目の前の女生徒が何を言ってるのか理解できなかった。あたしのファン?――なんだ、それ。
同棲、四十四日目。
「私、新聞部に所属してる一年の来島また子ッス」
「に、二年の苗字名前…ッス」
「家族は両親のみで一人っ子。今は保健医の高杉先生が同居人兼保護者ッスよね? そしてつい最近まで河上先生も居候していた、で間違いないッスか?」
そんな事まで知ってるのか新聞部来島また子…!
一瞬、身構える。が、来島さんはその事を周りに言い触らす気はさらさら無いとの事。
首に掛けている一眼レフカメラをチラチラ見ながら、あたしを撮っていたのかどうかを問えば、案の定イエスだった。
「初めて先輩を撮ったのは体育祭で、応援団の時の、踊っている先輩でした。それから私の被写体は名前先輩になったッス!」
「ちょっと待って! そんな前からあたしを撮ってたの!?」
「そうッス」
気づけよあたし…! 気付いたのってつい最近だぞ、文化祭だぞ! なんでわからなかったんだあたし!
あ、……あー、そういえば、あの頃は自分の事で精一杯だったんだ。うん、思い出した。それだったら仕方がないな、うん。
「色んな先輩がこのカメラに居るッス。もちろん、高杉先生とのツーショットも、坂田先生とのツーショットも、河上先生とのツーショットも、それからクラスメイトの土方先輩との」
「もういいもういい! もう言わなくて良いから!」
少し、いや、かなり恥ずかしかった。ツーショットで写るほど、高杉先生や銀八とかと一緒に居たという事実がとても恥ずかしかった。
文化祭のメイド姿はやばかったッス。と、来島さんが興奮しながら話し始める。
「新聞部でも女子生徒の写真を販売してたんスけど、名前先輩は異常なくらいに早くに完売したし、漫画部の同人誌も即完売したって」
「その前にさ、本人に確認とってから販売しようよ」
「……それで、名前先輩を撮り続けるうちに凄いことに気付いたんスよ私」
「おーい、無視かこら。どっかの銀髪のような反応すんなよこら」
「先輩って、高杉先生が好きなんスか?」
「……………は?」
本日二回目の思考停止かもしれない。
にこにこと微笑む来島さんは、本当に屈託のない笑顔で同じ事を繰り返してあたしに訊ねてくる。
「撮ってて気がついたんス。高杉先生の前での先輩はとても良い顔をしてるなって」
「それはさ、いつから…?」
「夏休み明けぐらいッスかねー」
その頃から好きだったのかあたし…! 自分でも気付けたのは最近なのに! なんで周りが気付くんだよ!
「で、どうなんスか?」
「どうって言われても……別に、」
ごまかすのが精一杯だった。なんとか話題を変えようとしても、来島さんの事は知らないので、ご趣味は? なんてお見合いの常套質問のようなものしか出てこない。なんて、口に出しておきながら後悔してしまう。
多分先生だと思われる足音が聞こえてくるタイミングの良さは通常運転のようだ。姿を見つけた来島さんは目の前のあたしではなく、やってくる先生に照準が移動したようで、高杉先生ーっ、と名前を連呼する。なぜ教師の名前をそんなに連呼するんだ? 名前ってそんなに大声で呼ぶものだっただろうか?
「……来島? お前ら、知り合いだったのか?」
「いや、えっと、先生こそ、来島さんの事知ってるんですか…?」
あたしが考えるに、先生はどうでもいい人や自分に利益のない人の名前は覚えない性格だ。
つまり、その先生が来島さんの名前を知っているってことは、何らかの利益があると先生が判断したということになる。
先生は面倒臭そうに舌打ちした。
「最近よく保健室に来るかと思えば、こいつ狙いか」
「何を言ってるか解らないッス」
「おい来島ァ、…名前の写真撮ってンのはおめーしかいねェんだよ」
「そうッスよ。でも、私は名前先輩の写真を撮ってるだけで、乱用なんて絶対しないッスから。それに…」
来島さんは、カメラを持って先生に突き付けるようにそれを見せて微笑んだ。
「私が高杉先生を困らすような事、するわけないじゃないッスか」
刹那、視界がねじれた気がした。ぐにゃり、と視界が揺れる感覚。そして、頭が左右に揺れる感覚。
思わず頭を軽く抑えた。なんだかおかしいと思った。なんていうか、不可解な違和感を二人から感じてしまったんだと思う。
「…おい名前、どうした?」
「っ、…大丈夫です。ちょっと違和感がしただけなんで」
「名前先輩大丈夫ッスか!?」
「うん、ありがとう、来島さん…」
「また子で良いッス。むしろそう呼んでください。先輩にはそう呼んでほしいっス」
来島さん――また子は、先生に向けた笑顔とはまた違う笑顔であたしに微笑んだ。
いつの間にか車に乗り込んだ先生がエンジンをかけている。いつもは助手席に乗らされるんだけど、今日は後部座席で横になっておくように言われ
車が発進してまた子に車内から手を振る。両手で振り返してくれた。
「…大丈夫か?」
学校を出てどれくくらい経ったのだろう。信号待ちになると、先生が振り向いて顔色を伺ってきた。
比較的平坦な道を走ってくれているらしく、振動はあまり感じなくて口には出さないけど感謝する。
気持ち悪さもめまいも違和感も、今は全くない。そのかわり、さっきの駐車場での出来事が鮮明に頭に残っていた。
「先生、」
「なんだ」
「…なんで、また子と知り合いなの?」
自分勝手な質問すぎると、言ってから後悔してしまった。
先生はため息を吐いて車を発進させ、しばらく間が開いてからまた車が止まる。
窓から外を見渡せば、随分と見慣れてしまったマンションの駐車場だった。
「さっきも言っただろ。最近よく保健室に来てるだけだ」
ドアを開けて外に出るなり言われた。本当にそうだったら良いのに。
あたしのよくわからない不安は募って行くばかりだった。
翌日から、また子は必要以上にあたしに話し掛けてくる様になった。
妙関係以外の滅多な事では怒らない九ちゃんでさえも、少々また子に対して愚痴を零した事があった。曰く、なんか欝陶しい、そうだ。
「だってそうじゃない。移動教室の時はまだともかく、休み時間だって毎回名前に話し掛けてくるのよ? こっちの話も中断しなきゃいけないし、考えてほしいわね」
「妙ちゃんの言う通りだ。昼休みになると食堂にすぐに来て名前の隣をぶん取るのは止めてほしいと、僕も思う」
「あとは、所構わず写真を撮るのを止めてほしいアル。名前を撮ってるのは知ってるけど、今までみたいに隠れて撮ってほしいネ」
「そういえばその来島って子、確か銀八に詰め寄ったことがあるらしいわよ」
「な、な…なんだってェェェエ!!!」
時刻は放課後。今回はあたしが主催ではなく妙主催の、ドキッ! 女だらけの本音大会! が、三年Z組の教室では開催されていた。
参加メンバーは、妙と神楽と九ちゃんはもちろん、阿音百音姉妹とさっちゃん。そしてあたしだ。ちなみに、叫んだのはさっちゃん。
まぁ銀八関連で叫んだりテンションが上がるのはさっちゃんくらいなのだが、そうじゃなくて、気になるのは阿音の発言だった。
「銀八に詰め寄った…?」
「この間、松平先生と銀八が話してるのを聞いたのよ。国語資料室に毎日来てた一年の黄色い頭の女子はどうしたんだ、って松平先生が銀八に言ってた」
「なんですってェェェエ!!」
「ちょっと猿飛さん、黙って。阿音ちゃんの声が聞こえないじゃない」
「……でもそれ、おかしいですね」
今までリコーダーで相槌を打っていただけの百音が、ぽそりと呟いた。あたしも含めた全員が百音に注目する。
「だって、今は高杉先生に言い寄ってるって言っても過言ではない状態じゃあないですか。今だって、名前と仲良くなりたいのなら放課後は絶好のチャンスなはずなのに、その来島さんは現れない。おかしいでしょう」
探偵めいた口調で言う百音に対して、昨日の探偵ドラマを見すぎだと阿音は諭した。
妙も神楽も納得はいってない様だけど、あたしは納得せざるおえないと思ってしまう。だって、カメラのシャッター音が聞こえた時は、大体が銀八や河上先生、トシと居る時だけで。あたしは気付かなかったけれど、三人とも何かに気付いたような時があって、おかしかった。
百音の言う通りだと、納得する理由がいくつも浮かんでくる。
「前の名前さんは、高杉先生とは仲良くもなかったし逆に嫌っていて、仲が良いと言えば銀八先生の方だった。でも今は高杉先生の方が仲が良いと言っても過言でもない。つまり、 いたっ」
「だからその説明臭い言い方止めろヨ」
神楽の酢昆布の箱が百音の顔に命中した。
鼻辺りを摩りながら確信を獲たような表情をする百音は、何事もなかったようにあたしを指差し口を開く。
「つまり、名前の好意を持っている相手に言い寄っているということです!」
「それって、まさか…!」
「名前は、あの変態保健医の事が…」
「す、好きってことなのか…!?」
百音に注がれていた視線が今度はあたしに注がれる。名探偵百音の推理は見事的中していた。いろいろとズレてるけど。
「どうなの名前……!」
さっちゃんがチュッパチャップス納豆味を口に食わえたまま肩を掴んで聞いてくる。
言うしかない雰囲気だった。でも、これは言ってはいけない気がしたから、盛大に頭を左右に振る。
しかし、行動とは裏腹に、顔に体温が集まる感覚。あー、これは、終わった。バレる。耳まで熱い。
妙と神楽とさっちゃんの叫び声が教室に響いた。
「いやぁぁぁ! 嘘だと言って! せっかくそうならないように土方君とか銀八先生とくっつけようとしてたのにィィ!!」
「姐御ォォ! 落ち着いてください姐御ォォ!! まだ手はありますぜェェ…!」
「名前ったらひどいわ…! 一緒に銀さ…あ、間違えた、銀八先生を取り合った仲なのに!」
「あたしはさっちゃんと銀八を取り合った覚えなんて無いし、妙と神楽もそんなに驚くような事…!?」
「名前、妙ちゃん達は君の心配をしてくれてるんだ。とりあえず詳しく話を聞かせてくれないか」
あたしの紙コップにジュースを注ぐ九ちゃんの手は震えていた。そんなに動揺することなのだろうか、なんて、つい最近まで認めようとしなかったあたしが言える台詞でもない気もする。
一呼吸置いて事のいきさつを話しはじめれば、六人は黙って聞いてくれていた。
「……そう。あの時浮かんできた人は高杉先生だったのね」
「嘘ついてごめん。なんか、あの時は認めたくなくて…」
「それで意識しちゃうようになって、確信してしまったわけアルな」
「それはそれで、また楽しいことになったわね」
「ピー!」
「百音。喋ることが無くなったからって、意味も無くリコーダーを吹かないのっ」
「……で、何が楽しいんだ?」
「いーいっ?」
九ちゃんの問い掛けに、さっちゃんがチュッパチャップス納豆味をガリッと噛んで人差し指を立てた。
いつも以上に眼鏡がキラリと光った気がする。
「今、その来島また子が居るのは80%の確率で保健室なのはわかるわよね?」
「う、うん……?」
正直、なんで80%なのかを説明して欲しかったけど一応頷いておいた。
「なら、名前が乗り込んで行けば、ちょっとした修羅場になるのはわかる?」
「いや、ちょっと待ってよ! なんで修羅場になっちゃうわけ…!?」
「簡単ネ。俗に言う、私とその娘どっちが大事なの!? という昼ドラ的な展開になるアル」
「いやいやいやいや! 先生はあたしになんか興味ないだろうし、修羅場にはならないと思うんだけど…!」
「なら修羅場にさせれば良いのよ」
「はいっ?」
九ちゃん以外の皆の目が、心配している目から面白がっている目へと変わっていった。あれ、なんか、やばくね?
「ちんたらせずに今すぐ保健室に行けやァァア!!」
妙の怒号とともに、あたしは教室の外に運ばれてしまった。手にはスクールバック。振り返って教室のドアを見れば、入るなオーラが発さられている気がした。
どうしてこうなった。多分、あわよくば修羅場になって気持ちを諦めさせたいのが妙や神楽だろう。さっちゃんや阿音百音姉妹は面白がっているだけで、九ちゃんはこの状況を心配してくれているハズだ。…多分。
溜め息が出てくる。仕方なく、保健室に向かうことにした。部活動の、特に野球部の練習する声が階下に下りるほど大きくなってきて、オレンジ色に染まる校庭はとても綺麗だと感じる。
「あ、」
今更だけど、用も無いのに保健室に行っても怒られないだろうか。
今日はスーパーに行く予定も無ければ、一緒に帰ることを強要されたわけでもないから、先生に何を言われるか不安になってきた。
「…そ、その時はその時!」
妙が言いそうな事を言って自分自身を納得させる。その時は、先生だけだったと全員に報告すればいい。きっとまた子の事は関係ないと諦めてくれる、と思いたい。修羅場にも何もならなかったのだから、きっと、拍子抜けしてくれるだろう。
保健室はすぐそこだった。中から声は聞こえないから、多分、また子は居ないと思った。先生が一人で居るんだと思ってた。
「……ッ、!」
少しだけ開けた扉を閉めるのを忘れて、昇降口へと走る。
ちょうど良いように逆光が激しくて、扉から見えたのは重なっていた人影だった。
逆光に照らされて、人影の髪の毛が光っていたのが脳裏に焼き付いてしまう。
先生の表情はわからなかった。でも、なぜか、もう一つの人影は女生徒で、また子だという確信が自分の中にあった。
……本当にまた子があたしの仲の良い人に言い寄っているのなら、相当性格がひねくれてるんだろう。どうしようか。鼻がツーンとしてきて、目尻が熱くなってきた。
「…っ、く……!」
こんな事で泣いてどうするんだあたし。
頭では分かっているのに、分かっているはずなのに流れ出した涙が止まらない。
力が抜けて立てなくなった。その場にしゃがみ込む。溢れ出る涙を必死に止めようと、なんとか画策するが、ただただ嗚咽と共に涙が流れ出てくるだけだった。
どれくらい泣いていたかもわからない。5分かもしれないし30分かもしれない。思考は落ち着かないが、気持ちは少し落ち着いた。
部活動が終わったのだろうか、それとも教室に残っていた生徒だろうか。あたしの居る昇降口へと、誰かの足音が近付いてきた。
声は聞こえないから誰だか分からない。どうか、知っている人じゃありませんように。
涙は渇いていたけど、気力の抜けた顔をしているだろう今の自分を、誰にも見られたくなかった。
「…?……名前? 何してんだ?」
「っ、……ト、トシ…」
「目ェ腫れてんぞ? 何があって、!」
思わずトシに抱き着いてしまった。渇いた涙がまた流れ出す。
ごめんね。ごめんなさい。
あたしは、抱き着いたことを謝りながら、トシが何も言わずに背中を摩ってくれる優しさに縋って、彼の胸元に顔を埋めて、また泣いた。
トシの学ランは少しだけ、煙草の臭いがした。
(2009/10/22)
(2019/09/01 再編集)