な人数の中にこの家族を見つけてしまった。
説明会が終わった新入生は各々の教室へと移動し、手持ち無沙汰になった俺は一人仕事場へと戻ろうと踵を返した所で、呼び止められる。
そこから全てが始まったのだ。
十数年ぶりに会う遠い親戚の事を覚えている事に関しては流石に驚きもしたが、当時から海外へ赴かなければならない事が決まっていた親戚からの提案に、その驚きは掻き消されてしまう。
親戚とはいえ、教師と生徒であり、歳も離れている。追加すると、俺自身血縁関係も無い。そんな相手を信用しきって娘を預けるなんて、馬鹿な親だと思った。
だが――、

「校内で名前を見た時に、昔の想い出が蘇ってきました」
「変わってなかったからだろう?」
「そうですね。じゃじゃ馬のままでした」

そう言えば、父親は笑う。

「昔から名前を大切にしてくれていたのを、私達親は知っていた。だからそこ、君に名前を託したんだ」
「感謝しています」
「付き合うまでは想定外だったがね! 母さんに言われて気付いたよ。君が昔から名前に好意を寄せていたとね」
「女性には敵いませんね」
「はっはっはっ。本当にね」

尚更感謝しています。
しっかりと、父親の目を見て、そう答えた。
柄ではない。銀八がこの場に居れば、大爆笑するだろう。万斉も然り。それ程、俺は今、柄ではない事をしている。その自覚はある。
ただ、自分の思うままに。

「――昔から大事でした」
「気持ちは、あの頃のままかい?」
「はい。確かに学生時代は色々とありましたが。忘れた事なんてありませんよ」
「そうか……それを聞いて、安心したよ」

ゆっくりと腰を上げる父親。
その表情は、朗らかだった。

「男二人というのも偶にはいいものだな」
「…そうですね」
「そろそろ寝るとするよ。明日は会社へ行かなければならないしね。君も仕事だろ?」
「はい。とは言っても昼までですが」
「お互い、男の役割を果たそうか」
「そうですね」

おやすみ、と自室へ戻る父親の背中を見送り、飲みかけていた自分のグラスに残る酒を飲み干した。
二つのグラスを流し台へと持って行き、一息つく。
……これからをどうするか。
まずは名前を進学させる。これは絶対条件だ。周りには優秀な奴らが多い。必然的に協力はするだろう。
そして、野邊の事。アイツを黙らせるには、銀八の力を借りるしかない。銀八に頼むのは気が進まないが、今までの借りを返済がてら協力するはずだ。
一度決めた事は全てやり遂げて来た。目的は変わらない。必ず、やり遂げる。

「……らしくねェ」

だが、自分の思うままに、進むしかない。傷心的になったのは酒のせいだ。
そろそろ寝るとしよう。
リビングの電気を消し、自室へと向かう。
暗い廊下に一筋の光。自分の部屋からだった。


枕を抱いて座るガキ一人。

(2019/05/19)
(2019/09/06 再編集)