同棲、百六日目。



親と子供の担任が会う事なんて、年に数回あるかないか。その年数回をすっ飛ばして、約二年ぶりに顔を合わせた母さんと銀八なわけだが、高杉先生ではなく本当の親が面談の場に居ることによって、銀八の顔はちゃんとした教師の顔をしていた。
いや、一応は教師なのだけれど、普段のだらしのない所やだらしのない所などを知っている為、親の前でそういっただらしのない所を包み隠していると考えれば姑息だなぁと考えてしまう。
椅子に座るなり銀八が二年間のあたしの成績や授業態度、そして進路についての話を掻い摘んで説明するが、母さんは特に突っ込んで口を挟む事もせず、銀八の独り言のように紡がれる言語にニコニコとした変わらない笑顔のままそれを聞いているようだ。

「質問など、ありますかね?」
「いえ、全く。名前ちゃんが元気に過ごせているようで、安心致しました」
「そうですか。まぁ、苗字は普段から活発な方では無いですが、クラスの仲間達とは良くやっているみたいです」
「それなら尚のこと良かったです」

表情を崩さない母さんの笑顔に、銀八はやや押され気味のように見える。確かに母さんはド天然で穏和な性格なのだが、ここまでずっと笑顔というのも確かに少し気になってしまう。しかし、ここは普段の学校生活や進路の話をする場。大人しく黙っておくことにしよう。
助けを求めるような銀八の視線を受けたが、あたしは口を一文字にして逆に銀八を見るだけだ。

「じゃ、じゃあ、先日行われたテストの結果なのですが――」
「まぁ。凄いわ名前ちゃん! マルがいっぱいよ!」
「小学生の子供を褒めるみたいな言い方しないでよ…」

机に広げられる答案用紙。所々レ点やバツ印が見受けられるが、点数を記入するスペースに書かれた数字はざっと見る限りの平均は70点以上のようだ。
少し肩の荷がおりたので、強ばっていた緊張の糸が解れたような気もする。
頑張ったな、と声を掛けてくる銀八は、やっぱり教師の顔だった。

「学年の平均点は、最後のテストという事もあって高めなのですが、苗字は各教科の平均点も超えていますし、この成績だと合格出来る可能性は高いかと」
「あらあら、後でお父さんに報告しなくちゃ」
「はいはい。あとでね」

答案用紙を受け取りスクールバッグの中へと入れれば、そういえば、と母さんが始めて自分から口を開いた。

「坂田先生は、高杉先生と仲が良いのかしら?」
「あー、そうですね……仲が良いというか、実を言いますと幼馴染みなものでして。勤務先も同じですし、この腐れ縁は切っても切れないなぁと思っているところです」
「素敵じゃないですか。そうやって昔からの縁を大事にするのは、大人になってからは難しいもの。名前ちゃんを、高杉先生共々よろしくお願いしますね」
「あ――あぁ、はい、分かりました。少なくとも、苗字は俺の生徒ですし、卒業までは見守りますよ」
「ありがとうございます」

ふふ、と笑う母さんの横顔は、何か考えていたのかそれとも普通の社交辞令なのか、よく分からなかった。
銀八にそのお願いは少し酷かもしれない。つい最近、ちょっとしたひと騒動が遭ったばかりだし、先生はもう済んだことだと言っていたけれど、やっぱり気になってしまうのは気になってしまう。銀八が先生に電話をして話し合ったとしか聞いていないし、でもこの場で聞いても場の空気を悪くさせるだけかもだし。
――と、悩んでいれば、三者面談は以上で終わりとの発言。もちろんそれを言ったのは銀八なので、母さんはもう一度ありがとうございました、と言うだけだ。

「名前、気をつけて帰れよ」

母さんが先に教室を出てから、後に続くあたしに対していつも通りのだらしなさを出した銀八が言う。うん、と頷けば、くしゃっと担任は笑った。

「銀八も、残り頑張って」
「おう。じゃあな。終業式で」
「うん、ばいばい」

廊下に出れば、まだ次の家族は来ていないようだった。少し早く終わってしまったのだろうか。そんな事を考えながら、歩くことが残り少なくなってきた廊下を歩く。
突然、名前を呼ばれた。振り返れば、銀八が教室から出てこちらを見ていた。
母さんに先に行ってと促し、銀八へと向き直る。ガシガシと頭を掻く姿は、三年間で見慣れた光景だ。

「本当に、本当にアイツで、良いんだな?」
「……うん、良いよ。自分の気持ちに嘘付けないの、銀八も知ってるでしょ?」
「そう…だな。――ん、わかった。引き止めて悪ィ。久し振りの母子水入らず、楽しめよ」
「ありがと。じゃあね」

アイツというのは高杉先生を指していることくらい、すぐに理解出来た。国語の問題のようで、なんだかむず痒い。
銀八はあたしの返答に納得したようで、手をひらひらと振りながら教室に戻っていった。それを見送り、あたしも階段へと向かう。
まだ昼前の校内は、無駄に静かだった。
母さんは学校を出る前に先生に会いたいと言っていたので、階段を降りて一階で合流してから保健室へと向かう。一年と二年は期末テスト機関に入っていて、校庭やグラウンドから体育授業をしている声なんか聞こえない。あたしと母さんの二人の足音が廊下に響いているだけで、なんだか変な感じ。
そういえば、先生に面談が終わったことを連絡していなかった。面談の開始時間は知っているし、母さんが保健室に行くというのも伝えていたから時間の予想は出来ているだろうけど、ちゃんと保健室に居るだろうか。いや、居るだろ、うん。一年と二年がテスト期間であったといても、教師の仕事はあるはずだし、突然の事態に対応できないと保健医の意味がないわけだから居ることを願う。
教師が喫煙する駐車場スペースにでも居てたら別なんだろうけど。
保健室の扉をノックして開く。先生と、もう一人。こんな時まで、と思ったが、こんな時だからこそ居るのだろう。野邊先生はさもそこに居るのが当たり前のように、体調の悪い生徒や怪我をした生徒が座るソファに座っていた。

「晋助くん、お邪魔しますね。……あら、お仕事中だったかしら」
「……面談、お疲れ様です」

保健室に入らず立ち止まったあたしの後ろから、ひょっこりと顔を出しているであろう母さんが高杉先生に声を掛ける。気まずそうな表情を隠すように、先生は自分のデスクに一度視線を落としてこちらを再度見た。
母さんはあたしの横をすり抜けるように保健室に入り、野邊先生はソファから立ち上がる。

「えっと、高杉先生? こちらの方は?」
「俺の遠い親戚で、苗字の母親だ」
「――そう、だったの。一年の授業を担当しております、野邊と申します」
「苗字です。ごめんなさいね、野邊先生、お邪魔だったかしら?」
「いえ、テスト中に体調を崩した生徒がおりましたので、その報告を聞きに来ただけです。お気遣いなく」

多分、嘘だと思う。嘘だと思うけど、大人の会話に入り込んでしまうのは野暮だと思い、とりあえず様子を見ることにした。
でも三年の教科を担当していない野邊先生と母さんが話すことなんて無く、うふふふ、と表現するような笑いでこの場を誤魔化す野邊先生の対応が異質に感じてしまった。この場に一生徒の母親が居る事が場違いなのだけれど、多分今は野邊先生が居る事の方が場違いなのだろう。
なんだか不穏な空気になってくる気がする。チラリと高杉先生に視線を送れば無表情でこちらを見るだけだ。

「……野邊、もう用は済んだだろ。チャイムが鳴る前に職員室に戻れ」
「ええ。ありがとう、晋助……じゃなかった、高杉先生。助かりました」
「あら?」

今のはわざとだ。絶対わざとだ。
親の目の前であたしが強気に出れないと思ったのだろう。あたしと高杉先生の関係を親は知らないと踏んだのだろう。だからわざと、名前で呼んで訂正したと思われる。
それを見逃すあたしの母さんなわけがない。大人の勘は鋭いのだよ。……なんて、無言を貫いているあたしが言えたもんじゃないのだが。

「野邊先生は、晋助くんとお知り合い?」
「そうなんです。大学の時に若気の至りでお付き合いをしていまして」
「おい、お前…!」
「そうだったの。職場が一緒だなんて面白い偶然ねぇ」
「えぇ、本当に。ビックリしちゃいました。運命ですかね」
「でも先生? ご結婚なさっているんでしょう?」
「――え?」

声を出したのはあたしだ。母さんの一言に、高杉先生も、内容の発端である野邊先生も勝ち誇ったような惚気けた笑みを止めて、真顔になる。
あたしは母さんに何も言っていない。先生も母さんには言っていないだろうし、面談で銀八がそんな話をするはずもない。
先生の視線を受けて、首を振った。

「驚かせちゃったかしら? ごめんなさいね、左手の薬指に、指輪の日焼け跡が見えたものだから」

まさかの、だった。
指摘された野邊先生は、咄嗟に左手を抑え、初めて見たかもしれない戸惑った表情を晒した。

「――っ。……あ、これは、……違います。まだ、結婚はしていないんです」
「あ、そうよね。結婚指輪の形ではないわね。婚約指輪、かしら?」
「……そうです。来年、結婚するんですよ」
「それはおめでたい事ですね。だったら尚更、職場で名前呼びは婚約者さんに失礼だと思うわぁ。……あ、余計な気遣いだったわね。事情に立ち入ってしまってすみません」
「いえ、大丈夫です。……失礼致します」

あたしの横を急いで通り過ぎて行く女教師の表情は、少し複雑だった。
保健室の扉が閉められ、盛大な溜め息が二つ。あたしと先生のものだ。
あたしは脱力したようにその場にしゃがみ込み、先生は自分のデスクに凭れ掛かる。その様子を母さんは暢気に、どうしたの? と問い掛けてくる。

「いえ、すみません。少し肩の荷が下りまして」
「あらあら、お疲れなのかしら。先生って大変ですものね」
「違う、違うよ母さん。でも、さすが母親でした。ありがとう、母さん」
「そうだな。……ありがとうございます、苗字さん」
「なんでお礼を言われているのか分からないけれど、役に立ったのなら良かったわぁ」

思いもよらない方法だったけれど、完全とはいかないかもしれないけれど、野邊先生を撃退できたのは確かだ。
母は強し。元は違う意味でも、先程までの状況は経験していないと気付けない事だった。女としての経験とでも言うのかもしれない。
何にせよ、グッジョブ、マイマザー。

「でもお仕事中にごめんなさいね、晋助くん。学校って懐かしくて、童心にかえったみたいに少しはしゃいでしまったみたい。反省します」
「いえ、懐かしむのは仕方のない事だと思います。卒業すれば来ない場所ですし」
「そう言ってもらえると助かるわ。……そうだわ、聞いて欲しいことがあったの! 名前ちゃんね、丸がいっぱいだったのよ!」
「要約すると、全教科のテストが平均点以上でしたって事です」
「なるほど。頑張ってましたからね」

はしゃぎ過ぎていたのを反省したはずなのに、娘のテストの点数が良かったという事で年甲斐もなくなたはしゃぎ出す母さんの通訳をする。先生は銀八から事前に点数を聞いていなかったようで、安心したような笑みを浮かべた。

「でしたら、年明けのセンター試験も安心できますね」
「そうね。頑張ってね、名前ちゃん!」
「う、うぃっす……!」

話題を振られて驚いたが、よくよく考えればそうか。年明けすぐにセンター試験がある。テストの点数に安心していたけれど、まだ気は抜けないのだった。緩んだ気力の帯をもう一回締め直さなければ。
まだ帰れない先生に別れを告げて保健室を後にする。来た時とは変わって、あたしの心は晴れやかだった。
そして、隣を歩く母さんの笑顔も学校を出て歩いて行く内に増していく。母さんの今日のメインイベントが近付いているからと分かっているけれど、あたしは少しずつ複雑な気持ちになっていた。
目的地が見えて来る。高校から歩いて十数分くらい。その場所に、母さんの楽しみにしていたあたしのバイト先でもある喫茶店はある。
今日はシフトの日ではない。だから働かない。でも、親としては娘のバイト先が気になって仕方ないらしい。
ドアを開ければ、カランコロン、と軽快なベルの音が鳴った。

「あ、名前ちゃん。――と、お母さん、かな? いらっしゃいませ。窓際のテーブル席へどうぞ」

昼前のまだ忙しくない時間。笑顔で迎えてくれたのは、店長の神威さんだった。


母さんの照れた顔は久し振りに見た。

(2019/10/15)