同棲、百十五日目。


久しぶりにお会いしたいつぞやのお姉さんには、見ない間に綺麗になったと言われ有頂天気分で高杉先生の元へと戻れば、セレブリティ感溢れるお姉さん方に逆ナンされていて、急速直下で下がった気分はどうやって戻せばいいのだろうか。
とりあえず回れ右よろしくUターン。メイクアップ室に戻れば、出たはずのあたしを見て何かを察知してくれたお姉さんが一緒に行こうと再びUターン。カツンカツン、と聴き慣れないヒールの音が自分の足元から聴こえてくるのに違和感。
さっきまでは褒められた嬉しさで何も考えなかったけど、やっぱりあたしのこの格好は分不相応なのでは? と一介の高校生として思い悩んでしまった。
お姉さんはそんな事ないと言ってくれるし、オシャレに年齢も関係ないとどこぞのハム子も言っていたような気がするけれど、人並みにしか外見に気を使わなかった高校生がこんなブランド服を着て歩いているのだから本当に違和感。
まだ逆ナン真っ只中だったらどうしようかと不安に駆られながらも視界に先生が映る。やっぱり逆ナン中だった。
先生はスマホの画面から視線を逸らさないけれど、セレブさん達も先生から視線を逸らさない。お? これは、まさか。

「安心できるわね」
「あ、はい。大丈夫でした」

お姉さんは高杉先生と長い付き合いのようだし、姿を確認してあたしと同じ事を思ったらしい。
先生は興味が無いと視線を合わそうともしないし、そもそもの性格が素っ気ないのだからそりゃ対応も塩対応なのだ。
自分の早とちりに恥かしくなりながらも背筋を伸ばして先生の元へと向かう。側についてくれるお姉さんが声を掛けると、先生は視線をスマホからこちらへ移した。

「馬子にも衣裳だな」

いつぞやも聞いたことのある言葉を言う先生の顔は、あの時よりも少し笑っているように見えた。
今日は少しだけ背伸びしていいのかもしれない。たった数時間かもしれないけど、先生の恋人だと胸をちゃんと張れるようになるのもまだ先だろうけど、あたしは今先生の隣を歩けるのだから。あとは、自分へのご褒美ってことで。

「今日は、どこに連れて行ってくれるんですか?」
「メシ」
「いや、それは知ってますけど」
「おめーのお子様舌じゃ味がわかるか心配なくらい美味い店だな」
「いつも料理してる人に対して随分な物言いですね!? お子様舌のあたしの手料理で満足してるんですから、先生もお子様舌ですよっ」
「……――こりゃあ、一本取られたな」

勝った……!? 
いやいや、本当の意味で特別な日になりそうなんですけど!? なんかしおらしい先生は変な感じがするんですけど!!?
戸惑うあたしに対して何か思考を巡らしているであろう先生は、目の前に立って手を差し出してくる。何の仕返しをされるのかと身構えれば、手出せ、と簡潔に言われてしまった。
恐る恐る手を出して、先生の手のひらへと重ねる。当たり前だけれど、あたしよりも大きくて指が長くて、男の人の手だった。
手を掴まれ、体が強張った。それでもお構いなしに、先生はあたしの手を引いて歩き出す。

「負けた代わりに最高の一日にしてやる。覚悟しとけ」

そう、言われて、ぶわわわっと、体が熱を帯びていく。その言い方は、ズルい。先生はズルい大人だ。
そんなズルい人を好きになってしまったのだから、もう、後戻りは出来ないかもしれない。
車の助手席のドアを開けられ、完全にエスコートされてしまう。こういう所を見ていると、女性慣れしているなぁって。年齢が離れているんだなぁって、勝手に自己嫌悪になってしまう。そんなあたしの心境を見透かしているかのように、先生は決まって喉で笑うのだ。

「……先生って、本当にズルい大人ですね」
「あ?」
「なんか、全部見透かされてるみたい」

運転席に座り、発進の準備を始める先生に、独り言のように呟いたら聞こえていたようで。ぶつぶつと会話を続けてみる。
エンジン音が鳴り、車が今か今かと震え出した。途端に、ピーッと断続的に鳴り出す音。
シートベルト、と言われ、ただ座るだけで付け忘れていたシートベルトを体の前に這わす。カチッと閉め終えて顔を上げると、先生の顔が、あった。

「――…大人がズルく感じるのは、お前ェがまだガキだからだ」
「……そっ、ういう、ところが、ズルいんですよ……!」

いきなり唇に触れた感覚が、やわらかくて、そして少し冷たくて。そして恥ずかしい。
でも、先生の唇の色がほんのりだけど自分と一緒になって、ちょっと嬉しくなってしまうのは、やっぱりあたしが子供だからなのかもしれない。

「それに、こんな街中で、誰かに見られたらどうするんですか」

一応、教師と生徒なわけなので、教育問題とかに発展するのではないだろうか。そもそもうちの学校にPTAとかってあったのだろうか。いやまぁわからないけれど、やっぱりあたしが未成年なので先生の責任問題になったら嫌だし、…等と街中を優雅に走る車内で考えていたら、また、先生は喉で笑う。
大人の余裕というやつなのか、それともあたしの考えを嘲笑しているだけなのか。真意は読み取れない。けど、多分、心配し過ぎだ阿呆、って事なんだろうな。

「今のお前を見て、苗字名前って気付く奴ァそうそういねーよ」
「そんな変わってますかね?」
「……言ったろォが。馬子にも衣裳だってな」
「素直に褒められている気がしませんけどね」
「ククッ、これで、おあいこだ」

その言葉で、気が付いた。さっきのお返しだったんだ。あたしが一本取った? から、取り返したんだ。
く、くそぉ。そういう所だぞ、変態保険医ィィ。
不意を突いた事で一本の取り合いになるのなら、あたしは先生に取られまくって負け続けだと思うのだが、こういうところは銀八に似てるなぁとか、言ったら不機嫌になるので絶対に言わない。
比べられるのは二人とも嫌だろう。まぁ、そういうところなんだけどな。似た者同士だから、先生たち曰くの腐れ縁が続いているのだろうし、そしてこれからも続くんだろうなぁ。

「何考えてンだ」
「内緒ですー。乙女の秘密ですー」
「どこにその乙女とやらが居るんだか」
「ここ! ここに居ますから! 貴方の隣に! うら若き乙女が! 居ますっ!」
「うるせェ。……着いたぞ」

手慣れた駐車を済ませ、車は震えを止めて静かになった。
先生が煽ってきたのにうるさいで一括されたのには解せないけれど、車から降りると小洒落たレストランの外観が見えた。
え? この服装浮きません? あと先生のスーツも浮きません? え? 大丈夫?
あたしの不安をよそにどんどん歩いていく先生の後をついて行く。出入口であろう扉にはスタッフの人なのか警備員なのか、先生よりも明らかに年上だろうスーツ姿の男性が立っていて、この服装で大丈夫だと確信した。
入口にそういう人が立っていたらお高いお店だろうという一般人の認識って大事だな。ほら、ブランド店とか、出入り口に警備員さん立ってるし!
何やらその人と話をする先生の背中を見るしかできないが、話し終えた先生が振り向いて、早く来い、と言われた。予約の確認だったのかもしれない。
開かれた扉の向こうは、煌びやかな世界で、また縁遠いところに連れてこられたな、と感じた。




案内された乳白色に輝くシャンデリアの照らす個室では、料理を運んでくるスタッフさん達以外、他のお客さんの姿は見えない。完全に先生とあたしだけの空間。
そんな中で運ばれてくる料理はフレンチのフルコースだったので、ここはフレンチレストランだったのかと察した。とは言っても、一介の高校生にこのセレクトは本当に先生らしいというか、なんというか。普段は子供扱いするクセに、こういう時に対等に扱ってくれるというのがなんとも歯がゆい。
親からある程度のマナー的なものは口頭で聞いた事があるくらいで、実際にその知識が役立つなんてまだ先だと思っていた去年の自分よ。翌年も使う機会があったので、知識の深堀りは大事だよ。今更だけど。
対面上に座る先生の所作は、普段の口調からは想像つかない程に綺麗だと思ってしまう。つまり、生粋のプレイボーイだと納得する理由に値するのだ。でも自分がそうであるように、先生も、銀八も、神威さんも、万斉先生も……多分きっとトシも、その場面場面によって自身の別側面を出してるんだろうな。
……銀八がちゃんとしているところは、あんまり想像できないのは普段のだらけている所を見過ぎているからだろう。

「随分、今日はしおらしいな」
「あたしも大人になりましたからね」
「そうか」
「そうですよ。去年のあたしとは違うんですから」
「……口端にソース付いてンぞ」
「っ、……付いてないじゃないですか…!」
「そういうとこがガキなんだよ」
「悔しい……」

口端をナフキンで拭いても何もついていない。騙されて言い返してしまうのは、先生からすれば本当に子供なんだと自覚した。
でも、なんだろう。今日の先生はなんだか上機嫌だ。いつものような卑屈に喉を鳴らす笑い方じゃなくて、普通に笑っている気がする。あたしの勘違いなのかもしれないが、それでも、先生が笑ってくれるのはとても嬉しいと思えた。

暖房のせいにしたいくらい、心がぽかぽかしてる。

(2022/01/05)