同棲、百十九日目。
今やバレンタインというのは男性が女性に贈り物をする日という、元々の意味合いに変わりつつあるらしい。
まぁそんな事は関係無く、我が三年Z組の教室は甘い匂いが漂っていた。
試験の合否も大方終わり、あとは学年末テストを控えるだけあたし達三年生は自習となった授業を自習ではなくスイーツパーティーとして時間を過ごしていたのだ。主にあたしと神楽のツテである神威さんからの差し入れで甘い匂いが蔓延した教室内に耐え切れなくなった教師陣は出欠確認してすぐに出て行く結果自習になるのだけど、それはそれ、これはこれ。
結果的に無法地帯となった3Zは飛び交うのが怒声やゴリラやバズーカの砲弾ではなく、笑い声やゴリラやバズーカの砲弾になっていた。あとやべぇ玉子焼き。……は、毎回一緒か。
「――というワケでェ、先生方から苦情きたから皆大好き銀ちゃんがずっと付き添うことになりましたァ。ちったァ自重してくれませんかねー? 俺他のクラスも受け持ってんだけどォ?」
「まぁまぁ、学校イチ甘党なんだから良いじゃん。甘い匂い平気でしょ?」
「いやいやいや!? 既にクラス内でも被害者多発してンぞ!? 匂いにやられて倒れてる奴居るよね!? 近藤なんて口にダークマターぶち込まれてるんだけど!!?」
「それはいつもだよ」
「そうだったわ」
あまーい匂いが香害とか言う人が世の中に居るのは知っているが、自衛してない人には言われたくないでござる状態の我がクラス。自衛を忘れた教師陣は悉く職員室に戻るかトイレに籠るか保健室に運ばれるのだけれど、クラス担任である銀八だけは別だ。
甘党の中の甘党。授業中もペロペロキャンディーをペロペロし、常にイチゴ牛乳をがぶ飲みする男。それが坂田銀八という教師なのだから、そりゃあこの教室に入っても生還できるだろうと頼られるのは仕方ないと思った。自分の受け持つクラスだからなんとかしろとか、言われたかもしれないけれど。
「え、なにこれ。新メニュー?」
「2月限定のタルトだよ。しかも一日30個」
「そんな限定物をこんなに準備させてんの!? 厨房のおっさん過労死しない!?」
「おっさんはバカ兄貴から特別な訓練を受けたから大丈夫アル」
「阿伏兎さんはいつも元気だよ」
「回答になってねェな!!? でもうめェ!!」
銀八も参加して、3年Z組主催バレンタインの宴は持ち寄ったお菓子が無くなる放課後まで開催され、脱落者を大量に出したのだった。
「おめーは限度というものを知らねェのか」
「だって#name_2#ちゃんとついでにバカ妹から頼まれたなら、そりゃあ張り切るよね」
「俺は特別休暇が欲しいぞ店長ォ……」
バイト中に現れた先生が、珍しくゲッソリとした表情で神威さんに話していたのを知っているのはあたしだけだ。
□
なんだかんだ全て終わったイベント事も残すところあと卒業式だけとなった。
卒業生――つまりあたし達三年生にとって晴れ舞台の場である。であるのだけれど、三年生全体が揃ったらどうなるかなんてわかり切っているし、第一、Aから始まって飛んでZ組ってなんだよ。問題児の集まりすぎるだろ、と再認識する場でもあるのだ。
今日も今日とて卒業式の練習では我々3Zが注意される数が圧倒的に多く、教師陣の目も必要以上に光っている気がした。
「近藤テメェ風紀委員の恥晒すんじゃねェェ!!」
と、松平先生の怒号が体育館中に響き渡る度にまたZ組か、と他クラスの生徒から蔑む視線が注がれていた。
正確にはゴリラが何かやらかしたわけではなく、Z組のやらかしがゴリラに集中放火されているというか、要するに、松平先生のサンドバッグになっているだけでゴリラ自身は悪くない。練習の内から大号泣してウホウホと泣き声がうるさいだけの、ただのゴリラなのだ。ウホ。
「うるせェぞ近藤ォォ!」
これは、まぁ、ゴリラが悪い。
まだ練習なわけでよく泣けるな、と卒業生という当事者ではあるけれど冷静に周りを見れるというのは、自覚が無いのかそれとも達観しているだけなのか。なんだかんだ同じ大学に進学する友人は多いし、結局のところ全員と縁が切れるわけではないと考えているからかもしれない。
でも、確かにこのまま会えない学友が居るとしたら、当日は泣いてしまうのだろう。それが無いから、まだあたしは泣けないし泣かないのかも。
「ここでクラスの担任が生徒の名前を呼ぶからよォ、お前ら返事するんだぞ」
各担任の名前が呼ばれ、そして出席番号の最初と最後の生徒二人名前が呼ばれる略式で片付けていくのだが、うちの担任だけはやっぱりというかなんというか逸脱して違っていた。
「――以上ォ。……これ、このまま礼して戻っていいの? え、まだ何かある? ンだよ声聞こえねェよ、Z組が最後なんだから他と違うとこあんのかって聞いてんだよ。えー、何ィ? わっかんねェって! もうちょい声張って喋ってくれませんかァ!?」
「お前がうるっさいんだよォォ! マイク越しにでかい声出すなって言ってんのがわかんないのかよォォ!!」
銀八の気怠い声がマイクで拡散されていたかと思えば、今度はバカ……もとい、ハタ校長のデカい声が体育館中に響いて、それに上乗せされるようにまた銀八のデカい声がマイクに乗って反響して、ハウリングが酷くなった。うるさい。
悲鳴が上がり耳を抑える生徒が何十人も居る中、こういうのも見納めなんだとなんだか感慨深くなったのはあたしだけなのかもしれない。
「……という事がありまして」
「知ってる」
「ですよねー、保健室が大渋滞だったと聞きました」
「銀八には土下座させておいた。あのバカと一緒にな」
「いや、一応校長ですからねっ?」
夕飯後の片付けをしながら、食器を洗ってくれている心なしか疲れた表情の先生をチラ見した。
ここ最近はバレンタインの香害事件や今日のハウリング事件の以外にも、沢山事件は起こっていたらしい。Z組の関与していない事もあったから知らなかったけれど、入試に落ちた生徒が自暴自棄になったりN組の担任の写輪眼が第二ボタン替わりに盗まれたりとか、まぁ色々あったそうだ。もしかしたら後半はZ組が関係しているかもしれないけれど、ケガや体調不良で保健室を利用する生徒も多かったようで、先生は仕事を家に持ち込むことが増えていたようにも思う。
生徒はもうすぐで春休みだひゃっほいという気持ちだが、教職という仕事に就いている人達は新学期に向けて忙しいとの事。養護教諭である保険医も忙しいんだなー、なんて他人事のように感じてしまった。
「終わったぞ」
「ありがとうございます。先生はお仕事しますよね? コーヒー要ります?」
「あぁ、頼む」
「はーい」
淹れたてのコーヒーポットとコーヒーカップ、あとスティック砂糖を数本。それらをトレイに乗せて、自室へと戻った先生の後を追うように廊下へ出た。
廊下には端に積まれた数箱の段ボール箱があった。歪み無く貼られたガムテープには、少しだけ几帳面さが垣間見えた。
その段ボール箱は先生の自室にもあり、そちらの方が廊下よりも幾分か少ない数で積まれている。
「先生、どうぞ」
「……あぁ」
今のはありがとうのあぁだというのは、約二年一緒に住んで十分に理解している。
デスクの上にトレイごと置き少し部屋を見渡すと、ノートパソコンの画面からあたしに視線を移した先生が疑問を投げかけて来た。
「いや、荷物増えたなぁと思いまして。ここに来た時より」
「二年も経ちゃそんなもんだろ」
「あっちの方はまとまってるんですか?」
「暫くはかかるだろうな。越してからやっていくつもりだ」
「春休みぐらいしか時間無いですしねー。教職って大変なんだなぁ…」
「俺は楽な方だろォよ。担任や部活顧問ともなりゃあ休日出勤は当たり前だ」
「うげ。休み無いじゃないですか。というか、先生も養護教諭の研修とかちょいちょいありますよね?」
「……そうだな、お前が考えているより三倍は忙しい」
「あー、やだなぁ。大人になりたくない、働きたくない」
「やり甲斐はあるがな。つまりはなりてェ職に就くのが一番だ。」
なりたい職なんて、永遠に親の脛をかじって生きていこうとしていたあたしには縁遠い話だ。
大学で見つかればいいと思うけど、うーん、それは入学後のあたしにしか分からない。
――今週の土曜日に、遂に両親が帰国する。
海外なんてもうこりごりだと言っていた父さんと、意外と楽しかったと言う母さんの全く正反対な感想を述べた両親だけど、電話で声色を聞く限りかなりエンジョイしていたのではないかと思うのだが、実際父さんはどうして今の職に就いているのか、母さんも専業主婦になる前は何をしていたのか……そういった話を一切聞いた事が無かった。
実際約二年間は親と離れていたわけで、元々将来の話をした事自体無かったかもしれない。というか、将来について悩むなんてあまり無かった記憶だ。つまり、悩みが具体的になってきたのは進路というものが目の前に現れてからだった。
――ん? じゃあ何か? あたしの悩みは全て先生が聞いてくれてたって事になるのか……?
「……っ、!!?」
自分の至った考えに物凄く恥ずかしくなって、体温が急激に上がっていった。
これが株価なら儲けが出て思わずニッコリだ。
「……いきなり赤面するたァ、何考えたんだ」
「いやっ、違うんですっ、これは、その、女子によくあるやつですっ……!」
別に変な妄想していたわけじゃないが、なんだか思春期って過ごしにくいもんだなと思いました、まる。
「さ、先にお風呂入って寝ますね……!!」
「そうさな、ガキはもう寝る時間だ」
「いや、まだ九時ですけど」
「ガキの寝る時間じゃねェか」
「これでも小学生じゃなく高校生なんですけどね!?」
「俺からすれば十分ガキだな、名前チャン」
「卒業したらそんな事言わせませんからね!!?」
くーやーしーいー!!――とか思いつつも、確かに先生に比べればまだまだ子供なのである。むしろこうやって悔しがっている時点で子供なのかもしれない。それでも、悔しいものは悔しいんだよチクショー!
「酒が飲めるようになってから、大人だって認めてやるよ」
「二年も先じゃないですか! 飲めるかもわかんないのに!」
「ならおめーは一生ガキでいとけ。その方が悩みも無くおめーらしく生きれるだろォよ」
そんな事言われたらもう一生ガキでも良いや。ってなっちゃうから、本当に先生ってズルい。
仕方ないので卒業式までのあとちょっとだけ、ガキで居てあげよう。
――だから、親への説得頑張ってくださいね。あたし、何も言わないので。
そんなちょっとした嫌がらせは、先生の精神ダメージをかなり削ることになってしまうとは、この時のあたしは知らなかった。
卒業式前日の土曜日、無事にテロに遭う事も無く両親が正式に帰国。そしてその夜、我が家のリビングは珍しくお通夜雰囲気をまとっていたのだが、あたしは一切口を挟まなかった。
だって名前ちゃんは子供ですからね!
(2023/05/26)