目の前の少女は実年齢と合っていない本数の指を立てて、へらっと笑いながら俺に自己紹介をしてきた。


同棲、九十九日目。



――祖母が死んだ。
その訃報は地元の新聞に載ったが、通夜や葬式に親戚友人は来ないものだと、家族全員が思っていた。
俺の祖母はややこしい人のようで、詳しくは聞かされていないが、俺の母親の母親ではあるが父親との血は繋がっていない。つまり、俺も祖父とは血が繋がっていない。
要するに、戦争時代のどうのこうのだ。
徴兵でどっかに派遣された実の祖父は、どっかの大陸で戦死し、祖母は幼い母親を連れて結婚した家の長男が、今の祖父になる。
祖父は俺が産まれた辺りで死んだらしいが、種違いの弟と連絡を取っていなかったようで。しかし、自分達の実母が亡くなったとあっては一大事にも程がある。
突然の訃報連絡を受けた俺の一家は、全員で祖父母の住む実家へと車を走らせていた。
まだ夜も明けていない中、突然起こされた事もあってか俺は不機嫌だった。
夏休みの真っ只中で、今日は万斉と会う予定だったのだ。いや、別に友人と会う事を邪魔された件についてはどうでも良くて、自分の睡眠を邪魔されたことに対して苛立っていた。
それに、夏休み中に死んだとなってはズルして学校を休めない。その事もあって、もっと空気を読んで死ねよと思った。

距離にして数時間。祖父母の住む家へ到着すれば、久しぶりに会う叔父家族が居た。
成人してすぐに家を出たらしい自分の母親と違って、ずっと祖父母と共に過ごしている叔父夫婦は、俺達家族を快く迎えてくれた。

「晋助くんも11歳か。叔父さん達と一緒に遊んだこと、覚えてる?」
「まぁ、はい」
「そっかそっか。良かったよ、久しぶりに会えて」

自分の母親が死んだばかりだと言うのに、叔父は豪快に笑って俺の頭を撫でてくる。
叔父夫婦には子供は居ない。出来ないというわけではないらしいが、子供の自分が聞いてはいけない事だと理解しているので突っ込んで聞いてはいけない気がした。

「姉さん、今日の通夜なんだけど。多分、俺達だけだと思うんだ」
「……そうね。そりゃあ、誰も来ないわよ。お母さん、親戚中から居ない人扱いだったし」

そんな会話を聞いたのは数分前だった。
俺しか子供の居ない家で何をするでもなく、どうするでもなく、同じ居間に居るのだからどれだけ小声で話されても聞こえてくる。
せめて俺がトイレやらに行っている時に話をして欲しい。とりあえず子供の俺が気を使って居間を離れることにした。とはいってもどこにも行くところはなく、ただただ広い昔ながらの日本家屋をアテもなく歩くしか出来ないので、何か暇潰しを探す。
そして家の中に暇潰しが全く無い事を理解して、大人しく庭先へと向かうことにすれば。

「――、」
「……?」

庭には、見たことがない子供の姿があった。早口言葉でもなんでもない。本当に、見たことがない子供の姿だった。
叔父夫婦に子供はいなかったはずだと思っていたし聞いていたけれど、それは自分の思い違いだったのか。母親に連絡がいってなかったのか、なんて考えてみるが、それなら先程到着した時に紹介されているはずだと考えを打ち消す。

「……お兄ちゃん、だぁれ?」
「俺、は……、」
「あらあら、名前ちゃん。早速お友達を見つけたのねぇ」

家の中から声がした。聞いた事のない声だった。
振り返れば、縁側に座る、やっぱり見たことの無い女性が座っている。

「はじめまして、晋助くんよね?」
「……はじめまして。高杉晋助です」
「おばちゃんはね、晋助くんの遠い親戚なの。その子は私の娘よ」

挨拶できるわね? と、娘だと紹介してきた子供に挨拶を促す女性の表情は、自分の母親よりも朗らかとしている。
母親から言われ、蟻の行列を見ていたらしい子供は立ち上がり、俺に向き直った。

「苗字名前、さんさいです」
「名前ちゃん、指が一本足りなくてピースになってるわよ」
「あっ……さんさい!」

母親から言われてはっとしたように指の数を増やす。その動作に、思わず笑ってしまった。

「お兄ちゃんは、だぁれ?」

そう聞いてくる子供に視線を合わすようにしゃがみ込む。

「…高杉晋助。11歳」

自己紹介すれば、名前と名乗る少女はへらと笑い、晋助お兄ちゃん、と舌足らずな口調で俺の名前を呼ぶ。
その日から、俺は名前と行動するようになった。
悪く言えば子守を任されたようなものだが、不思議と一緒に居る事に面倒などという感情は無く、学校の友人達と会うよりも楽しいと感じる数日間だった。
そう、その数日間でこの関係は終わるものだと思っていた。

「ごめんなさいね、高杉さん。お世話になっちゃって」
「いえ、こちらこそご迷惑をお掛けしましたし。夫も嬉しがっていますから」

祖母の火葬も終わり、もう帰るものだと思っていた苗字一家は、俺に何も相談もなく我が家へと泊まることとなったのだ。
歳の近い両親同士が意気投合したらしく、俺はもう少しの間だけ、名前の面倒を任されることとなる。
祖父母と叔父夫婦の家では会話を盗み聞く事が出来たが、自分の家ではそうもいかない。
深夜に会話する四人の話と葬式の合間に聞いた話をまとめれば、苗字一家は祖父の親戚のらしい。祖母とは何の関係も無かった。いや、祖父と祖母は夫婦なのだから関係が無いわけではないので、正確に言うと俺の家族とは関係が無かった。
今回の葬式も、参加した理由が従兄弟である苗字家の方が出席出来ないから、というものだそうだ。
そして、その遠さから名前の母親と俺の母親は嫁という立場で意気投合し、父親同士は趣味の話で意気投合した、と。
大人は面倒な生き物だと感じてしまったが、こんなややこしい話を名前が聞かなくて良かったと思う。
ややこしい家に産まれてしまった自分が言うのも何だが、この小さい子供にこんなややこしい問題を抱えさせたくない。俺の部屋で、俺のベッドで寝る子供の寝顔を見て、そう思った。

――翌日から、俺は名前を連れて遊びに出ることなる。
長期休暇を取得していたらしい俺の両親と名前の両親は四人で仲良く出掛けたので、嫌ではない子守りを任せられるのは目に見えていた。
住んでいる場所が全く違うためか名前の目は輝いていて、見るもの全てにあれは何、これは何、と聞いてくる。自分もよく知っているわけではないが、小さい子供相手に大人振れるのが嬉しかった。

「晋助ー、帰ってきてたでござるか」
「……万斉」
「おや? その子は?」
「親戚の子だ。葬式で会った。今はその親戚家族が家に居る」
「そうだったか!」

公園の前を通り過ぎようとすれば、俺の姿を見て走ってくる同級生の河上万斉。そしてその姿を見てか俺の後ろに隠れる名前。
俺と会った時のように万斉がしゃがみ込んで挨拶すれば、名前も同じように指の数が一本足りないまま挨拶したのだった。

三人で会うことも多くなり、夏休みももう少しとなった頃。苗字一家が帰る日が刻々と近づくに連れて、名前は俺のそばから離れなくなっていた。
あらあら、懐いちゃったわね。それは名前の母親談。俺の両親も、俺の後ろに引っ付く名前を見て、本当の兄妹のようだと言う。
俺の母親は、名前の母親と過ごす内に憑き物が落ちたかのような、柔らかい雰囲気となっていた。
息子の俺が言うのもなんだが、俺の両親――特に母親は、同級生の母親達に比べると性格が少しキツく、そして人付き合いが苦手だ。だからこそ、母親同士が意気投合するなんて思ってもみなかった。
母親が関係を持つ友人と言えば、成人してから知り合ったらしい俺の幼馴染みである銀八の親くらいで、たまに万斉の母親と話すくらいだろう。
これまた俺が言うのもおかしいが、交流関係は狭い。そして、浅い。
父親もそんな感じなので、そんな二人が意気投合するなんて名前の親は面白い人だと思った。

「名前ちゃん。明日には晋助くんとバイバイしなきゃなのよ?」
「やだー!」

帰り支度をする両親を見ず、俺にしがみつく名前の扱いをどうしたらいいものかと悩んでしまう。
子供の宥め方なんて、同じ子供の自分に分かるはずがない。どれほど言い聞かせても、名前は嫌だ嫌だと俺の服を握る手を離さなかった。

「じゃあ、名前ちゃん。こうしましょう」

俺の母親が手を叩いて、思い付いたように話し出す。

「良い子にしてたら、来年、またおばちゃんちに来てもいいわよ。そしたら、晋助とまた遊べるわ」
「そんな悪いわ。申し訳ないもの」
「いいよいいよ。名前ちゃんが晋助に懐いているのも何かの縁だし。僕も苗字さんとまた呑めるしね」
「いやぁ、そんな事を言われたら断れないなぁ」

以上、大人の会話だ。
何か裏があるわけでも無く、大人達は来年の夏の約束を取り付けている。
それに巻き込まれている子供は俺一人かもしれない。現に名前は、また来てもいい? と涙目で俺に訴えてくる。
仕方なく、また遊ぼう、と答えれば、最初に見せた時のような、へらっとした笑いを浮かべるのだった。

「晋助くん、お兄ちゃんと言うより先生みたいね」
「俺が……ですか?」
「言い過ぎですよ。ただの悪ガキだ」
「晋助おにいちゃん、わるがき?」
「ちげーよ」
「晋助。言葉遣い、気を付けなさい。名前ちゃんが真似したらどうするの」
「はいはい」

礼儀の厳しさは苗字一家と一緒に居ても変わらなかったか、と思いながら、そろそろ寝る時間だし名前を部屋へ連れて行く。
明日帰る事が寂しいのか、ベッドで一緒に寝る事になった。
おやすみなさい。そう言って眠る名前の顔は、笑っているように見える。
来年も名前と会えるのか。少し楽しみだ。
次はどんな遊びをしようか。
たった二週間の記憶を遡れば、虫を名前に見せて怖がらせた銀八の姿を思い出してしまった。
アイツにはもう会わせてやらねぇ。
その決心は固く、翌年、さらにその翌年も、名前が来る度に俺は一切銀八に会わせなかった。

「晋助兄ちゃんが、学校のせんせーだったら良かったのに」
「なんでだ?」

小学一年になった名前は、夕方のアニメを見ながら俺に言う。
俺はと言うと、リビングのテーブルで志望校の問題集と格闘していた。中学生になってからというもの、授業の進み方が小学校とは違い内容も濃い。
そして今年は受験生という事もあり、あまり名前に構ってやれない。以前のように外へ遊びに連れて行く事はなかなか出来なかった。
悪いとは思いつつも、志望校である進学先へと合格出来るようにしたい一心だ。合格すれば、今度はいつでも名前と会えるはずだから。

「学校ってね、つまんないの。晋助お兄ちゃんも万斉お兄ちゃんも居ないんだもん」

勉強も大変なんだよ、と付け足して、テレビの電源を消す。
初めて会った時よりもしっかりとした足取りで歩き、名前は俺の隣に座った。

「晋助お兄ちゃんに勉強教えて貰ったら、楽しそうだよね」
「これからもっと難しくなるぞ、勉強」
「えー、そんなのやだー!」

苗字一家の教育方針は知る術無いが、きっと子供の意思を尊重させて育てているんだろう。不貞腐れたように机に頭を突っ伏した名前が面白い。
一通り終わった問題集を閉じ、ガキの頭を撫でてやる。少しこそばゆいようで、クスクスと笑っていた。

「俺が教師になったら、ちゃんと勉強すんのかよ」
「するよ! 多分!」
「多分ってなんだよ」

妙に自信満々と発言する名前に笑ってしまう。多分、こいつは勉強が苦手になるんだろうな、と頭の片隅で考えた。
しかしながら、毎日飽きずに先生になって欲しいと言い続けられると、それはそれで辟易とするものだ。
それでも、帰り際に小指を突き出して笑顔で約束、なんて言われてしまえば、それに従うしかない。
突き出された小指に自分の小指を絡ませれば、ゆーびきりげーんまーん、と歌い出したので、本当に約束は守るんだよな? と問い掛ける。

「まっ、まもるよ! 指切りしたもん!」
「今のは俺が教師になるって約束だろ? お前が勉強するって約束はどうした」
「……おかあさーん、早く帰ろー!」

逃げられた。
一目散に迎えに来た車に乗り込んだ名前は、俺に向かって、あっかんべー、だと。思わず笑いそうになるのを堪える。
所詮、子供のままごとなのは理解していた。それでも、この小指の感触を覚えている内は、あの笑顔を覚えている内は――。
次はこちらから約束を取り付ければいい。来年の春からは会える距離に引っ越せるように、車を見送った俺は、自室に戻って参考書を開くのだった。


翌年、俺は故郷を出て銀魂高校へと進学する事となる。
何故か幼馴染みである銀八も一緒だったが、そこまで気にする事はない。
能天気なこの天パは、名前の事なんて覚えている訳もなく、天パが酷くなる毎に記憶を失くしてしまう病気なのだ。仕方が無いのだ。
入学してからは慣れない一人暮らしに加えてバイトも忙しく、実家に連絡する事も、俺が故郷から出てきた事を苗字一家に伝える事も出来なかった。

そんな日々が数ヶ月、数年続いたある日、俺は左目を負傷する事となる。
実習先の生徒に、鉛筆で刺されたのだ。
反抗期真っ只中の生徒だった。親も何も出来ず、子供の言うがままに生活をしたせいで横柄な性格になってしまったと聞いた。
両親の謝罪は事を穏便に済ませたいという、子供に似たワガママだったが、一方の子供は、目の前で血の海を見たからか、泣きじゃくりながら謝罪してくるという正にあべこべな状況。
結局、医療費や諸々を支払ってもらい解決したのだが、銀八が事の次第を俺の親から聞くなり爆笑しながら電話をかけて来たのは、記憶から抹消したい程である。
二度と見えない左目は眼帯で隠したわけだが、尚更、こんな外見を名前含めた苗字一家に見せれるものではない、と。昔の俺と比べられたら困る、と思い込んでしまった。
――まぁそれは、取り越し苦労だったのだが。

「歳か……」

うたた寝していたらしい。
昔の事を思い出すなんて、俺らしくもない。
換気のために保健室の窓を開けていたが、段々と季節は秋から冬に変わっているようだ。
壁に掛けてある時計を見れば、6時限目がそろそろ終わるという頃。寝ていたのは、20分前後か。
今日の仕事は暇の一文字で、こういった仕事上、暇な事は良い事だ。警察や消防と同じ意味合いである。
暫くすると授業終了のチャイムが鳴り、自分の仕事終了時間までの時間を計算した。このままだと珍しく定時で帰宅出来るかもしれない。
名前も今日はバイトでは無いと言っていたので、久しぶりにからかい倒せると期待に胸を膨らませてしまう。
昔の事を夢に見たのは名前の関係でもあったが、アイツが自分の進路に意味を見出したのは良い傾向だ。このまま、ブレずに進んで欲しいと思っている。
それは、恋人であり、親戚である自分の少ない願いの一つだった。

「――……柄でも無ェ」

ぽつりと呟く。
本人が覚えていない約束を、紆余曲折ありながらもこっちは守り続けたんだ。今度はそっちが守る番だよなァ。
今日の百面相はどうなる事やら。そればかりが楽しみで、仕方なかった。



俺を変えたのはお前だと言えば、どんな顔を見せてくれるのだろうか。

(2019/09/10)