同棲、百十四日目。



まさか、先生がこんな迷信を信じるなんて、思ってもみなかった。
いつも通りの朝にしようと考えて、いつも通りの時間に起きて、いつも通りに朝ご飯を作ろうとリビングへ向かえば、既にテーブルの上には盛り付けられたサラダと豚カツ。そして、用意されたにしては湯気が出過ぎている白ご飯。
自分以外誰がこんな準備をするんだ、なんて野暮な事は考えずに、照れ隠しなのか単にそういう気分なのか姿を現さない先生に御礼を込めながら一言。いただきます。
朝から油物は重いと思ったのだけれど、丁寧に調理されて油も充分に取り除かれてる。揚げ物なのかと戸惑う程にあっさりとした味わいだし、ソースではなくほんのり香る梅の酸味が特徴の手作りソースだ。
……先生、あたしより料理スキルありません?
ここまでされてしまっては、ここ数年の自分の家事スキルはなんだったのだと頭を抱えてしまいそうになる。ふと台所のシンクに目をやれば、整理整頓をという言葉がとても合っているくらいに片付けられてる調理器具達の姿。これは負けを認めるしか無いのか。
美味しい朝食を堪能しきってふぅ、と一息。ごちそうさまでした、と声に出して、食器を片付けながら壁掛け時計に目をやれば、もう少しだけ時間は余っていた。
少し早めに洗い物を済ませ、スクールバッグの中身を再確認。受験票、筆箱――の中にはシャープペンシル三本と新品の芯、そして使い心地抜群の消しゴム。定規や諸々の文房具もバッチリだ。
もう一度、息をゆっくりと吸って、ゆっくりと吐いた。
遂に試験日の本番なのだから、緊張するのも仕方ないと思う。思うけど、やるしかないし、今後の為。将来の為だ。うん、やるしかない。
気合を入れ直す。そしてスマホのメッセージアプリを起動。宛先はもちろん、先生だ。
朝食ありがとうございました。逝ってきます。――よし、送った。あたしと先生の仲なのだから、これでいい。
学生証と交通費のチャージされた電子カードを入れたカードケースに予め忍ばせていた御守り代わりのポスト・イット。『同居継続!』と書いたあたしの字の下には、『Hope goes well』と先生が筆記体で記入している。筆記体の解読に時間はかかったが、意味を理解すればなんとも先生らしすぎると思った。
筆記体にして読みにくくする作戦だったのだろうけど、あたしの解読が一枚上手だったのだ。えっへん。
玄関で靴を履きながらあくまで冷静に、頭に叩き込んだ公式、年号、単語……色々なものを頭の中に思い浮かべ、脳内の引き出しに整理していく。
大丈夫だ、大丈夫。――これは心の中の声なのか、頭の中の声なのか、それとも実際に口に出していたのか。はたまた全て該当するのかもしれない。ドクンドクンと心臓の音が大きくなっていっている気がする。
もう一度、大丈夫、と小さく声に出した。
玄関のドアノブを握って、回して、押し開ける。一歩足を踏み出したら、スカートのポケットに入れていたスマホが震えた。
先生からだった。
メッセージを見て、心が軽くなる。起きてたなら、顔くらい見せたっていいのに。
振り返って、閉められている部屋に一言。聞こえるように、大きな声で。

「いってきます!」



待ち合わせ場所である大学の最寄り駅に現れた妙と神楽とでいつも通りの会話をしながら歩く。まるで今から高校へ登校するような錯覚になるけれど、会話の節々に難しい意味の言葉を混ぜてくる妙からはやる気が溢れていた。
試験が不安だと話をしていれば、杞憂し過ぎじゃない? と言われたので、そこから漢字はどう書くだの結果的に受験生らしい内容へと変化していく。なんともそれっぽい。いや、ぽいじゃなくて、本当に受験生なのだけれども。

「今日の妙、いつもの妙じゃないみたい」
「姉御は目標に突っ走ってるアル」
「そうよ。良いパトロンを見つけるには学業をしっかりと修めなくちゃ。その上でちょっと馬鹿なフリするのが良いのよ。名前も神楽ちゃんも覚えといて損はないわ」
「名前には必要ないかもだけどネ」
「あたしはパトロンを捜してるわけじゃないしなぁ…」
「駄目よ、二人とも。男という生き物はね、女よりも上になりたい生き物なのよ。無意識でもね。だから、学を身につけた上で男を立てるの。自分よりも学がある女は敬遠する人が多いから、ちょっと馬鹿なフリをしつつ知識を広めるところはしっかりと見極めなきゃなのよ」
「はい、神楽さん。敬遠ってどう書く?」
「いきなり問題出すのやめてくれヨー!」

妙の言ってることは最もらしく、そしてあたし達学生からすればまだまだ先の話だった。
そういえば、男を立てるさしすせそとか前にバラエティ番組でやってた気がする。覚える気もないから内容はあまり記憶に残ってないけれど、そちら方面の知識に詳しいのがこの志村妙という友人なのだ。

「妙にとって、大学に通うことは通過儀礼みたいなもんなんだね」
「あら、そういう人は多いんじゃないかしら? 目標があるからそれに向けて大学に通うと思うの。それに名前だって通過儀礼じゃない」
「え!? あー、うん、まぁ夢はあるし……?」
「私が言ってるのはそういう事じゃないのだけれど?」
「あー! あー! 神楽! 通過儀礼ってどう書くでしょう!?」
「だからそういうのやめろヨー!!」

妙からの追及を遮って神楽に問題を出す。瓶底眼鏡越しに神楽の困った目に申し訳ないと思った。
勘が良いというかなんというか。ここぞという時に的を得たような話に擦れ替えられるので、この友人を敵に回せないと再確認。
大学へ向かう道中には同じ制服もチラホラ居たり、他の学校の制服を着た学生も増えてきた。
受験とは戦争である。今、両隣に居る友人でさえもライバルと化してしまうのだから、怖いものだ。受験結果次第では友人関係に亀裂が入ったりする事もあるらしい。まぁ、あたし達に限ってそれはないと思うけど、可能ならまたこの三人で過ごしたい。
銀魂大学のキャンパスが見えてくる。またドクリ、と心臓が鳴った。

「妙、神楽。絶対、合格しようね」
「もちろん」
「まっかせろ!」

ポケットのスマホを握りながら、入試受付の場所へと向かう。大丈夫、と最後にもう一回呟いた。




「どうだった」
「恙無ク、全テノ科目ガ終了致シマシタ」
「自己採点は」
「一応、過去試験ノ合格点圏内ハ入ッテマス」
「なら巫山戯たその喋りはなんだ」
「だって先生の視線が怖いんだもーん。人を殺せそうな目なんだもーん。帰ってきたら玄関で仁王立ちされてる学生の気持ち考えてくれませんー?」
「この目は元々だ。悪かったな」

二日間のお受験戦争を終わらせてきたあたしの目の前に立つ、スーツ姿の高杉先生。一体なんなんだと疑問に思ったけれど、単純に結果が気になっていたらしい。
合格発表はまだ先でも、先生なりに心配してたのだろうと捉えれば意外と可愛いところもあるのではないかと思えてくる。目つきはめっちゃ悪いけど。
でも、二日間の死闘を終えたわけなのだからもう今日は何もせずにベッドに埋もれたい。だから退いてほしいのに先生はあたしを通せんぼするかの如く微動だにしない。
まだ何かあるのかと思ったのだけど、問い掛けてみれば眉間に皺が刻まれるだけだった。

「え、本当になんでしょう……?」
「貴重品だけ持て」
「はい?」
「何回も言わすんじゃねェよ。出掛けるぞ」
「聞いてませんけどォ!?」
「死力を尽くしてきた自分の女を労っても罰は当たらねーだろ」
「えっ、は……うぇ……!?」
「ククッ、輪をかけてブサイクな顔になってんぞ」
「いやいやいや! 先生のせいですからね!?」

いやこの人本当に表現が直球なんだよなんなんだよもう。
本人が一切照れないからなのか、あたしが言われ慣れてないのもあるからなのか。全身が火照っていくのを感じて、照れているのを隠す為に突っ掛かってしまう。それさえも先生は面白いようで、口角が上がっていた。

「とっ、とりあえず、スマホだけ持つので。家の鍵とか、色々は持って下さいね」
「かしこまりました。お姫様」
「なんでそう歯の浮くような台詞を次々と言えるんですかね!!?」
「面白ェからに決まってんだろ」
「解せぬ!!」
「ほら、行くぞ」

頭をクシャッと撫でられた。……あぁ、なんだろう。試験の結果も今の会話もどうでも良くなってしまうくらいに、嬉しさが溢れてくる。
そういえば、先生に撫でられたのとか触れられたのっていつぶりだっけ? なんて、よくよく考えたらあんまり無い気がする。多分、あたしがまだ学生で、未成年で、子供だから。
大学生になったら変わるのかな、と前を歩く先生の背中を見ながら、合格してますように、と心底願った。


久しぶりのブランド店には、前よりも胸を張って入店出来ただろうか。

(2021/07/10)