同棲、百五日目。



無事に期末テストの全日程が終了した。自己採点は平均70点前後。何度も妙やトシに確認してもらったので、ほぼ間違いないだろう。
テストの最終日である本日、昼休み前のロングホームルームを控えた教室では、やっと終わったという安堵感と年明けのセンター試験に向けてやる気を出す熱意が入り混じり、活気が溢れていた。
活気が溢れ過ぎて、開放感に満たされていると言っても過言でもないと思う。いつものZ組が戻ってきた気がする。轟音や怒声、リコーダーの音にゴリラの鳴き声と変態達の悲鳴。うん、いつも通りだ。

「うるさいぞー。席つけー」

そんな中、スリッパをペタペタと鳴らしながらやる気無く教室へ入ってくる担任も、いつも通りだった。
騒ぎ声で満たされていた教室は途端に静かになり、各自が席に座る音に変わる。全員が自分の席へと着席したのを見届けて、担任である銀八が今から配られるであろうプリントを教卓の上でトントンと整えた。

「今から最後の面談の予定配っから。ちゃんと親御さんに見せるんだぞー」

全員分の面談予定表が配られていく。前の席からそれを受け取り、後ろに回す単純作業。プリントを確認すれば、ちゃんと苗字と行書体で記された日程と時間を確認する。
長期滞在は難しいだろうと銀八が考慮してくれたようで、あたしの面談日は月曜日の13時からという、Z組の一番手となっていた。
母さんに日程を送らなければ。面談が始まる前日には帰国できるようにすると言っていたけれど、もう取得済みなのだろうか。そうじゃなければ今からでも大丈夫なのだろうか。少し不安になりながらスマホを取り出しメールを送れば、せんせー、とやる気のない総悟の声が聞こえてきた。

「名前がスマホでゲームしてまさァ」
「こら名前ー。大事なホームルーム中だからスマホ触るなー」
「違いますー。親に日程を送ってるんですー」
「それは仕方ないな。じゃあ特別に免除。名前だけ触っとけー」
「先生! それはえこひいき過ぎやしませんか!? 俺だってエリザベスと会話したいです!」
「桂、お前は携帯よりもその電波頭を治せー」
「先生、私だってちくわもぐもぐしたいアル」
「終わるまで我慢しろー」

淡々とは言い難い雰囲気でロングホームルームは進行していく。
期末テストが他学年で例えるところの学年末テストとなる為、三年生は年が明けてからの1月半ばまで自由登校となるようだ。銀八曰く、図書室や教室で自習しに来るも良し、部活のOBOGとして後輩に茶々入れに来るのも良しとの事。それでも、三者面談はきちんと参加するように、だそうだ。
公立の高校でこの待遇は珍しいのではないかと思ったが、センター試験に臨む学生達への配慮も含まれているとの事。高校三年間の履修も全て終了しているので、問題は無いらしい。

「但し、三者面談の時にテスト返却するからな。赤点野郎にはきつーい補習があるぞ。覚悟しとくようにー」

長い冬休みを満喫したいあたしにとって、その言葉は背中に重くのしかかった。
いやいや、大丈夫だ。何度も自己採点して赤点ライン以上の点数は獲得している。絶対に、補習にはならない。……ハズ。
不安を拭い去るように頭を左右に振った。と同時に、スカートのポケットに入れていたスマホが震える。ディスプレイを確認すれば、母さんからだった。

「せんせー」
「なんだ名前ー」
「母さんがアメリカのお土産聞いてきてますー」
「え? 本当に? 先生貰えるの? 有名なパンケーキの店のパンケーキミックスが良いな!」
「先生、それはハワイです。アメリカ領土なだけで売っているかどうか調べないとわからないと思います」

面倒なので何か辛いものと返事しておくことにしよう。
ついでに、高杉先生にも母さんが来る日程を連絡しておく。これで完璧だろう。

「じゃあお前ら、受験生らしくちゃんと勉強するんだぞー。はい、解散」

起立、礼、と日直である屁怒呂くんの声を合図に、また、ガヤガヤとした教室に戻る。テストも無事に終わったことだし、三者面談は土日を挟んだ月曜日から始まる。あたしがこの長い冬休みにする事と言えば、センター試験に向けての勉強、そして家の家事だ。そろそろ年末の大掃除の事を考え出さなければならない。去年はあんまり出来なかったから目についた所を掃除するだけで手一杯だったけれど、今年はちゃんとやり遂げよう。

「名前、学生の本分から開放されたわけだし、今日は皆で打ち上げしましょ」
「あ、良いね! 駅前のファミレス行く? それとも神威さんの喫茶店?」
「嫌アル。最近毎日顔を合わせてるバカ兄貴になんて会いたくないネ」

明日から地獄だと言わんばかりの神楽の表情に免じて、私達は久しぶりに悩みも何もぶっちゃける事の無い、普通の女子会兼期末テストお疲れ様会を実行する願望を抱いて、教室を意気揚々と出るのだった。




「お久しぶりですね、苗字さん」
「あらやだ。お迎えありがとう、晋助くん」
「母さん、鞄持つよ。先生が」

テストの終わった翌々日の日曜日。無事に母さんが一時帰国した。
飛行機のチケットは早めに確保出来ていたようで、宣言通り、三者面談週間の始まる前日に日本の地へと到着したのだ。曰く、父さんも帰りたがっていたらしいが、あっちでの仕事が忙しいようで今回は泣く泣く断念したとの事。まぁ、父さんは来なくても良いと思っていたので、別に寂しくもなんとも無い。
先生の車のトランクにキャリーを詰め、母さんと一緒に後部座席へと乗り込む。助手席じゃなくて良いのかと問われたが、久しぶりの母娘二人なのだからどうせなら一緒に座っていたいというあたしのワガママを通した。

「ついこの間帰ってきたはずなのに、なんだか懐かしく感じちゃうわね」
「そういうもん?」
「そうよ。アメリカとは街並みも何もかも違うもの」

ふぅん、と行った事の無い海外の街並みを想像してみるが、某蜘蛛のアクション映画の街並みしか想像できなかった。あながち間違いではないと母さんに言われるが、先生からはほとんどスタジオで撮影されていてCGだぞと言われた。じゃあ某魔法使いの映画みたいなものかと問えば、あれはイギリスだと言われてしまう。
海外に行った事の無い勢に想像してみろと言われても難しい。先生は行ったことあるのかと聞けば、答えはイエスだった。

「相変わらず仲睦まじくて良かったわぁ。高杉さんからも連絡があったのよ? 晋助くんをよろしくって」

あのクソババァ。と先生が小声で呟いたのを、あたしは聞き逃さなかった。あたしの親の前では猫を被る高杉晋助先生でも、自分の親のこととなれば別らしい。天然過ぎて天然記念物な母さんには聞こえていなかっただろうけど、バッチリとあたしの耳には録音されましたからね。
国際空港から家までは高速で走っても暫くは時間がかかる。後部座席に座る母さんの様子を伺えば、長旅の疲れと時差ボケも関係しているのか、いつの間にか目を閉じて寝息を立てていた。

「起こしてやるなよ」
「分かってますよ。母さん、父さんが居たら色々張り切っちゃうから。今回は離れて気を休めてほしかったし」
「ほォ……案外、自分の親の事、理解してるんだな」
「そりゃあ、離れて住んでたって親ですからね。あの父さんに付き添ってるの、疲れると思いますよ。女という立場的に」
「なら、お前は疲れてんのか?」
「ん? んん? どういう意味ですか?」

この質問の意味はどういう事だろうか。意図が分からずに聞き返してしまう。
高速を降りた先の信号が赤になり、車がゆっくりと停車した。

「……俺と居て、疲れんのか?」
「え、っと、疲れるというか……違う意味で、気が休まらないです、かね? 今は受験勉強中だし……?」

やっと意図を理解して、精一杯の言い逃れをしてみた。気が休まらないというのは、色んな意味が含まれているのだが、そこは黙っておこう。あたしも空気が読める女になったのだ。大人の女性への第一歩である。
信号が青になり、停車した時と同じようにゆっくりと車が発進した。

「俺も気は休まってねェな」
「先生はいつもリラックスしている気がしますが? あたしの気のせいですかね?」

だって我が家に住み始めて一年以上が経過しているのだ。親戚の家ではなく自分の家であるかのように過ごす先生を毎日のように見ていれば、誰だってそう感じてしまうと思う。
そのままの意味を伝えれば、それが面白かったのか少し楽しそうに先生が笑った。

「好いた女と住んでるんだ。気が休まるわけあるめーよ」
「――っ、な、なっ、何を言ってるんですか、変態保健医! 一応親の前なんですがね!?」

もう一度、楽しそうに喉を鳴らして笑う先生。
そういう所があたしの気が休まらない原因でもある事に、この人は気付いているのだろうか。……気付いている可能性の方が高い気がしてきた。気付いていて女子高生をからかうなんて、悪い大人だ。そんな大人を好きになってしまったあたしもあたしだけれど。

「銀八の事だが、」

声色が少し下がる。声の音量も少し下がったバックミラー越しに垣間見える先生の表情は、真剣なものへと変わっている。
はい、と短く返事をした。

「昨日、話したぞ。野邊と組むのを止めるそうだ」
「信じて良いんです?」
「校内で、面と向かってアイツが話してきた。信じるか信じないかはてめー次第ってこったな」
「先生は…? 先生は、信じますか? 銀八の事。幼馴染みですよね? 信じきれますか?」

ちょっと酷な質問だったかもしれない。けれど、あたし自身に銀八を信じるか信じないかなんて決められない。高校生活の、たった三年間の担任という存在なので、銀八の全てを理解しているわけでもないし、知っているわけでもないのだ。そんな存在が決めるよりも、昔からの付き合いである先生が判断するのが一番だろう。
一瞬、バックミラー越しに先生と目が合った。

「信じきれないわけでもねェ。だが、アイツが昔も今も俺の腐れ縁だと例えるなら、信じてみる価値はある」
「じゃあ、銀八を信じる先生を、あたしは信じます」
「どっかで聞いたような台詞だな」
「あ、分かりました? この間、総悟から借りた漫画であったんですよ。俺を信じるお前を信じる、みたいなやつ」
「ククッ、漫画の受け売りか」
「漫画に学ぶ事なんて沢山ありますよ、うん」
「なら、お前の学力が低い理由も漫画にあるのかもしれねーな。名前チャン?」

痛い所を突いてきた。そんなもの、あるわけないじゃないか。あたしが一番その理由を知りたいのに。
こうやっていつもからかってくるのだから、先生は性格が悪いと思う。あのお母様からこんな息子が産まれたなんて、想像もしたくないね!

「そろそろ着くぞ」
「はーい」

時間が経つのはあっという間だ。先生とのドライブもこれにて終了。
隣で規則正しい寝息をたてる母さんを揺すって起こせば、案外あっさりと覚醒してくれた。まさか会話を聞かれてたなんてこと……無いね。うん、無い無い。数十分もたぬき寝入りを続けるなんて、母さんが出来るはずがない。
変な想像をしてしまったが、気のせいだと自分の中でその考えを打ち消した。

「もう着いちゃうのね。長時間の運転ありがとう、晋助くん」
「お気になさらず。運転に酔ったりはしていないですか?」
「えぇ、大丈夫よ。安全運転してくれたから、気持ちよく仮眠を取れたわ」
「それは良かったです」

母さんが起きたことによって先生の猫かぶりスイッチが再度オンとなったが、もう慣れたもので気にしてはない。
ただ、そんなに自分を作って先生自身は大丈夫なのかと、少しだけ心配になった。元々は昔の先生のイメージを崩さないためなのかもしれないが、父さんはともかく母さんの前でくらいその被り物の紐を弛めて良いのではないか。
とかそういう類の事を話しても先生はきっと今の状態を変えることはないんだろうなぁ、と傍目に考えた。時には傍観することも大事なのだと、つい最近学んだばかりだ。

「久しぶりの我が家ね」
「おかえり、母さん」

先生が荷物を運んでくれると言うので、あたしと母さんだけ先に家へと帰る。朝出たばかりだったからあたしにとっては何も変わってないのだけれど、母さんにとってはいつ帰ってきても懐かしく感じるらしい。
ダイニングテーブルの椅子に座って一息つく母さんに、冷蔵庫から麦茶を出してコップに入れて差し出せば、ありがとう、とお礼を言われる。先生の分と自分の分を準備すれば、母さんに改めて名前を呼ばれる。返事をしながら麦茶を冷蔵庫に戻せば、いつもよりも真面目な母さんの声があたしに送られてきた。

「来年の卒業式には参加出来そうなの」
「3月にまた一時帰国ってこと? 大丈夫なの?」

思えば、頻繁では無いにしてもあっちでの仕事を休んで帰国しているわけだから、一応親だし仕事の心配はしてしまう。
麦茶を一飲みすれば、母さんは首を横に振った。

「違うわよ、名前ちゃん。私達、帰って来れるのよ」
「……はい?」

玄関が開く音がする。
リビングに入って来た先生が、あたしと母さんのただならぬ雰囲気を察して、珍しく眉を釣り上げて不信な顔をした。

「晋助くんにも、ちゃんと言わなきゃね」
「…何を、ですか?」
「三月に私達帰国できる事になったの。親である私達の我が侭だったけれど、約二年間、娘を見て頂いてありがとうございました」


そうですか。と言う先生の声は、やけに淡々としていた。

(2019/09/28)