同棲、百三日目。
六時限目が終わり、ホームルームが始まるまでトシにノートを見せてもらって、期末テストに向けての解説をしてもらう。やっぱり数学は難しくて、公式を暗記してもその使い方が解らないと意味が無い。国語や社会、英語と違って暗記と使用法が求められるなんて私からしたら難し過ぎるのだ。
なんでここまで勉強しなきゃいけないのかとか、そんな事を考えてしまったらノートに走らせるシャーペンが止まってしまいそうなので頭を振った。集中だ、集中。少ない時間でも頭に入れ込んで、期末テストに向けてひたすら勉強する。
まだ子供のあたしには、今はこれしか出来ないのだから。
「ホームルーム始めっぞー。席つけー」
だらしない口調で、だらしないいつもの服装を着た銀八が、ペタンペタンとサンダルを鳴らしながら教室に入ってきた。
自分の席に戻るトシにありがとうと伝え、ノートと教科書をカバンに詰め込んでいく。銀八の話は一応聞きながらも、これまたいつも通りに右から左へと流した。
「というわけだ。来週からの期末テストがんばれよー。他の学年よりもちょーっと早く始まるからって、後輩達をからかったりするんじゃねぇぞ。アイツらも来年、お前らにされた事を後輩にしちゃうからな? それが伝統になるの嫌だろ? 俺は嫌だね! って事で、はい、かいさーん」
やる気の無いショートホームルームを済ませた担任は、来た時と同じようにまたペタンペタンと音を鳴らしながら教室から出て行くのだった。
周りがなんて言おうが、出て行ったのであった。
「いや、俺、今お前の目の前に居るんだけど?」
「そして、それ以降その姿を見た者は居なかったのだった」
「名前ちゃんやめて!? 先生そういう死亡フラグ嫌いなんだけど!?」
「そうして、三年Z組には平穏が舞い降りたのだった」
「敵なの!? 俺、敵だったの!!?」
帰り支度を続けるあたしに銀八が近付いてきたのは分かっていた。
いつもの事かと教室を後にするクラスメイトや、何事かと遠巻きに様子を伺うクラスメイトが居たりと、いつもならショートホームルームが終わるなり閑散とするはずの教室には掃除当番以外も残っている。
だから、この担任は直接的に話を切り出しにくいはず。
スカートのポケットに入っている携帯を握りしめる。六時限目が終わってすぐの会話。その内容があたしの頭の中でずっと反復されていた。
「あのさ、進路の事で話があるんだけど?」
「進路? なんで? 来月の面談にはちゃんと母さんも来るし、センター試験も近いんだから話す事とかあったっけ?」
「いや、お前期末に向けて頑張ってるだろ? だからそのアドバイスとかだな……あとほら、昼休みの事とかあるだろ?」
「昼休み? あぁ、あれならもう大丈夫。解決したから」
「解決した……?」
銀八が疑問をそのまま顔と口に出したので、そうだよ、と素直に言う。
あたしが昼休み、銀八に相談した事は全て、解決したのだ。
それを言っていないから知らないだけなのかもしれないけれど、正直、銀八なら気付くと思っていた。――あたしが、保健室に居た事を。
「なんか、連絡あったのか?」
「うん、あったよ」
「そっか……」
ならいいんだ、と頭を掻きながら、銀八は今度こそ教室から出て行く。その様子を見届けたクラスメイト達が各々の行動を再開し始め、また平穏な放課後が始まった。
「なぁ、名前」
出て行ったはずの銀八が、ひょっこりと扉から顔を出す。
「そんなに、アイツのこと好きなの?」
その表情は、多分、真剣そのもので、冗談を言う風には感じられない。
だから、あたしはそれに応えるように、笑った。
「うん、好きだよ」
「……ん、分かった。――気をつけて帰れよお前らー」
今度こそ、銀八は教室から去って行く。
教室の扉がキチンと閉まったことを確認して、数人があたしの元へと集まってきた。
「……何かあったの?」
「まぁ、ちょっとね」
「良いのよ。名前はそれで。今回の事は銀さん……銀八先生が悪いわ」
妙から心配され、さっちゃんからは庇われる。その状況から何かを察したらしい九ちゃんから、今日はボクが主催者でもいいかな、という一言が出てきた。
これは、毎月恒例になりつつある女子会のフラグか。
まだ教室に残っている女子数人を引き連れて、期末テスト前だというのに、あたし達は適当に笑い合いながら学校を後にした。
だんだんと神楽が不機嫌になってきたが、行く先といえば勿論、神威さんのお店だ。
期末テスト前になに遊んでんだ、なんて先生に言われそうだけれど、まぁ今回限りは許して欲しい。だって、そもそもの原因は先生なんだから。
「それでそれで? 何があったの?」
それぞれが飲み物を注文した後、運んできた神威さんが意気揚々とやって来た。神楽の心底そう思っているだろう、ウゼー、の声に笑ってしまう。
お客さんも疎らになって来る時間帯だからか手の空いた神威さんは暇らしい。自分が座る椅子を近くのテーブル席から拝借し、あたし達の女子会へと参加する。
「バカ兄貴は呼んでないヨ」
「やだなー、バカ妹。兄ちゃんは名前ちゃんに興味があるだけで、お前の意見は聞いてないんだよ」
「まぁまぁ。二人とも落ち着くッス。よいしょっと」
「なになに? 面白い話なら俺も混ぜて欲しいものだなぁ。どっこいしょっと」
「二人とも仕事サボってなに参加しようとしてんの? 殺しちゃうぞ」
「いやいや、神威さんもそうですからね!?」
あたしがそう言うと、じゃあ少しならいっか、と言って、同席者が増えてしまった。
女子会が女子会じゃあなくなってしまったのだが、今日の主催は九ちゃんであるので、全員が九ちゃんへと視線を向ける。
一度に注目され慣れていない九ちゃんは戸惑いながらも、何かアドバイスが戴けるなら、と言ったので、神威さんがいつもの笑顔で任せてよ、と頷いた。
また子からのアドバイスは難しそうだろうなぁ。神威さんはふざけないのであれば、いいアドバイスをくれそう。実際に色々相談させてもらってたし。阿伏兎さんは……わからない。どうなんだろう。
「大丈夫、大丈夫。こう見えておじさんもいい歳だから。ちゃんとアドバイスはするって」
「伊達に何年も留年してないもんね、阿伏兎は」
「その一言は余計だろ……」
「――とりあえず、今日は柳生さんが主催なのだし。何を話すのかとか、いきなり呼び止められた私達は全く分からないんだけど?」
「そうですね、姉上。このお茶とても美味しいです」
「アンタはお茶飲みに来ただけならリコーダーでも咥えてなさい」
「咥えてなんて、そんなっ、銀さんのを咥えるなんてっ、あぁっ!」
「いやもうカオスだから! 話が何も進まないから!」
とりあえず、妙が暴走しだすさっちゃんの口におしぼりを咥えさせて黙らせる。
コホン、と九ちゃんの咳払い。本日の趣旨を話し始めた。
「ボクが気になるのは一つ。名前と坂田先生の間に何があったのか」
「確かに、さっき変だったわね」
「先生がですか?」
「あたしが、でしょ?」
姉である阿音は鋭いのに、妹である百音は何も気付いていなかったようでリコーダーから口を離してちゃんと喋りだす。あたしがそれに乗っかって口を開けば、さっちゃん以外の全員が頷いた。
神威さん達喫茶店組三人は何のことかわからないので、それに気付いた九ちゃんが掻い摘んでショートホームルーム後の数分間に渡る出来事を伝えれば、あの先生がおかしいのはいつもの事じゃ? と言ったのは阿伏兎さんだった。それにはとても同意するが、今回は真面目すぎておかしいの意味に捉えて欲しい。
「んっとね、それを説明するにはさっちゃんのおしぼりを取らなきゃ」
そう言えば、神楽が少し乱暴に、さっちゃんの口に入ってたおしぼりを取る。
その反動で額がテーブルへ勢い良く引き寄せられたが、大きな音が鳴るわけでもなく、さっちゃんの頭は寸止めで止まっていた。
「そうね。どこから話せばいいかしら」
ドMモードではなく真面目モードになったさっちゃんが眼鏡のフレームをクイ、と上げた。
「分かるようにでいいよ。ある程度まとめてくれて、分からなかったら聞くからさ」
「わかりました。では、先月の話から始めます。――時は20XX年」
「何それどこの神拳使う漫画の冒頭!?」
「体育祭が終わって、数日経ってからだったわ」
「急に普通になったッスね」
「ロッカーを開けて、銀さんが私に言ってきたの」
「ロッカー? この嬢ちゃん、ロッカーに住んでんの?」
「高杉先生の行動を調べてくれって」
阿伏兎さんの疑問には誰も答えず、さっちゃんの話に耳を傾ける。
事情を知っているあたしは聞き流しながら、神威さんの煎れてくれた紅茶をひと飲み。うん、やっぱり美味しい。
「最初はね、名前から頼まれたと思ってたのよ。だから授業中も影武者を用意して、保健室のロッカーに居たりしてたの」
「全然気付かなかったわ…」
「ピィー」
「それでね、高杉先生の事を銀八に伝えてるのに名前は悩んだりしてるし、と思ったらいつも通りになるし。なんだかおかしいなー、こわいなーって思ったんですよ」
「その喋り方面白いね。夏の風物詩みたい」
「みたいじゃなくそうアル」
睨み合う兄妹。一触即発の雰囲気を元に戻すのは話し続けるさっちゃんだ。
「そしたら今日、名前が高杉先生の事を銀さんに相談してるじゃない? 私としては疑いたくなかったけど、友達も裏切りたくなかったから。保健室に向かうついでに連絡したのよ。ロッカーから保健室に向かいなさいって」
「待った。この嬢ちゃんが使うロッカーってなんなの? どこでもドアなの?」
「違うよ、阿伏兎さん。四次元ロッカーだよ」
「さっちゃんの使うロッカーを使えば移動教室なんて楽勝ネ」
「一回の使用につき、100円払わなきゃ使わしてくれないけどね」
「ピー、ピーヒョロロロロロ」
「リコーダーでなに奏でてんの!? もう家は私が継ぐからリコーダー吹きになれよ!」
「先輩たちの会話が異次元なのはわかったッス……」
「それで、名前は五時限目の自習中にお腹が痛いって言ってロッカーに入ったのね」
「帰ってくるのが遅いからボクは大きい方をがんばってるんだとばかり…」
「うん、そうだよ。あと九ちゃん、大きい方はしてないよ」
ここからはあたしが話す番だ。飲み終わったカップをソーサーに置いて、ひと呼吸。
ロッカーから聞こえてきた会話を掻い摘みつつ皆に話すことにしよう。
「――……で、銀八、野邊先生と組んでた」
あたしの話をどう捉えられたのかはわからない。けれど、聞いたことを全部話したんだ。嘘は言ってない。
さっちゃんは予想していたみたいで、複雑な表情を浮かべている。
「ごめんなさい、名前。私、」
「大丈夫だよ。さっちゃんも言ってたでしょ? 悪いのは銀八だって」
銀八のお願いをさっちゃんが断れないのも理解出来るので、あたしはさっちゃんを責めることはしない。
生徒の好意を利用した銀八が悪いのだ。クズ教師、クズ担任。人の恋路を邪魔する奴は校庭に現れるワンちゃんに噛みつかれていればいい。
「その先生ってあの時居た先生だよね?」
「あの時ッスか?」
「また子は知らなくて当たり前だけど、夏休みの間に補修合宿があったんだよ。3Zだけね。その時に神威さん達も来て、野邊先生も来たの」
あの先生は私もあんまり好きじゃないッス、とまた子が言う。
嫌われてるねー、と阿伏兎さんが笑った。
「会話を聞いた後、丁度六時限目も終わったし教室に戻ろうとしたらロッカー開けられてさー。ガッツリと先生とごたいめーんしちゃって」
「それで、高杉先生はなんて言ったの?」
「聞いた通りだって。あと、銀八には気をつけろって」
後もう一つ言われたけれど、これは黙っておこう。これはあたしと先生との約束だし。
「だからあの時、名前の顔が強張ってたんだな」
他の席からの声。座っていたのは近藤を筆頭にいつも仲が良いのかわからないトシ、総悟、退の四人だった。
いつの間に、と思ったが、それこそいつの間にか神威さん達が座っていた椅子が片付けられて、三人とも仕事に戻っている。話に夢中で全然気に留めていなかった。
「俺達も心配してたんですぜィ。でも土方のヤローが止めやがって」
「そりゃ止めるだろ。踏み込んで聞けるわけもねぇしな」
「……土方スペシャルおまちどうッス」
作り笑顔も何も無い真顔のまた子が、トシしか頼まないマヨネーズ盛り盛りのどんぶりを運んでくる。なんでそんなメニューが増えているのかと思ったが、退の実はよくこのメンバーで来ているという新情報で納得した。
というか、退も被害者だよね。ごめんね。
「先輩たち。私、坂田先生が野邊先生と密会してるとこ、何回か見たことあるッスよ」
「でかしたまた子。伊達にパンツの染み作ってないアル!」
「染みなんて付いてねぇから!!」
「来島さんって新聞部よね? 写真とか無いの?」
「カメラ持ってなかったんで。次見かけたら写真撮っとくッス」
「別に写真は要らないよ?」
あたしの言葉で、全員が疑問を口に出した。
証拠があったら銀八を問い詰めれるとかを口々に言われるが、ぶっちゃけ、これはあたしと先生、そして銀八と野邊先生の問題だから皆を巻き込みたくない。それは本心で、ちゃんと皆の目を見て伝えれば、全員が開いた口を閉じる。
「……それでいいのか?」
「うん。良いの。問い詰めるとか、許す許さないじゃなくて。一応担任だし、銀八も何か事情があるのかなーって」
「ねぇ、名前」
「ん? 妙、どうかした?」
「あなた、まさか気付いてないの?」
「え? 何が?」
あたしが聞き返せば、今度は皆が一斉に溜め息を吐く。
「まさかここまで気付いてないとはねィ。こりゃあ先生にちょっと同情しまさァ」
「ついでにマヨ野郎とバカ兄貴にも同情するヨ。あとグラサン」
「こらバカ妹ー。俺は何も言ってないぞー。余計な事言ったら殺しちゃうぞ」
「名前先輩……あたしとの事思い出したくもないと思いますけど、思い出して欲しいッス……」
「そうだな。あの時の来島さんは酷かったとボクも思う」
「え? え? 皆なに言ってるの…?」
今度は皆の言葉にあたしが疑問を浮かべる番だった。
訳が分からない。何だって言うんだ?
「あのね、名前。私の口から言うのもおかしいと思うんだけど」
「さっちゃん……?」
「銀さん、あなたの事が好きなのよ」
「……………はい?」
衝撃的な事実過ぎて頭が大混乱しだす。
確かに、確かに何回か好きだとか言われたような気がしないこともないけど、それは教師と生徒で、そういう意味のものだと思ってたんだけど。
銀八があたしを好き? LOVE? いやいやいや、おかしくない?
「これは真実を告げないと名前さん理解出来ないんじゃあ…」
「そうだな。よし、トシ、お前が言ってやれ」
「なっ、なんで俺!?」
「良いんじゃねェですかい。土方さんが名前にフラれた第一号なわけなんですから」
「おい総悟、お前表出ろやこの野郎。その腐った性根を叩き直してやる」
「止めて下さいよ二人共ー。此処お店の中ですよ」
コホン。と咳払いをしたのは、九ちゃんじゃなくて妙だった。笑顔のままあたしを見てくる。背後に般若は見えないけれど、なんだか呆れられてると感じてしまう。
「あのね、銀八先生は名前が好きで、高杉先生なんかと付き合っちゃったもんだから野邊先生と協力して別れさせようとしてるのよ」
「なんかで悪かったな」
妙の言葉も衝撃的だったのだが、それよりも喫茶店の扉を開けて入ってきた男性にも衝撃的だった。何故、先生がここに来てるんだ?
「俺が呼んだんだよー。晋助の話だし、面白いかなって」
「仕事しろよバカ兄貴」
「仕事しろよ変態保健医。って土方さんが言ってますー」
「言ってねぇよ!!?」
「安心しろ。定時で終わらした」
「いやまだ部活動やってる時間んん!!」
ツッコミを入れたのはあたしだ。店内の壁掛け時計を見れば17時30分を過ぎたくらいで、本当に定時辺りで終わらせて車を走らせてきたんだろう。喫茶店の駐車場には見慣れた赤いジャガーが駐車されていた。
「猿飛」
「なんですか…?」
「今日は助かった。今度銀八とベッド使っていいぞ」
「それ教師が言っちゃいけないやつですから!!」
あぁもう、先生が居ると調子が狂う気がする。でももういいや、と数時間前に言われた最後の言葉を思い出して諦めた。
先生はあたしに向かって帰るぞ、と一瞥。有無を言わさない目線に返事をし、席を立つ。
神威さんに生徒達の会計を全て払った先生は、あたしが付いてきたのを確認するなり喫茶店を出て行った。
「みんなー、また明日ー!」
ちゃんとさよならの挨拶はする。これ基本。
先生の車の助手席に乗ってシートベルトを締めれば、静かに車は発進する。
終始無言の先生に向かって約束は守ってくださいねと言えば、先生お得意の喉を鳴らす笑い方で返事をされた。
俺が必ず護るなんて、先生らしくないにも程がある。
(2019/09/16)