同棲、百十六日目。
試験が終わり、あとは結果を待つだけとなって不安じゃない日々を過ごしている生徒数名。いつも通りの生徒数名。いつも通り過ぎて教室を破壊する勢いなのが数名。
あたしはというと、何も気にせず寝ている生徒っていったところかもしれない。結局は寝たふりなのだが、こうでもしないと不安に押しつぶされてわけも無く妙に抱き着いてしまいそうなのだ。
とどのつまり、あたしも不安じゃない日々を過ごしているわけです、はい。多分、いつも通りの生徒の中にも、同じように不安だからこそいつも通りに過ごしているのは何人か居るはずだ。
自信がある組――トシとか総悟とか、成績上位組は本当にいつも通りに過ごしているのだろうけど。と、自習時間なのにも関わらず暴れまわる面々を机に被さった髪の毛の隙間から盗み見てみる。――いや、まてまて。神楽、お前はあたしと一緒に不安になっててよ。試験中にシャーペンじゃなくちくわぶ持って、あ、間違えたアルとか通常運転だったじゃん。なんでそんなに騒げるんだよ。すげぇよ。
「はぁ……」
きっとこれが大人になっていくという事なのだろう。高校に入学した時の自分だったら、みんなと一緒にバカ騒ぎしていた。絶対に勉強なんかクソ食らえでふざけていたと思う。時の流れとは怖いものだ。
根本的にはずっとクソ食らえと思っているが、先生との、先生との未来を考えたらそうもいられない。夢と現実を見極める年齢なのだ、うん。
「名前ー! 今から定春とデートしようヨ! 他の奴らは授業中だから校舎走り放題ネ!」
「何それ楽しそう! やるやるー!!」
「やるやるー!! っっじゃねェんだよ!! お前ら自習時間に何やってんだァ!! 俺がババアに怒られちゃうでしょ!! バレないようにやりなさいよね!!」
それでもやっぱり、あたしはまだ未成年で学生で、子供なのである。
「だからってな? 大騒ぎして他の生徒に迷惑をかけちゃ駄目なんだよ。理解できるよな? お前ら、全員高校生だもんな?」
騒ぎまくる数名を含む、ほぼ全員に出席簿の角で天誅した銀八がペロペロキャンディーを全力でペロペロしながら話し出した。今更ながら、銀八の教壇に立つ姿があと少しで見れなくなるって考えて、思わず涙が頬を伝う。
「えええっ!? なんで泣いてんの!!? 名前だけには特別優しくしたつもりなんだけど!?」
「……いや、銀八の姿を見るの、終わりに近付いてるって思うと、なんか自然に……」
「銀八ィ、良い奴だったヨ……」
「そうだな。もう先生の姿を見れなくなるなんて思うと、感慨深いよな。俺とお妙さんとの結婚式に呼べなくなるのか」
「しねェよ。お前をお花畑送りにしてやろうか」
「先生ィィ! 死なないでェェ!!」
「勝手に殺すなァァ!!? お前ら全員脳内お花畑かァァ!!」
まぁ実際に、こんな学生生活が終わるなんて考えたこと無かったし、いざ直面すると感慨深くはなる。高校に入学して、まさか人生最大のモテ気が到来するとは思ってなかった。そりゃあ、ガラケーからスマホにも変わるわけだ。時代とは残酷なものなんだなぁ。
とりあえず。と、一度溜め息を吐いてやる気の無い顔をあたし達生徒に向ける銀八の眼は、やっぱり死んだ魚のような眼をしていた。
「あのな? 高校卒業後は働く奴、大学に行く奴、家でニートする奴……いろんな奴が居るが、日本の法律もここ数年で変わって、お前らは成人したって見做される。つまり、自分に責任を持つようにならなきゃいけねェんだ。この小説が連載された頃と今は全く違うんだ。それを踏まえて俺からお前らに一つ話をしておく」
声のトーンは真面目で、教師の顔をしている。いや、表情はだらけているけれど、教師という役目を全うしようと、銀八はあたし達に話を続けていた。
ゴクリ、と真面目な雰囲気に、誰かが固唾を飲んだ音が聞こえた気がした。
「卒業パーティーは皆で焼き肉行くぞォォ!!」
「っっっっしゃああああああああああ!!!!!!」
これでこそ、銀八学級でした。
「――という事で、お金貸して下さい」
「阿呆か」
「阿呆じゃな」
「正真正銘の阿呆でござるな」
「容赦なく言うけど、それでよく教師出来るね」
「こんな大人になりたくない第一位おめでとう、銀八」
「これが本当に先公とは到底信じられないッスね」
バイト先に現れた銀八含む教師とその神威さんの会話は、とても大人がするような会話ではなかった。
閉店が近付いてきた時間帯に来るものだから何事かと思っていたら、生徒に聞かしてはいけない裏取引の現場をこのお店にするなんて全世界の教師を敵に回すつもりなのだろうか。
閉店作業をしながらまた子と共に飛び入り参加したのだが、坂田銀八という男の底辺が見えたような気がする。
「頼むよォ! 毎月ちゃんと返すからァ!!」
「おまんの願いは聞いてやりたいがの。わしらにも生活があるんじゃ。諦メロン、金時」
「これは坂本先生に同意する以外ないでござる。諦メロン」
「坂本はおいといて、お前ら結構金持ってんだろォォ! 同僚を助けてくれよォ!!」
「じゃあ俺は別に助けなくていいよね。せんせの同僚じゃないし。阿伏兎ー、店閉めるよー」
「生涯の友人達に、頭を下げています。お願いします」
「なんでテメェの見栄の為に金出さなきゃいけねェんだ」
「だってお前金あるじゃん! まだあのマンション契約してんだろ!? 金あるじゃん!!」
「こちとら今月末で解約予定だ」
「なら金に余裕出来るじゃねーか――え? 解約?」
店内の掃除をしながら聞き耳を立てていたのだけれど、先生の言葉にあたしもまた子と目を合わせた。あたしは、何も聞いていない。
また子とアイコンタクトを取っていたらいつの間にか大人達の視線もあたしに向いてくる。何も知らないと首を左右に振れば、先生の特徴的な笑い声が店内BGMに紛れて聞こえてきた。
「引っ越しすんだよ。家から出るからな」
「……あっ、なるほど。名前殿の家から引っ越す事もあって、住居も心機一転ってやつでござるな」
「晋助ってそんな高いとこに住んでたの? 一回くらい呼んでくれたら良かったのに」
「店長に家の場所教えたらやたらと押し掛けるのわかってんじゃねぇの?」
「阿伏兎、今月の給料そんなに要らないんだ」
「あー、悪ィ、悪ィ」
「わし話よくわからんのじゃが、一緒に住むんじゃないの? 卒業したら、しがらみないんでしょ?」
坂本バカの言葉で、あたしの体温が上昇していく。ぽぽぽっと、恥ずかしさが急上昇。それに気付いたまた子が盾としてなんとか大人勢の視線を遮ってくれたが、その盾からの視線も鋭い。
あとで話す、となんとかする為にジェスチャーして盾の護りを継続しようとした。
「どこに住むんだよ。今月末解約ってことは、新しい新居見つけてんだろ?」
「当たり前だ。どっかの誰かみたいにその場の感情で動くはずあるめーよ」
「で、高杉サンはどこに住むんだ? ご近所は遠慮してもらいたいんだけどなァ」
「さァな。どうせ、職員名簿で見れンだろ」
「出たよ、出た出た。男はミステリアスな雰囲気醸し出しとけばモテますってやつかよ。あーあー、やだねー。俺だってモテたかったわチクショー」
「相変わらず僻みが凄いね。そんなんだからモテないんじゃない?」
「……」
「やめとけ、店長。何も言えないって事は相当でかいダメージ受けてるぞ、コレ」
ひっそりと。とてもひっそりと、また子に隠れながら従業員専用ルームへ移動していく。結果的にあたしへの飛び火は無かったが、引っ越すというのは初耳だし、あたしだって入れてくれたあのマンションに住むと思っていたのだ。寝耳に水過ぎる。
一通り掃除も終わったし、閉店時間も過ぎていることからあの大人達は男の恋バナを続けるのかもしれない。あたし達だけ先に帰ってしまっても問題は、多分特に無いだろう。神威さんが何か言っても阿伏兎さんが宥めてくれると思うし、もう帰っちゃおうか、とまた子に話せば、納得していない表情なのにとても明るい声色で。
「先輩、この後時間ありますよね? ちょっと付き合って欲しいッス」
――と、言われた。逃げ場は無いようである。
帰路の途中にある公園で、夜遅くに制服姿の女子高校生が二人……というのはなんとも言えない背徳感が漂う中、ブランコに乗るあたしはあたたか〜い缶コーヒーを飲みながらジトッとこちらを見てくるまた子に尋問をされていた。
先生が我が家を出て行くというのは周りからすると、とてつもない重大ニュースのようだ。当の本人達は何も気にしていないのだけれど、人付き合いとは難しいものだなぁ、なんちゃって。
「――で、別に同棲をするわけではない、と?」
「そうです、そうです。まだ大学の合格通知も来てないし、そんな先の事考えられませんって」
「ふぅん……?」
「いやいや、本当ですって! 信じて下せぇ来島お代官様ァ!」
「先輩がふざける時って、鵜呑みに出来ないんスよねぇ……」
「本当だってばー。第一、先生が新しい家に引っ越すとか初めて聞いたんだってばー」
「まぁ、確かに? 会話を聞いた先輩の表情からして、それは嘘じゃなさそうッスね」
「嘘なんかついてませんってばー」
これがメッセージアプリ上ならば泣いている絵文字や顔文字を乱用しているだろうあたしの話に、真偽をつけにくそうにしているまた子。意外と周りを見てるんだよな、このヤンキー後輩。なんて事は口が裂けても言えない。だって中身はピュアピュアの良い子だから。
とりあえず、なんとしてでも、合格したら同棲するかもしれない、という事実は隠し通すという確固たる意志を以て、あたしはまた子の尋問に耐える。耐え忍べば、きっとこの場から逃げる勝機は訪れるはずなのだ……!
「先輩は、嘘、ついていないッスね?」
「ついていないッス」
「……わかった。じゃあ信じます」
「ありがとうー! また子ー! 良い後輩を持てて先輩は嬉しいよーう!」
嘘は、ついていないのだ。いや、本当に。
合格通知来てないから同棲するかどうかの先の事なんて考えられないし、引っ越し日程も住居も知らないし、嘘はついていないのだ。
純情な後輩を騙してとても心苦しいのだけれど、こればっかりは先生とのお互いの将来の為に誤魔化すしかないのだ。
大きな嘘は小さな嘘で隠し通せるのだ――というのは、何かの本の受け売りだけど。
「はぁーあ。なんだか心配して損したッス」
「え? 心配? なんで?」
「今でさえ同居よりも同棲に近いんスよ? それが本格的に同棲になったら、ほら、先輩のキャパシティー? 超えちゃうでしょ?」
なんで? とあたしが問いかける前に、微妙に照れ顔したまた子が、口に手を添えて、耳打ちしてきた。
「先輩、高杉先生は、男ッスよ?」
「え? うん、先生は男性だよ?」
「そうじゃなくて。……保健室を私物化してた男、ッス」
「あー、うん。変態保険医だったね」
「いやだから! 先輩は女で、先生は男で! ついでに言うと、先輩は18歳!!」
「声抑えた意味ある!?」
「なんでここまで言って分からないかな!!? あっ、この人Z組だったわ!!」
「そういうまた子もな!!」
「いやそうじゃなくてっ! だぁー、かぁー、らぁ!! 先生と男女の関係になっちまいますよって話ッス!!」
「元々男女ですが?」
「ちっげーよ! このバカ先輩! 性的な意味で!!」
「性てっ……きっ!?」
「やっと気付いたこのバカ先輩め……。試験大丈夫だったか心配になったッス……」
少なからずとも人が通る公園で、何を大声で言い合っているのかと思っていたのだが、また子は生き辛くならないかどうかを先に心配してしまった。年若い乙女が、性的な意味とか、大声で言うもんじゃありません。
なんて自分の脳みそにその言葉の意味を意識しないように伝達したが、直接的なのか遠回しなのか判断付かない言葉選びをされてしまったせいで、あたしの脳みそは体内温度を上昇させる指令を出してしまった。
「ま、まさか先輩!? もう経験済み……!!?」
「そっ、そそそ、そンなわけないでしょ!!? 純粋な乙女だよ!!?」
「ちょっ、ちょちょっと落ち着きましょう。クールダウン、クールダウン。深呼きゅー、深呼きゅー」
「すー、はー。……うん、落ち着いた」
何か言い合ったかと思えばすぐに落ち着き出す女子高校生二人。傍から見れば、なんとも理解出来ない光景だろう。
落ち着いたまた子とお互い視線を合わした。そして、意思疎通。
「まだ、なんスね?」
「まだに決まってますでしょうよ、また子さん。全年齢制ですよ」
「でも先輩、顔、赤いッスよ」
「また子のせいだってば!」
つい先日まで似たようなことで悩んでいたとは言えないが、やっぱりあたし達は、うら若き未成年の乙女なのであった。
(2022/03/29)