同棲、百四日目。
銀八の件も、野邊先生の件も、全部先生に任せておけばいい。というか、俺に任せておけ、と先生が言ってくれたので、本当に全部任せてあたしは期末テストの為、センター試験の為に勉強をする日々が続いていた。
先生との会話は勉強に関する事がほとんどだったから、あの日以降詳しい話を聞けないでいる。気にしていないわけではないけれど、銀八は普段通りだし野邊先生とばったり会うなんて事も無かったからか、逆に気になってしまうなんていうのは押して駄目なら引いてみろっていう恋愛の駆け引きに似ていると思った。
実際は全く違うのだが、何も無いからこそ気になるというものだ。
気になったまま期末テストを迎え、トシや妙のお陰でテスト自体は問題なく実力を発揮できたと思うのだけれど、頭の隅っこに先生達の事が常駐している感覚。どうせ先生に聞いても今はテストに云々と誤魔化されるだけなので、最終手段を行使しようと思う。
「という事で、さっちゃんお願い!」
「嫌よ。ただでさえ今はテスト中なんだから。余計な事に時間を割きたくないの」
「それはご最もです……」
本日のテスト科目を終え、帰り支度をするさっちゃんを呼び止めてみたものの、普段はドMで変態ストーカーなクラスメイトもあたしと同じで受験生なのだ。真面目モードとなれば、そりゃああたしなんかの為に有限である時間を使いたくないだろう。
そこを何とか、と縋ってみるものの、答えはNOの一点張りだった。
「一応ね、負い目はあるのよ? でもね、それとこれとは話が別。本編だったら良かったけれど、今の私達は学生で受験生なの。その役目を全うしなきゃ」
「それもご最もです……」
「第一、そんなに気になるなら高杉先生に聞けばいいじゃない」
「聞いてもテストの方がーって言われるだけだもん」
そりゃそうね、とさっちゃんが納得しながらうんうんと頷いた。
あたしだって理解はしているのだ。受験前の最後のテストで、勉強以外に頭を使う余裕なんて無いと充分に分かっている。それでも、一回気になったら気になり続ける性分なのです。
「正論を言われてるのに食い下がるなんて、ほんっと子供なんだから」
「さっちゃんも同い年じゃないか」
「駄目よ、名前。猿飛さんを困らせちゃ」
「でも……さっちゃんしかお願いできないんだもん」
「今から図書室でテストの自己採点する予定でしょ? ほら、行くわよ」
「あっ、待って、痛い、耳は痛い! 引っ張るならせめて腕にして! 妙の馬鹿力ゴリラ!」
「今なんつったコラ」
「ごめんなさーい」
さっちゃんに呆れた表情で見送られながら、妙に引っ張られて教室を後にする。廊下には既に元風紀委員の面々と神楽と九ちゃんが待機していた。
あたしが来るのを待ってくれていたようで、おまたせーと軽い気持ちで言えば、なんだか笑われたような気がする。嘲笑か。これが嘲笑ってやつか。
「名前はこうでなくちゃ名前の意味がないアル」
「神楽にとってあたしの存在はなんなの? ペット的な位置なの?」
「少なくとも土方さんはそうだろうねィ。あー、愛玩の間違いか」
「黙れ総悟。それ以上言いやがったらどうなるか分かってんのか」
「やめとけ、お前ら。俺達三年はテスト期間だが他の学年は授業してるんだ。騒がしくしたら駄目だろ。あ、俺はお妙さん専属の愛玩ゴリラなんで――」
「失せろゴリラァァ!!」
「ぶべら!!」
「死ね土方ァァ!!」
「お前ドサクサに紛れて何言ってんのォォ!!?」
「妙ちゃんを愛玩にしていいのはボクだけだァァ!!」
「柳生お前言ってることおかしいからね!!?」
「私の愛玩は酢昆布だけで充分ネ」
「ほらー、早く行かないと図書室の席埋まっちゃうよー?」
「名前さん切り替え早っ!」
いつの間にか居たらしい地味ーズにあたしまでもツッコまれてしまったが、時は金也。タイムイズマネー、だ。受験生にとってはテスト後の時間も有限なのだ、うんうん。
あたしが先陣をきって歩き出せば、ワイワイ言いながらも付いてくる団体さん。ぞろぞろと移動する様子をまだ校内に残る同学年の生徒や、移動教室中の他学年の生徒に見られたが、まぁ気にしない。
これはあれだ。修学旅行生を引率するバスガイドさんみたいな、そんな感じだ。こんな好き勝手する修学旅行生の引率なんて、あたしは絶対嫌だけれど。
図書室に到着すれば、何人かの生徒が机に向かって勉強していた。テスト後の三年生にのみ自習室として開放されている図書室には、監督教師が絶対居ると聞いていたのだが今は居ないようだ。
受付カウンターにある名簿表に全員分の名前を記入したが、どうしても地味ーズの名前が思い出せなかったので、三年Z組の地味ーズ1、2と記入しておいた。大体の先生はこれで分かるだろう。扱いがひどいわけではない。存在感の無さが一番の問題なのだ。
使用場所を大テーブルとも書いておいて、またぞろぞろと移動する。円卓になっている大テーブルに腰掛けると、右隣にトシが座り、左隣に妙が座った。
……これは、サボれないフラグですね。
「わかんねーとこあったら聞けよ」
「ありがとう、トシ」
「ゴリラが出てきたら言ってね? ぶん殴って黙らせるから」
「うん、ありがとう?」
そのゴリラならトシの右隣に座っているのだけど、このゴリラ以外にゴリラって出てくるのだろうか。――いかん、いかん。今は今日のテストの自己採点しなければ。
スクールバッグから本日受けた英語と数学の問題用紙、それからそれぞれの教科書とノートを取り出す。テスト範囲に貼っていた付箋を目印に、問題用紙に記入していた回答と照らし合わせて答え合わせ。英語は、まぁ大丈夫だと思うけど、問題は数学だ。中学よりも難しくなった数学はあたしの頭を悩ます教科の内の最強ポジション。RPGでいるところの魔王だ。しかし、今日のあたしは初期装備で挑んだわけではない。勇者の剣と勇者の盾、そして勇者の鎧で魔王に立ち向かったので、まぁまぁの点数は獲得できているはずなのだ。
「……ねぇ、トシ」
「なんだ」
「この点数おかしくない?」
「おかしいかどうかと言われれば難しいな」
「ですよねー」
自己採点の結果は68点。可もなく不可もなく。確実に平均以上はあるだろうし、赤点では無い。あれだけ勉強したのにこの点数は、自分の頭の悪さに呆れを通り越して諦めの感情が侵食してくるというものだ。
左右隣の自己採点を盗み見れば80点以上。うん、元々の出来が悪いのだ。仕方ない。
気を取り直して英語に取り掛かろう。暗記だし文法を間違えなければ良いだけ。こっちは少しだけ自信がある。……マル、バツ、マル、マル。
「なんで!?」
「声が大きいわよ、名前」
「いや待って、だってなんで68点!? 数学と一緒!? なんてミラクル!?」
「今までギリギリ赤点セーフラインだったし、名前にしては成長してるアル」
「神楽には言われたくないけど成長してこれ!? やだ、あたしの学力低すぎ!!」
「今更でさァ」
三年間もクラスメイトをやっている全員にとってはそれでも頑張った方だと褒めてもらえるが、この成績では非常にやばい。何がやばいって高杉先生に殺されるかもしれないのだ。あの人無駄に頭良いし、無駄に教えるのも上手いし、無駄に喉をくつくつと鳴らして笑うし、そんな先生に家でも教えてもらっていたのに、この点数だと怒られる気しかしない。
「うおおおおあああぁぁ……」
「大丈夫なんですか、姉上。名前さん、壊れましたけど」
「仕方ないのよ。今まで好き勝手してきたツケが回ってきたのね」
「終わったことは取り返しようがないからな。ボク達もそうだけど、明日からのテスト対策を必死にするしかないだろう」
「……国語……社会……銀八……殺す……」
「ちょっとォ!? 物騒な事言い始めましたけどこの人ォォ!」
「今の名前にとっちゃあNGワードですねィ」
「元々国語は出来る方なんだから大丈夫だろうと思うんだが…」
「テスト中に問題説明で銀八が教室に来た瞬間、殴りかかりに行きそうな勢いだな…」
「姉御がゴリラの顔を見たら殴るのと一緒アル」
みんなの会話が聞こえてこないくらいに頭がぐるぐるとしてくる。
最終手段の実行が出来なかった。このままではあたしの点数に響いてしまう。くそ、銀八め。大人気ないことしやがって。
ガタ、と立ち上がれば、テーブルが少し揺れた。
「気になり過ぎて気になり過ぎてるから、ちょっと特攻仕掛けてくる」
「特攻って、どこに?」
「保健室!」
テーブルに広げていた物を全部スクールバッグに入れ、ファスナーを締めてから肩に掛けた。
「みんなお疲れ! また明日!」
思い立ったらすぐ行動。それがあたしのポリシーだ。今だけのポリシーを胸に図書室を飛び出して行く。目指すは保健室。
廊下を走る途中に河上先生にすれ違ったけど、挨拶なんてしている暇なんて無い。時は有限!――と何回も確認しているはずなのだが、河上先生があたしに用があったようで、呼び止められた。
「晋助なら来客対応中でござるよ」
「来客……? というか、なんで河上先生、あたしが先生に用があるって…」
「なに、ただの勘でござる。そもそも連絡する暇がないという晋助に代わって、拙者が苗字さんに託けを頼まれていたんでござる」
なるほど、と声を出した。と同時に、なんであたしにそんな報告を? と疑問に思った。
まさか、あたしが自分の元へやって来る事を想定してたのか? そう考えればなんとなくそんな気もしてくるけれど、それってなんてエスパー?
「来客に関して苗字さんを呼んでくるようにと、頼まれたんでござる」
「先生に来た来客なのに、あたしを呼べと? んん? んんんんん?」
訳が分からない。どうしてあたしが必要なんだ? 疑問が疑問を呼んで、そしてまた疑問が増えていく。
「そして拙者も呼ばれているでござるよ」
「えー? もう何が何だかわかんなくて頭がショートしそうなんですけどー?」
「そうでござろうな」
あたしの心境では笑えない状況なのに、笑う河上先生の精神がわからない。もう何が何だか。
河上先生に案内され、着いた先は第二応接室と書かれていた。一般生徒が利用する場所ではないし、むしろこの銀高にそんな場所があったのかなんて三年間通っていた新事実にビックリする。
普段は生徒が使用する事なんてほぼ皆無である為か、来客用入り口の近くにあるその応接室は、周りに教室もなくただ静かな空間に二箇所だけあった。そりゃあイチ生徒のあたしが知るわけもない。河上先生曰く、自分も利用するのは久しぶりとのこと。大体は校長や理事長が使うことが多いそうだ。
ノックをして失礼します、と河上先生の後ろに続いて応接室に入れば、椅子に怪訝そうな表情で座る先生の姿が目に入る。その対面上には、見たことのない女性が座っていた。
これは、あれか。元カノ来襲ってやつなのか。それにしてはややお歳を召していると思われる女性。その人はあたしの姿を見るなり、柔らかい匂いを振り撒いてあたしに抱きついてきた。
「久しぶりね、名前ちゃん。こんなに大きくなって、もうおばさん嬉しい」
「えっと……? ど、どちら様ですか……?」
「安心しろ名前。赤の他人だ」
「それ全く安心できませんけど!?」
怪訝な表情のまま、先生が言う。きゃっきゃとあたしに抱きついたままの女性は離れるなり、先生を見て生意気な子との発言。
これは、もしや――、
「覚えてないって聞いてたけど、本当に覚えてないのねー。晋助の母です」
「おっ、お母様でいらっしゃいましたか…! えっと、苗字名前です…!」
「知ってるわよ。一応、親戚なんだから」
ああ、そうか。そういえば親戚だったんだ。忘れていた。
河上先生に促されて、先生の隣に座る。保健室のソファーほどではないが、ゆったりと沈む感覚が新鮮だった。
「何の用だ。俺ァこれでも忙しいんだが」
「まぁまぁ晋助、親子で会うのも久しぶりでござろう。そういう態度は如何なものかと…」
「良いのよ河上くん。晋助って昔っからこうでしょう? もう気にしてないわ」
「大体、勘当された息子に会いに来るのもおかしいこった」
「先生勘当されてたんですか!?」
「そうなのよー。お父さんの言うこと聞かない生意気な子だったから。昔から全く変わらないんだもの」
変わったのは隣に名前ちゃんが居ることかしらね。と、微笑む先生のお母様は、とても綺麗な人だと思った。大人の女性、自分の母親とは違う母親。
「大学生の頃は私にだけでも連絡してくれてたんだけどね。働きだしてからは音沙汰なんて無いし、こうして来ちゃったってわけ。それに河上くんも坂田くんも居るなら、本当に久しぶりに顔を見たくなっちゃって」
「坂田先生は授業があるとかで呼べなかったでござるよ。申し訳ない」
「気にしなくて良いのよ? 職場に訪問してるんだもの。それから――、」
お母様の顔があたしに向く。肩身が狭くて座る姿勢を崩せないあたしを見て、柔らかく微笑んだ。
「晋助の側に名前ちゃんが居るなら、ね」
「どうせ苗字さんから聞いたんだろ」
「聞いたも何も、同居に関しては相談されたわよ? 去年久しぶりに連絡が来たんだもの。何事かと思っちゃったわ」
でも、とお母様が言葉を続ける。
「元気そうで良かった」
その微笑みは母親そのものだと思った。
話を聞けば、夫婦で旅行に来ているらしい。お父様の方は頑なに先生と会わないと言い張っていたそうだが、両親の現状を聞く先生の表情は少し綻んでいる。
しかしながら、全く自分の家のことを話さない先生だったので、思わぬところでそのお母様と遭遇してしまった。しかも、あたし自身は会っていたことを忘れてしまっている。これに関しては申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
河上先生も含めて先生の普段の仕事ぶりを話しているものの、輪に入れず頷いたりすることで精一杯である。
テーブルの上に置いてある緑茶に口をつけた。ほんのり温かくて美味しい。
「そういえば、晋助と名前ちゃんは付き合っているんでしょう?」
「ぶふっ」
あたしと河上先生がお茶を噴き出すのは同時だった。……いきなりの話題振りに戸惑ってしまったのだが、先生は至って普通に、短く返事をする。
顔に熱が集まってきた。これは、アレだ。あまりにも唐突過ぎる。
「教師と生徒なんて犯罪よね。そう思うわよね? 河上くん」
「いやー、そ、そうでござる、です。はっはっは」
「おい万斉。どこぞの数学教師みたいになってるぞ」
「そ、そんな事ないでござるよ?」
「良いのよ、気を使わなくて。河上くんも名前ちゃんのこと気にかけてくれてたのは知ってるわ」
結論、親は何でも知っている。隠し事は出来ない。あたしの親に関してもそうだ。
「名前ちゃん」
「は、はい」
「晋助のこと、よろしくお願いしますね。私達は何も出来ないけれど、側に居てあげてね」
「言いたいことはそれだけかよ」
「はいはい。邪魔者は退散します。元気な姿が見れてよかったわ」
椅子に置いていたショルダーバッグを肩に掛け、お母様は立ち上がった。無意識にあたしも立ち上がってしまう。
見送りは必要ないと言われるが、部屋から出るまではちゃんと見送りたい。お元気で、と言えば、ありがとう、とお礼を言われた。
応接室の扉が閉まる。あたしと同じように立ち上がっていた河上先生が、緊張の糸が解けたかのように脱力して椅子に再度腰掛けた。
「晋助、いきなり過ぎやしないか…」
「河上先生も来客が誰か知らなかったんですね」
「知っていたらもっと心構えできていたでござるよ…」
「ざまァねェな」
「元はと言えば先生が悪いですよ…。緊張した…」
「緊張することなんざあるめーよ」
「ありますよ!?」
湯呑に残ったお茶の残りを飲み干す。そこに残った茶葉が喉に張り付いて、少し噎せてしまった。
「というか、先生って勘当されてたんですね」
「昔の話だ」
「ご両親に何の相談もなく家出同然でこの高校に進学したから、まぁ勘当は当然の結果でござろうな」
「なんてアクティブな高校生」
「お前よかマシだ」
なんだと。あたしのどこがアクティブだと言うんだ。うら若き女子高生だぞ。
「では、拙者はこれで。午後からの授業の準備をせねばならん」
「まて万斉」
応接室から出ようとする河上先生を、今度は先生が呼び止めた。普段から鋭い目つきなのに、もっと鋭い目つきになっている気がする。これだけで人を射殺せそうだ。
「守備はどうなってる」
「上々、とは言い難い。なかなか尻尾を掴ませてくれんよ」
「……そうか」
「なんですかその悪の組織みたいな会話」
「苗字さんには話してなかったのか」
「今から話す」
「晋助、お前は昔っからそうであったが、委細を話さぬところは治したほうが良いぞ。話さねば何も分からぬ」
クエスチョンマークを浮かべるあたしの頭に、河上先生の手が乗り優しく撫でられた。
先生の河上先生の名を呼ぶ低い声と同時にその手は離れたのだが、なんだか懐かしい感覚だった。
「男の嫉妬ほど醜いものはござらん」
「うるせェ奴だ」
扉に体を向けていた河上先生が元いたソファーに座り直し、深く息を吸って吐いた。
「坂田先生の事だが」
そう話を切り出すなり真面目な表情へと変わった先生達。元々あたしもその話が気になっていたのだ。
食い入るように河上先生を見つめた。
「野邊先生の事、知っていたでござるよ」
「だろうな」
「ごめんなさい、ちょっとよくわかんないのですが?」
「彼女は来年結婚する予定で、婚約者が居るでござる」
なんだと。あの女教師、婚約者が居るのに先生に迫っていたのか。初っ端から意味のわからない話が出てきて思考が追いつかない。
ええい、英語と数学のテストは終わったんだ。その分の容量を削除してこの話を頭に入れようじゃないか。
「一種のゲーム感覚、ではないだろうが、彼女の中で晋助に対する想いがまだ残ってたんでござろう。この高校への赴任が決まって、婚約者に来年まで結婚を先延ばしにするように頼んだそうだ」
「大方、今年中にヨリを戻せたら結婚を白紙にするつもりだったんだろォな」
「なんて危険な駆け引き…!」
「でも晋助の横には苗字さんが居たでござる。だから坂田先生に協力を申し出た」
「でもあたし、銀八に興味なんて無いですよ? というか、つい先日まで本当に銀八があたしを好きだなんて、思わなかったですもん」
「そこは坂田先生に同情するでござるよ」
同情――まぁ、河上先生からしたらそうだろうな。去年告白されたし。丁重にお断りしたわけだけど。
先生が咳払いをし、話を元に戻す。
「その婚約者の方はどうなんだ」
「仕方なく条件を呑んだようだ。結果的に親同士の取り決めた見合いの上で成り立った結婚らしくてな。拙者が話を聞いたところによると、お互いが自由に恋愛できていたのは学生の頃だけだとか」
「漫画とかでよくありますね、そういう展開。あたしは創作の中だけだと思ってましたけど」
「お前は自由過ぎんだよ」
これは一本取られてしまった。あたしの良いところは自由なところだと自負しよう。
河上先生がお茶を飲み、言葉を続ける。
「その約束の期間もあと一ヶ月。結局晋助は苗字さん一途なわけなので、今後どういう手を打ってくるかはわからん」
「先生ってあたしに一途だったんですか?」
「黙ってろ」
「そこはちゃんと確認したいです。何も言わないし」
「後でな」
「えー? 今言わないんでござるかー?」
「ござるかー?」
「この場ではっ倒されたくねェならどっちも黙れ」
個人的には今聞きたいのだが大人しく黙っておこう。
「して、どうする? このまま月日が過ぎるのを待ってる性分では無かろう?」
「手は打つ。銀八には名前が既に先手を打ってるだろ」
「え? あたし何にもしてませんよ?」
「教室で俺が好きだどうのこうの言ったらしいじゃねェか」
「どうしてそれを!?」
「喫茶店の店主からの情報でござる」
「おのれ神威さん…!!」
この間連れられて帰った後、残ったメンバーから詳細を聞いたんだろう。なんでも筒抜けなんだから。客のプライバシーもクラスメイトのプライバシーも何も存在しないじゃないか。
今後内緒話は喫茶店でしないことにしようと心に決めた。
「坂田先生が職員室で頭を抱えていたでござるよ」
「それは見たかったな。どんな見せモンよりも面白そうだ」
それが面白いのかどうかはわからないけれど、あのショートホームルームの一件が先生の力になったのなら嬉しい。嬉しい……と思って良いのかなこれ。踊らされているような気がするんだけどな、これ。
「先生、一つ疑問良いですか?」
「なんだ」
「先生があたしを大学に入学させようと焦ってるように見えるのも、その野邊先生をなんとかしようとする内の策略か何かですか?」
銀八にも相談したことを思い切って言ってみる。あたしの発言に、教師二人の口が開いたまま閉まらない。鳩が豆鉄砲を喰らった顔ってこんな顔なのかな。いや、でも、この疑問を投げ掛けることは正しいはず。
無言の数十秒。その後、笑いだしたのは河上先生だった。
「まさか苗字さんが、そこを気にして、ははっ」
「笑い方が某テーマパークのキャラクターみたいになってますよ?」
「…ガキが余計な気を回すんじゃねェ」
「いやいや。最近の先生おかしいですから。ほんとに」
こっちは本当に疑問だったのだ。笑われたり、はぐらかされるのはご免である。
一頻り笑った河上先生がヒーヒー言いながら、先生へと事情を話すように促すが、一向に話そうとはしない。
まだほんのり笑いながらもその事について河上先生が話そうとすれば、先生がそれを止めて事情が全くわからない。
隠し事は無しにしませんかね。
「笑いが、止まらん…! っ、……はぁー。晋助も不器用過ぎやござらんか?」
「うるせー。いい加減笑うのを止めろ」
話を無理矢理切り上げるのか、先生は立ち上がって床に置いていたあたしの鞄を持つ。
帰るぞ、と短く言い放ち、先に応接室を出て行こうとした。
「いやいや、先生仕事はどうしたんですかね!?」
「体調が悪い生徒を家まで送るのは仕事の内だろ」
「元気ですけど!?」
「うるせェ。早く駐車場まで行け。鞄は持って行ってやる。感謝しろ」
あたしの素朴な疑問は、先生の機嫌を損ねたようだ。先に出て行った先生の後を追うように歩み出すと、河上先生から声が掛かる。
「アレは照れているでござる」
「ええー。わかりにくいんですけど…」
「後で聞いてみると良い。早く行かねばまた文句を言われてしまうでござるよ」
「はーい。じゃあ河上先生、また明日。さよーなら」
「うん、さようなら」
河上先生を応接室に残して廊下をなるべく早く歩く。職員室のある所までくれば、噂をすれば影、なのかもしれない。例の野邊先生がタイミングを測ったかのように職員室から出てきた。
今から帰るの? と声を掛けられてしまって足を止めた。
「自習してたので」
「そういえば三年生だったわね。幼くて分からなかったわ」
「野邊先生はもうすぐ三十路ですね。若作りは程々に」
売り言葉に買い言葉。
さっきの話を聞いたからにはウジウジ悩んでても仕方がないし、こちらも対抗する意志を見せなきゃならない。
あたしの言葉が少しは効いたようで、作り笑顔が野邊先生の顔から消えた。
「このガキ……こっちが下手に出てたら調子乗りやがって」
「こっちがただの生徒だと思って痛い目に遭わせれば屈服するとでも? それは残念でしたね。伊達に三年間をZ組で過ごしてないですから」
これも売り言葉に買い言葉だ。
いくら銀八を味方につけようが、自分を慕う生徒を味方につけようが、あたしは負けたくない。
「晋助はどうしてこんなガキに現を抜かしているのかしらね」
「先生はどうしてこんな性格の悪いヒトと付き合っていたんでしょうね」
視線が交わる。お互い、意志は硬い。
「後一ヶ月よ。その間に晋助は私の元に来る」
「無理ですね。あたし受験生だし。親代わりなんだから離れることはまず無いです」
「ああ言えばこう言う。これだから子供って嫌いなのよ」
「頭の固い教師って嫌ですよね。全てが自分の思い通りになるとでも?」
退かない。ここで退いてしまえば負けてしまう気がする。負けたくない。もう、先生が好きだという気持ちに嘘はつきたくない。
後ろから河上先生の声が聞こえてきた。それを合図にしたかのように、野邊先生は踵を翻してあたしの前から居なくなる。教師としてあるまじきキツイ臭いの残り香が廊下に残った。
「苗字さん、晋助からまだかと連絡が……何かあったでござるか?」
「大丈夫です。これでも口達者なので。先生を信じて、あたしも負けません」
そう言えば、河上先生がまた撫でてくれて、少し張り詰めた気が緩む。
早く行くと良い、と送り出されたので、返事をして駐車場へと向かうことにした。
護られるだけのお姫様は、あんまり好きじゃないんだ。
(2019/09/17)