近場の公園に移動する道中も、到着してからも、トシはあたしの話を静かに聞いてくれていた。
涙は止まってくれない。全身の水分が無くなってしまえば良いのに。そう言えば、トシから頭を軽く叩かれた。


同棲、四十五日目。



もうすぐ本当の冬だというのに、あたしの気持ちは冷え切っていた。
昨日はトシに家まで送ってもらったけど、今日は一人で学校に行けるかどうか自分でも分からない。頭が重い。昨日泣きすぎたせいで目は赤く充血しているし、少し瞼が腫れている。
夜確認した時よりもひどくなっているように思えた。こんな顔で高杉先生にも、皆にも会いたくない。
いつも通りに起きたけど、洗面所から部屋へ戻るなりベットにダイブ。

「……はぁ、」

ため息が一つ。昨日の事がフラッシュバックする。
トシには悪いことをした。会いづらいわけではないが、もう一回謝るためにメールを送ろう。あと休むってことを伝えなくちゃ。
充電していた携帯を手に取る。画面を見ればメールが一件来ていた。

「…なん、で……」

メールは高杉先生からだった。そういえば、昨日帰った後すぐに着替えて寝てしまったので、先生の顔も見てないし喋ってもなかった事を思い出す。
躊躇したが、一応メールを開く。あたしの体調を心配している内容だった。…メール嫌いなくせに。

「最近体調が悪いようだな。無理せず明日は学校休め。――ははっ、……誰のせいだと思ってんだ、誰の」

携帯で時間を確認すればもうそろそろ先生が起きてくる時間になろうとしていた。
耳を澄ませば部屋の外でドアノブがガチャ、と鳴る音が聞こえる。先生が起きたらしい。話し声も聞こえてくるので、電話をしているようだった。
誰なんだろう。……気になって仕方がない。聞き耳をたてるためにドアへ顔を近付けるのと同時で、部屋のドアが開いた。

「いっ…!」
「……おまっ」

見事、ドアはあたしの鼻に直撃した。痛くてうずくまる。
先生は焦ってる様子も無く、淡々とした冷静な声で、大丈夫か、と問い掛けてくれた。

「鼻血は」
「…で、出てない、です」
「顔、向けてみろ」
「嫌…です」
「確認しねェと、処置が出来ねェだろ」
「これくらい、放置してても大丈夫ですから」
「折れてたらどうすんだ」
「折れてないです平気ですっ」

顔は見えないよう俯いていたのに、無理矢理向かされた。不細工な自分の顔。見られたくなかったのに、最悪だ。

「…名前、どうし」
「昨日九ちゃんに泣ける漫画を貸してもらって読んでたら涙が止まらなくなったんですっ。今時漫画で泣くなんて小学生でもありえませんよねーあははは、は…」

最悪だ。顔を合わせなければ、こんな顔、見られることもなかったのに。
即座にでっちあげた話は、信じてくれただろうか。遮り方がとてもリアルだったような気がする。
それでも、先生の表情が見れない。不安な気持ちで押し潰されそうだ。

「…来い」
「えっ、あ…!」

いきなり手首を掴まれて、部屋から引っ張り出された。
そして、リビングのソファーに無理矢理座らされ、待ってろ、と一言。早く仕事に行けよって思ってしまうけど、一体何されるのか不安だ。
ナニだったらどうしよう。いや、ありえないだろうけど。
先生はキッチンに居るらしい、水道から出る水の音しか聞こえなくて何をしているのかわからなかった。振り向いて何をしているのか見るのもどうかと思って、あたしはただ俯いて待っているだけだ。
ふと壁に掛けた時計を見遣る。もうそろそろ先生が家を出る時間だ。

「…目にあてとけ」
「これ…」

渡されたのは水に濡れた冷やしタオルだった。疑問が表情に出たのか、冷やしとけ、と追加事項を言われる。
おとなしく冷やしタオルを目にあてれば、少し熱を持って腫れた目元を気持ち良く冷やしてくれた。

「…何があった?」
「はい?」
「泣くほどの事があったんだろ。何があったか言え」
「いや、先生に相談するような事でもないですから大丈夫です」

むしろ先生が原因なんで相談とか出来ませんからァァ。と内心で叫んでおいた。
けれど退くということを知らない俺様変態保健医である高杉先生は、あたしの隣に座って問い詰めてきた。
先生、家を出る時間です。なんて話をごまかそうとして言ってみたが、無理だった。

「言え」
「だって、…その、」
「銀八か? 万斉か? 土方か? あの長髪三編み野郎か?」

長髪三編み野郎っていうのは神威さんの事ですよね、そうなんですよね。名前覚えてないからって特徴だけ言ってみたんですよね。

「……来島か?」

合ってるけどちょっと違う。なんて言えるはずもなく、あたしは目に濡れタオルをあてたまま首を横に振った。
また子もだけど先生も原因、だ。相思相愛じゃないのに、嫉妬するなんて馬鹿みたいだあたし。今更…だけど。

「じゃあ、誰だ」
「…だから、言ってるじゃないですか。妙から借りた漫画に泣いただけだって」
「ほォ……さっきは柳生に借りたって言ってなかったか?」
「九ちゃんが妙から借りたのを、っ!」
「無理すんな」

いきなり、本当にいきなり先生が頭を撫でてきた。
ぐしゃ。わしゃわしゃ。髪の毛が無造作に撥ねていく感じがした。……これは、やばい、また、涙が。

「お前が自分の中に溜め込んで無理するってのは、初めっから知ってんだ。ガキのくせに変な意地張ンな、ばーか」
「ばっ、馬鹿ってなんですか馬鹿、…って――、」

思わず目からタオルを取って反論してしまった。ふと、先生の右目と目が合う。久しぶりに先生の顔を正面から見た気がする。
セットしてないからか横に撥ねた髪の毛、ゴムが少し伸びている眼帯、そして、意外と睫毛の長い、瞳孔の完全に開いた切れ長の瞳。
先生の顔のパーツ全てを意識してしまって、言葉を失った。
顔を背けようとすれば、先生の左手があたしの頬に添えられてそれを阻止される。

「…っ、なん、ですか……?」
「目、赤ェな…」

親指で右目の瞼を軽く擦られる。痛くはない。顔に体温が集まっていくのが分かってしまい、あたしの羞恥を掻き立てた。
先生の顔が近付いてくる。
やばい、これはやばい。目の前が先生でいっぱいになる。あたしは、嫌がる事なく無意識に瞼を閉じていた。

「……名前、…」

小声で先生があたしの名前を呼ぶ。小さすぎてその後になんて言ったか聞き取れなかった。
先生の吐息が鼻先にかかった刹那、プルルルル、と携帯の電子音がけたたましく鳴り響く。
我に返った先生は、すぐにあたしから手を離し、立ち上がる。ポケットで鳴り響く携帯を取り出し耳に当てて、ソファーから離れるように移動する。
あたしもソファーの隅っこに移動し、赤い顔を隠すように濡れタオルを広げて顔を覆った。

「…ンだよ銀八。…ああ、それだけか。そんなことで電話してくんな。……いちいちうるせーな。名前なら大丈夫だって言ってんだろ――」

先生は電話をしながらリビングを出て行き、自分の部屋へと向かったようだ。
先生が居なくなったことによって、全身に張り巡らされた緊張の糸が解かれたあたしは、そのまま倒れるようにソファーに横になる。
心臓の音がうるさい。銀八からの電話が無かったら、あのまま先生とキスをしていたんだろうか。
ゆっくり休んどけよ、と、先生の普段は出さないような大きめの声が、玄関から聞こえてきた。
玄関のドアが閉まり、鍵がかけられた音を聞き、あたしは疲れた身体を休ませる為に瞼を閉じた。



もうすぐ冬が来る。

(秋編終わり!2009/10/24)
(2019/09/01 再編集)