同棲、百二日目。
保健室へと移動し、この職業になりこの歳になってからはあまり利用しない独特の雰囲気に、思わず懐かしいと思ってしまった。
簀巻きにされていた猿飛と山崎は俺に巻き込まれたという事情もあってか、高杉の厚意で保健室利用という授業の出席自体が免除される用紙を受け取り、五時限目が終わるなり解放された。
猿飛は仕方ないのだが、山崎は俺が巻き込んだわけじゃないからね。むしろお前が巻き込んだんだからね。そう言えば、知るか、と俺が悪いような返答されてしまったので、コイツには何を言っても意味がない事を改めて理解する。
昔っから何を考えているのか分からない。それはお互いがお互いに感じていることなので、もう慣れだ。俺もコイツも、昔っから何も変わっていない。
だが、一つだけ分かることはある。
保健室という自分のテリトリーに俺を連れてきたということは、何か重要な話をしたいのだろう。言わずもがな名前の事しか該当しない。今の俺達には、仕事上以外に該当する話題がそれしかないのだから、当たり前と言っちゃあ当たり前なのだが。
――いつから、まともに会話が出来なくなったんだろうな。
回顧してみるが、面倒なのでやめた。コイツとの腐れ縁なんて考えるだけ無駄だ。
「なんだよ。お前の大好きで大好きな名前ちゃんにフラれたか? もしかして、俺にチャンスくるー?」
「安心しな。それは一生来ねェよ」
「それはいくらなんでも辛辣過ぎね? いくらなんでも悲しいよ? 俺」
「おめーはふざける事でしか会話出来ねェのか」
ふざける事で間を持たそうとしているなんて事、とっくに気が付いているくせに。相変わらずいけ好かない奴だ。そう思っているのもお互い様なので深くは何も言わない。
「で、本当になんだよ? 担任業はこれでも忙しいんだぞ。用があるなら手短に頼みたいんですがねー」
「自分で言っただろ。名前の事だ。……いや、名前と野邊だな」
「今カノと元カノが同じ名前だと苦労するなぁ」
「銀八、余計な事ばかり喋ってっと、いくら温厚な俺でも我慢の限界が来るぞ」
お前のどこが温厚なんだよ! と思わず言ってしまったが、これに関しては高杉なりのジョークだったらしい。わかりにくいボケをかまされてしまった。
俺、コイツのこういう所、本当に嫌いだわ。
「お前、野邊と組んでるんだろ」
「何の確証があって言うんだ?」
「ンなもん簡単だ。お前も、野邊も、名前も、顔に出やすいんだよ。見てりゃあ理解出来る。それに――、」
高杉は言葉を一度区切る。
休み時間終了のチャイムが鳴り、六時限目が始まった。
「中学ン時、同じクラスだっただろ。お前と野邊が同じクラスだと紛れもない証拠が卒業アルバムにはっきりと載ってたぞ」
「お前……まだそんなん持ってたの? 俺ラーメンこぼして捨てたぞ?」
「物持ちが良い方でなァ。ついでに、だ。最近名前が此処に来る度、野邊が居るんだよ。謀ったようにな」
いやいや、それは俺関係なくね? と言ってみたが、目の前の男は全て気付いているようだった。――名前が保健室に、高杉の元へと行く度に、俺が野邊へ連絡していた事を。
委員会の仕事は担任から委員へと回す。保健委員の仕事は大きく言って二つであり、身体測定などの大きなものと、数カ月に一回ある学年クラス別の健康保険週間のアンケート集め、提出。追加で言えば、今の名前と高杉の関係は高校に通う生徒とその保護者代理。担任である俺が保護者用のプリントを配れば、名前は高杉に渡さなければならない。それを家で渡す場合は関与出来ないが、担任である俺からすれば校内で渡すように誘導するなんて容易なのだ。
他にも色々あるが、その全てを今日というこの時まで看過して俺や野邊の行動を観察していたとするなら、本当に性格の悪い男だと思った。
「……知ってんのか」
「知ってるも何も、今日とは別の意味でそこのロッカーに偵察が居たからな」
なるほど。俺が以前から派遣していた猿飛の存在も理解していたんだな。だったら、俺も腹割って話すしかないのだろう。
「いやぁね、俺は前からイライラしてたんだわ」
「…ほォ」
「高杉お前さ、今年に入ってどんだけ名前を悲しませてんだよ。泣かせてんだよ」
誰のせいだ、と言い返してこないので、多少なりとも言ったことの自覚はあるようだ。
腕組みをしたまま自身のデスクに凭れ掛かる姿が様になっていて、男である俺としては悔しい。
外見は置いておいて、コイツと俺のどこに違いがあると言うんだ。野邊が高杉に固執する意味も、名前が惚れてしまった意味も、俺からすれば何も理解出来ない。
「俺達と違って名前はまだまだガキで、多感な年頃なんだよ。それを理解せずに隠して黙って、その結果不安にさせて。お前は名前に何がしたいんだってなるワケ。俺からするとさ、お前の方がガキなんだわ」
高杉の表情は変わらない。残った右目は何も語らず、切れ長を維持したまま、そして真顔で俺を見つめてくるだけだ。
嘲り笑い合う仲だった幼馴染みなんて、結局はこんなもん。たった一つの亀裂で、全てが壊れていく。同じ人間を見ていて、その本質は違う。
同じ人間を見ているのは俺だけじゃない。何人もが同じ女に惹かれて、同じ女を自分のモノにしようと躍起になっているのに、目の前に居るコイツは、簡単にその女を獲得していきやがった。なのにこの現状ならば、惹かれていた誰しもが奪還したいと思うはず。
――俺のこの感情は、本心は、考えは、何も間違っちゃあいない。
「……それがお前の本心か」
「一歩も引くつもりなんて、さらさら無ぇよ。サラサラヘアーには憧れてるがな」
「ククッ。面白いもんが見れたな。面倒なお前が徒党を組んできやがるとは」
「何度も言ってんだろ。俺は本気だ」
「そうかよ」
「どうせ、俺に野邊との協力関係を解消させようとしたんだろうが、失敗したな」
「そうでもねェよ」
もう一度、高杉が喉を鳴らして笑う。
「おめーの本心が聞けたんだ。それ以上の成果はあるめー」
「…はっ、ほざけ」
「ほざいてなんぞいねェさ。確かに、元々はお前に協力させようとした。それは事実だ。だがな、俺の提案を簡単にのむなんてのも考えちゃあいなかった」
「まどろっこしく言ってんじゃねぇよ。お母さんに教わらなかったか? 言いたいことははっきり言えって」
「ガキなのはお互い様ってこった」
俺、お前のそういうとこ、嫌いだわ。そう言えば、奇遇だな、と言われるだけだった。
コイツは、俺が今まで行動してもあしらわれてきたことを嘲っている。諦めの悪いガキだと、そう言っている。
どれだけ名前にアクションを起こしても、どれだけ好意を伝えても、意味が無いと。お前のモノにはならないと。潔く負けを認めろと、伝えている。
空笑いが漏れた。眼鏡のブリッジを上げる。そしてもう一度、眼前に居る敵を見た。
薄ら笑いを浮かべ、自信に満ち溢れた鼻っ柱をへし折りたい衝動を抑え、口を開く。
「諦めねぇよ。俺は諦めが悪いんだ」
それだけ言って踵を返した。高杉の表情を見届けるのも、返答を聞くのも、もうどうでもいい。
保健室を出れば、授業中の静かな時間が流れている。ペタン、ペタン。俺だけの足音が妙に響いて聞こえた。
これでいい。これでいいんだ。アイツがアイツのやりたいことをして、俺が俺のやりたいことを出来ないなんておかしいだろ。俺も俺のやりたいことをする。
やっと同じ土俵に上がった。少し先を行っているのかもしれない恋敵なんて、すぐに追い越してやるさ。
「あらやだ。坂田先生、怖い顔してるわよ」
「誰のせいだ、誰の」
国語準備室に戻る気にもなれず、職員室へと向かうと件の主要人物と会ってしまった。
俺の表情を見るなり重要人物――野邊はクスクスと笑い出して、何のことかととぼけてくる。
女は怖い。特に歳のいった女なんて、好意を抱く相手に振り向いてもらうならなんでもする。まぁ、コイツ限定かもしれないが、少なくとも俺の周りの女という性別の人間は名前を除いて腹黒い奴ばかりだ。
「あーあ。俺もヤキが回ったかね。負け戦に加担するなんて」
「まるで私が晋助と一緒になれないみたいじゃない」
「そりゃそうだろう」
キョトンと首を傾げる仕草は、名前であって名前ではない。こっちの名前よりもあっちの名前の方が可愛げがあるし、第一、俺の敏感センサー様が反応しないので特に何も思わなかった。
頭をガシガシと掻き、次の言葉を待つ一時的な協力関係を築く戦友の考えなど理解していないフリをして、口を開くことにする。
「お前、来年結婚するじゃん」
戦友は機械的な笑いを浮かべるだけだった。
(2019/09/14)