最近、名前がよくため息を吐いていることに俺は気付いていた。
部活の始まる前まで数学やら化学を教えてる間も何度か上の空になっている。
この間、帰りに泣いていたこともあるからか、どうせあの保健医関連だということも分かりきってはいた。
だが、俺がどうにも出来るわけもなく、友人の一人としての立場を弁えて行動するしか無いと改めて実感する日々が続いている。


同棲、四十七日目。番外編



最近、やっぱり俺は名前が好きなんだと自覚してきた。
既にフラれているのにも関わらず、自分の往生際の悪さに頭を抱えてしまいそうになる。
クリスマスパーティーに誘ったのも、名前を元気づけたいという一心だった。まぁ、乗り気じゃないということで断れたんだが、仕方ないんだろうな。

「……はぁ、」

総悟を追い掛けるのを止めて足を止めれば、知らずのうちに溜め息が口から漏れた。
考えれば考えるほど名前を好きだという気持ちが自分を占領していって、いっそのこと名前の事を無理矢理に奪ってしまいたくなる衝動に駆られる事が最近よくある。
一年から好きなんだから簡単に諦められないのは仕方がない。ついこの前、近藤さんにそう言われたが、そういうものなのかとあまり納得がいかなかった。それは、きっと  

「まだ好きだからなんだろうな……」

失笑してしまう。本気になったことがないのに、本気だったから。
時間が気になって携帯を取り出すと、16時を過ぎていた。そういえば今日は剣道部のミーティングがあったはずだ。副部長の俺が抜けたら部長の近藤さんに迷惑がかかる。
追い掛けていた総悟も部室に行っているはずだし、第一、アイツに遅れたことで色々と弄られるのはカンに障る。
……急ごう。
部室に向かうために踵を返した瞬間、聞いたことのない声が俺の事を呼んだ。振り返れば、黄色の髪色をした女が立っていた。

「誰だ、お前…」
「わ、私っ、一年の来島また子っていうッス! 土方先輩のファンッス!」
「ファン……?」

ああ、こいつが名前の言っていた来島また子か。
第一印象で言う限り、俺はこの女の事をどう足掻いても好きになれないと思った。

「先輩の試合や練習してる姿を見て、先輩のファンになっ  
「悪ィけど、俺、お前の事知らないから」

第一、練習の時に顔、見たことねェし。黄色い髪なんか、一度見たら忘れるわけねェし。
それに、こいつが俺のとこに来た理由があるはずだ。あの保健医ではなく、ターゲットを俺に変えた理由が。

「でも、私、ちょっとでも先輩と仲良くなりたくて…!」
「そういうの興味ねェし。部活始まってっから。じゃあ  
「待って……!」
「…い゙っ!!」

歩きだした瞬間にいきなり手を掴まれ、体制を崩して廊下に後頭部をぶつけてしまった。
倒れてから気付いたが、体制を崩したのはいきなり掴まれたわけではなく、振り返った時に押されたからだと理解する。
そうでないと、こいつが俺に馬乗りになっている構図の説明がつかない。

「な、にすんだ…!」
「ごめんなさいッス! で、でも、先輩とどうしてもお話したくて…!」

後頭部がジンジンと痛んで思考を邪魔してくるのに苛立った。それから、嘘か本当かもわからない涙を目に浮かべる目の前のこの女にも苛立った。こいつの涙は汚い。名前の涙とは比べものにならないほど、汚いと思った。

「どうして先輩は私を避けようとするんスか? 私、先輩の事がこんなにも好きなのに…!」
  、」

気付いた時には遅かった。唇に生暖かい感触がした。
いくら俺でも、好きでもないような奴にキスされたら萎えるってもんだ。
そして、名前以外とのキスは、今の俺にとっては以っての外だった。
重なった唇がゆっくりと離れていく。すぐに俯かれたから表情は見えないが、黄色い髪と肩が震えていた。

「私、先輩の事、本気ッス……先輩が、名前先輩と仲良くしてるのは何度も見たし、何度も写真におさめてる…。でも、諦められないッス…!!」

……そうか。…やっと理解が出来た。ひとつ、からまった紐のが解けた気がした。

  …好きでもない奴に告白したりキスをして面白いか?」
「なっ…! そんな、先輩、私は…!」
「そんなに名前を困らせて楽しいか?」
「……!」
「お前、同じ事を高杉のヤローにも言われただろ」
「…なんで、…」
「なんとなくだ。ほら、退けよ」

馬乗りになられていた状態からやっと解放された。立ち上がると少しふらついたが歩くことに支障はなさそうだ。
まぁ、まだ頭はズキズキと痛むが気にしない。俺の事を睨む来島って名前の女性とは、やっと本性を表したのかさっきの弱々しい俺のファンだと名乗る後輩ではなくなっていた。

「なんで、先生にも同じ事を言われたって知ってるんスか。アンタは高杉先生とも坂田とも、必要最低限の事しか話そうとしない人ッス」
「なんとなくだ」
「はぁっ? なんスかそれっ」
「お前の表情を見たら、一瞬、そう思ったんだよ。他に意味は無い」
「…はぁ、そうッスか」

何かを諦めたように頭を掻いた来島は、ふっと微笑んだかと思うと、本当に年下なのかを疑ってしまうほどに大人な雰囲気を醸し出して腕を組んだ。

「坂田にも同じニュアンスで言われたッスよ」
「銀八にも?」
「俺は甘い物と名前以外には興味ないから男で遊びたいなら他をあたってくれ」
「確かに言いそうだな」
「晋助先生なんかもっとひどいっス。例えお前の全裸を見ようが俺は勃たねェ。名前を困らしたきゃ、まずは俺を勃たさせる事からだな、って言われたッス」

さすが、と言うべきか、なんと言うか。見習いたくはないが、もっともだ、と思ってしまった自分がなんとも恥ずかしい。
つまり、あの変態保健医は名前以外では勃たないと言っているのだから、目の前でそれを断言された来島は言わずもがなショックだっただろう。
来島のその時の表情を想像するのは簡単だった。

「名前名前って、なんなんスか? あの先輩って、そんなに魅力的ッスか? 体型も外見も普通なのに、なんで、なんで他の人も皆、名前先輩の味方につくんスかっ!?」
「じゃあお前こそ、なんで名前にこだわるんだ? そんなにこだわる理由でもあんのか?」
「そ、れは…、」

俺が思うに、こいつは名前に憧れを抱いていて、それを認めたくない何かがあり名前を傷つけよう、困らせよう、陥れようとしていたんじゃないだろうか。
今、理由が言えないっていうのが証拠だ。なんだかバカらしく思えてきた。

「もうネタ切れだろ」
「むしろ、やる気が一気に減ったッス」
「仕方ねぇ、自業自得だ」
「私のキスは高いんスよ」
「むやみにする方が悪いんだろ」
「それが手段になるんであれば、私は惜しみ無く使う  あ、」

来島の視線が、俺の後ろを見るなり止まった。瞳は明らかに動揺しているように微かに震えている。
誰が居るのだろうと予想をたてながら振り向けば、保健室から出てきた高杉が歩いて来ていた。

「…私、帰るッス」

今、来島は高杉と会いたくないらしい。踵を返してどこかへ行ってしまった。嵐が過ぎ去ったような感覚。
まだ頭はズキズキと痛んでいた。おい。珍しく声をかけられた。

「今の、来島だろ。今度はおめーにいったのか。ククッ、諦めの悪い女だなァ」
「もう名前にちょっかいだすのは止めたらしい…です」
「…土方、お前、相当俺の事が気にくわねェみたいだな」

気に食わないのは本当の事だが、ただ、高杉に敬語を使うのが嫌なだけだ。
むしろ使う必要なんて無いんじゃないだろうか、とも思ってしまう。

「……アンタ、なんで来島があそこまでして名前に執着してんのか知ってんだろ」
「目上の人間には敬語使えよ、土方?」

ククッ、と喉で笑いながら俺の横を通り過ぎて行く高杉の表情は、ニヤニヤと銀八とは違う笑みを浮かべていた。
嫌な人間だ、と再確認してしまう。

「今の、来島は高杉が……ってことだよな」

根本的な原因は名前ではなく高杉じゃねェか。なんだよ、これ。なんだか色々と負けた気がする。
変な敗北感に違和感を感じながら、俺は部室に向かう。
やっとの思いで部室に着けば既にミーティングは終わっていて、室内には部誌にペンを走らせている近藤さんしか居ないようだった。

「遅かったなぁ、トシ」
「ちっと面倒臭い事に巻き込まれてな」
「そっかー。まぁいい。ミーティングの内容はあるきながらでいいか?」
「あぁ。すまないな、近藤さん」

じゃあ帰るか、と鞄を持つ近藤さんに続いて俺も鞄を――、


しまった、鞄を教室に忘れた。

(2009/12/10)
(2019/09/03 再編集)