自分の気持ちを隠す為に、あたしは前よりも先生に対してよそよそしくなってしまった、と思う。


同棲、四十一日目。



口を開けたら大きなため息を吐いてしまいそうな気分だった。
妙達に相談してからいつの間にか一週間以上が経っていたので、時の流れはすごいと思う。
たった一週間とちょっとなのに、悩みに悩み抜いていたあたしが変態保険医が好きだと再確認してしまったくらいなんだ。時の流れは偉大である。

「…待たせてしまったでござるか?」
「いえ、全然!」

お互いの行き着けの喫茶店――つまり神威さんのお店なんだけど、そこで待つこと数分、待ち人である河上先生は見慣れたライダースーツ姿で現れた。
日曜日の昼辺りである今は店内も混んでいて、神威さんも阿伏兎さんも忙しそうに動き回っているので、これなら話も聞かれにくい。
オーダーを聞きに来た神威さんに飲み物を言おうと思った矢先、ブラックとアールグレイ、と言う声があたしの言葉を遮る。遮った張本人である神威さんは、ニコッと微笑んでいつものだよね? と確認をとってから、他のテーブルへとオーダーを聞きに行った。

「参ったでござるな…」
「お互い、一応、常連ですからね」

気まずい空気が漂う。がやがやと色んなテーブルから話し声、笑い声が聞こえてくるのに、あたし達のいる空間だけが妙に静かだった。
時間が止まってるかのような錯覚を起こしてしまいそうだ。いつ話を切り出そう。考えつつコップに入った水を飲み干す。目が合った河上先生は、微笑んでいた。

「…断るつもりなんでござろう?」
「え…」
「苗字さんが晋助を好きという事実ぐらい、苗字さんを見てたらわかるでござる」
「えっと、……えっ?…えっ?」
「だから、拙者のことはフッてくれて構わんよ」

河上先生の言ってることの理解が遅れてしまって、しばらくフリーズした脳が再活動した瞬間、テーブルの上に良い匂いを嗅ぐわす紅茶のカップが置かれた。だけど、普段と違ってカップの置き方が荒い。
運んできた神威さんの表情を確認してみれば、いつものニコニコとした笑顔ではなく機嫌が悪そうだった。まさか、聞かれた……?

「…ごゆっくり」

低い声。神威さんのこんな声を聞いたのは初めてだ。
去って行った神威さんの背中を見ていると、河上先生が高杉先生ほどじゃないが、喉を鳴らして笑った。

「彼は大丈夫でござる。何も気付いてはいないさ」

サングラスの奥の瞳は見えないけれど、河上先生は笑っているようだった。
まぁ口元が微笑んでるから笑っているのは確かだと思うんだけど。

「ズバッとフッてくれ」
「わ、わかりました」

瞼を閉じて、深呼吸を一回。再度河上先生を見る。やっぱりサングラスの奥は見えなかった。

「河上先生、ごめんなさい」

なんて言えば良いか、まだ整理はついてなかった。ありきたりな言葉で断れば、下げた頭を骨張った手が優しく撫でてくれた。

「良いでござるよ。昔から、晋助には負けてばかりでござる」

その一言の意味は解らなかったけれど、河上先生は伝票を持ち、正直に言ってくれた御礼だと言ってレジに向かって行った。
全く飲んでいない紅茶の水面に、泣きそうな表情をしたあたしが映っている。
気が付けば店内に居る客はあたし一人となっていて、静かに流れるジャズのBGMがよく聴こえてきていた。

「はい、ハンカチ」
「…ありがとう、ございます……」

さっきまで河上先生の座っていたあたしの対面の席には、いつの間にか神威さんが座っていた。
ハンカチを受け取って目元を拭えば、青いハンカチが少し湿った。

「……ふったんだ?」
「まぁ、はい、…そうです」
「どうして?」
「それは、……ん、」

言っても良いのか分からなくて、思わず口ごもる。神威さんは掠れた笑いを店内に響かせた。

「他に好きな奴が居るんだ?」
「そ、れは…」
「俺には嘘つかないでよ。俺と名前ちゃんの関係だろ?」

あたしと神威さんの関係は、多分、喫茶店の店長と常連客ってだけだと思ったんだけど、神威さんの微笑みに負けてしまい、自分の気持ちを初めて他の人に暴露してしまった。多分、誰かに聞いてもらいたかったというのもある。
神威さんは、静かに聞いてくれていた。気が付けば、神威さんから貸してもらったハンカチがさっきよりも湿っていた。

「……ふぅん、女の人、ね…」
「写真は、家にありますけど、…すごく気にかかっていて……えっと…」
「あのさ、名前ちゃん」
「は、い?」
「話、変わるんだけどさ、ここでバイトしてみない?」
「……はい?」
「土日祝入ってた子が辞めちゃってさ、ほら、覚えてる? 文化祭の時の男の人たち。大学生だったんだけどさ、就職活動で辞めちゃったんだよねー。それで、名前働きぶりを見てて、働いてほしいなって」
「えーっと、……え?」
「ダメかな?」

渡米中のお母さんお父さん、そして死んだ犬のケロイド……あたしはまた何かの渦中に居るようです。

押し切られる形で、バイトが決まってしまった。
(2009/09/29)
(2019/09/01 再編集)