同棲、百九日目。
「それじゃあ、お母さん達お仕事の調整があるから年末年始は帰ってこれないけれど……また三月にね。風邪には気をつけてねー」
変わらない笑顔のまま、変わらないふわふわとした雰囲気を醸し出しながら、母さんは搭乗ゲートの人波に消えていった。
その後ろ姿が見えなくなって、はぁー、と息が漏れる。怒涛の数日間。否、普通の母娘水入らずとかなり遠い血縁関係の無い遠い親戚が一人の三人生活が終わった。
楽しくなかったといえば嘘になるが、猫かぶりの先生と天然記念物くらい天然ふわふわママンの会話に冷や冷やする日常は、あたしにとって非日常だったわけなので、これくらいの安堵はしても良いだろう。
横に立つ先生を見れば、右側に立たれているので眼帯で隠れた左目からは表情を読み取れない。
帰るか。とポツリ言ったので、それに同意して帰路につくために先生の車に乗る。ここからちょっとしたドライブデートが始まる、なんて事はなく、高速道路に乗って普通に帰宅するのだ。良くも悪くも先生はあたしに嘘をつかないので、帰るって事はそういう事なのである。
助手席から眺める風景はコンクリートジャングルそのもので、ボーッと眺めても何も変わり映えはしない。
「――ねぇ、先生」
今度は、あたしがポツリと声を出す番だった。
「先生って、聞いてたんですよね? 母さん達が戻ってくるって」
「……具体的に聞いたのはお前ェと一緒だ。それまでは、かもしれないってだけだったな」
「かもしれない運転かよ」
「回答は満足か?」
「いや、まだです。まだですよ。そんなんで満足しませんから」
「名前チャンはまだお望みか。なんて言やァ良いんだ?」
「聞いて、どう思ったか、ですよ。何考えたか、とか、教えてくれませんかねー」
「強気なこった」
ククッと喉で笑った先生は滑らかにハンドルを回す。家に帰れば適当にはぐらかされるだけなので、この車内で勝負を仕掛けなければならない。
一世一代の大戦、なんてわけではないけど。けど、先日に続いて先生の意見はちゃんと聞かないといけないと思うのだ。
運転席に座る先生の表情は、やっぱり眼帯越しだと読み取れなかった。
「お前はどう答えてほしいんだ」
「えっ、……ど、どうって…言われましても……」
車が停まる。窓の外はコンクリートの壁に囲まれた駐車場だった。何も言わない先生が車から出て行ったので、シートベルトを外し、急いで車外に出た。
……なんだ、ろう。ちょっとした違和感を感じ、少し身震いしてしまう。だいぶ冷え込んできたからただ寒いだけなのかもしれないけれど、大切な受験の時期なのだからちゃんと体調管理しなくては。と、着ているコートの襟を絞った。
「早く来い」
「今行きますー!」
駆け足で先行する先生へ追い付き、コンクリートの壁から地上へ続くエレベーターへと対面すれば、違和感の招待がなんとなく理解出来てしまう。
「先生? ここって――」
エレベーター内でも何も言わず、あたしのよく見慣れた階番号では無い階層に到着しても、自動ドアが開いても、先生は一切何も言わない。
そして、辿り着いた先にある扉の表札を見てあたしは違和感を目の当たりにしたのだ。
「あの、先生? なんで何も言わ……って、待って待って!」
扉を開けて我が物顔で部屋に入っていく先生の後を追って、扉の中へと入ってしまった。
埃も無く、生活感の感じられない玄関だった。床に脱ぎ散らかした革靴と、横に立ててあるスチール製の靴箱には同じような革靴とかちょっとお洒落っぽいスニーカーが並べられている。
視線を上げれば、廊下の先でこちらを振り返った先生と目が合い、まだ高い太陽の日差しが逆光で――笑った顔にゾクリと、さっきとは違う悪寒のようなものが駆け巡った。
「卒業したら、一緒に住むか?」
「え、い、いや、あの、何…言っ」
「なんだ。そう言ってほしかったんじゃねェのか」
「ちっ、違っ……!!」
ククッと笑う顔を思わず殴りたくなる衝動を抑えた。多分、それは、ちょっと自分が望んでたかもしれない言葉だったかもしれないから。
上がれよ、と身を翻してずんずんと廊下を進んでいく先生の後ろ姿は、やっぱり何を考えているのか分からない。
とりあえず靴を脱いで未知の場所――表札通りなら先生の家へとお邪魔することになってしまったのだけれど、これはなんだろう。どういう状況なのだろう。
「座れよ。なんも無ェけどな」
「あー……はい、お構いなく……?」
廊下を歩いていて思ったけれど、一人暮らしにしてはなんと広い間取りなのだろうか。リビングだけ見てもあたしの家より広い……と思う。
こんな良いマイハウスがありながら我が家に住んでるって異常ですよね? てか、このマンションって家賃高いですよね? 先生の収入ってホントどうなってんの?
なんて疑問が浮かんで浮かんで浮かびまくるので、二人掛けのソファーに座っても居心地の悪さに何も言えなくなる。というか、ここは先生の家なわけだし、もしかすると、もしかしなくても、彼氏の家に初めてお呼ばれされたという事になる。はずだ。
妙達に話せば女子会でわんさかと話題にされ、さっちゃんあたりがぎゃあぎゃあと騒ぎそうである。……うん、何も話さないでおこう。この事は、あたしの中に留めておこう。
当たり前のことだけど、今座っているソファーも目の前にあるガラス張りのお洒落なテーブルも、壁側にあるテレビも、周りの何もかもに使用感が無い。ここ約二年はこの家に帰っていないはずだから本当に当たり前なのだけど、家賃払い続けているのが勿体無いのではないだろうか。
――なんて、あたしがキョロキョロと周りを見渡しているのが気になったのか、先生がこれまた使用感の無いマグカップを二つ持ってきて一言。
「お前の親が払ってくれてる」
と、とんでも発言をしたのだった。
「代わりに、お前のとこの生活費は俺が払ってる」
「なんですと」
「居候、だからなァ」
「んー……?」
「俺からすりゃあ支出は減るし、お前の親からすりゃあ娘の面倒見てもらえるしでWINN−WINNの関係だろ?」
「えー……そうなんですかね……」
「むしろお前の親が言ってきたんだ。子供のお前が関与する問題じゃあるめーよ」
「まぁ、そう言われてしまうとグゥの音も出ないのですが」
「ガキが大人の事情に首突っ込むなよ」
「むー……」
子供扱いされるのは年齢差もあるし、まだあたしが学生なので納得なのだが、毎回はぐらかす理由にされるのは嫌だ。
マグカップに注がれていたホットのカフェオレを一口飲めば、優しい甘さが口内に広がる。子供扱いしている割には、あたしの嗜好を理解しているのだから先生は本当に抜け目がない。
そういうところがモテるんだろうなぁと、理解してしまった。
「さっきの話だが、」
「ブフッ! げほ、……は、はい」
「汚すんじゃねェよ」
「す、すみません」
飲んでいる最中にいきなり話題を振ってくる先生に問題があると思ったけれど、自分の家ではないし汚しそうになったのは悪いので素直に謝罪する。
良かった、どこにも零れてないし、汚してない。安心。
「そんなに住むのは嫌か」
「ちっ、違いますよ…! ただ、その、親が帰ってくるのがいきなりだし、先生の、その言葉もいきなりだしで……まだ、その、現実味が無いです……」
「ククッ、そりゃそうだな」
「それに、先生との同居が終わるってのも、その、現実味が無くて……」
「現実味が無くても現実だ。受け止めろ」
「先生冷たい」
「冷たくねェ。これが現実だ。お前の親が戻ってくるまでの期間限定だったろ。まぁ、そもそも、お前が受験に失敗したら住むのも無理だろうがな」
「ぐっ……そうやって傷を抉るのはやめてくれませんかね…?」
人をからかうのがこの先生は好きすぎる。浪人しないようにこっちは頑張ってるのに、その言い方はなんだかムカついてくる。
あれ? でも、ちょっと待て。この言い方は、あれだ。先生なりの優しさかもしれない。
「先生? それって、あれですよね。あたしが大学に合格したら、一緒に住めるように親に掛け合ってくれるってコト……?」
「……ガキはガキの仕事を果たせよ」
そう言いながらあたしの頭を激しく撫でてくるのは、先生の照れ隠しだと捉えた。
伊達に約二年間も同居してないのだ。そして、好意を寄せているのだから、先生の癖とか、照れ隠しとか、色々理解できている。
ということで、今回のからかい合いはあたしの勝利だな!
「なに得意気な顔してンだ」
「べっつにー? なんでもないですよー?」
「……チッ」
これは悪態をついた舌打ちだ。からかい過ぎたのかもしれない。いやでも、あたしをよくからかうくせに自分がされるのは嫌だなんて、先生は面倒くさい性格だと改めて実感。
「早く飲み終われ。帰るぞ」
「はーい」
飲み終わった自分のマグカップを台所へと持って行く先生の姿を横目に、自分のカフェオレを飲み干す。
さっきよりも甘い味がした。
車内での機嫌とりは、いつにも増して大変だった。
(2020/05/11)