必死に勉強したから大丈夫。そう、赤点をとらない自信があたしにはあった。
テストに集中したけれど、高杉先生から追試に無事合格出来たらご褒美をくれるなんていうから、気になっていたのは仕方のないことだと思う。つか、そう思いたい。


同棲、四十八日目。




午後3時過ぎ。やっと追試が終わった。
採点中は教室で待機ということなので、結果は神のみぞ知るという状態だ。
もどかしさを堪えながらも先生に追試が終わったことを先生へ連絡し、携帯を閉じる。
終業式が終わって今年最後のホームルームの後、あたし以外のクラスメイト全員がクリスマス会に参加するらしく帰って行き、気付けば教室にはあたし一人になっていたのだ。がんばれって言葉を掛けてくれたのはトシだけだったし、皆薄情だ。

「ひどいよなー。ちょっとは応援の言葉でも投げ掛けてくれたら良かったのに、代わりに楽しんでくるからって嫌がらせだよね。しかも神威さんのお店でやるとか、ほんと嫌がらせだよ。ちくしょー、早くテスト返って来ないかな…」

先生に送ったメールも返って来ないし、暇過ぎて死にそうになった。
他のクラスで追試を受けた人も居るんだろうか。Z組の教室にはあたし以外の生徒は居ないし、いくら耳を澄ませても、近くの教室からも人の声は聞こえなかった。
唯一聞こえてきたのは、明日から冬休みだというのに練習に精を出す吹奏楽部の音色だった。
鳴らない携帯ディスプレイを何度も点けたり消したりする。

「もうすぐ16時、か…」

お昼抜きで勉強してそのままテスト受けたから、時間を確認したら急にお腹が減ってきた。
お弁当を持ってきて無いから今は空腹を我慢するしかない。
早く学年主任の松平先生が来ることを祈った。

「……あ、」

時間を静かに刻むだけの携帯画面に、メールの受信マークが表示された。食い入るように画面を見る。
操作をして画面を変え、送信者が表示される。  高杉先生だ。
たかがメール一通、されど一通。それに気分が左右されるのはなんだか癪だと思ったけど、メールを見ないわけにはいかないので受信フォルダを開いた。

「駐車場で待ってる。…って、それだけかよ!」

ついツッコミしてしまった。文字が少ないのは知ってるし、メールが苦手なのも知ってるけど、お疲れ、とか、何時に来れるんだ、とか聞いてくれたって良いじゃないか。
一人悶々とする。こうも一喜一憂するなんて、好きになる事は、恋するという事は、どうも自分の気持ちを制御できなくなって困る。

「待たせて悪かったなぁ…って、何やってんの?」
「げ! な、なんで銀八…!!」
「げ!…ってなんだよ。俺、一応お前の担任なんだけど」
「いやだってさ、松平先生が持ってくるんだと思ってたし…」
「とっつあんはババァに呼ばれたから担任の俺が持って来たんだ。感謝しろよー」
「なんで感謝しなきゃいけないのかわかんないんだけど。つか、早く答案用紙を返してよ」

渋々といった表情で銀八は5教科の答案用紙を返してくれた。
点数を確認する前に一回深呼吸をすれば銀八に笑われるが気にしない。
点数を確認するだけなのに、こんなに緊張するなんて初めてだ。
まだ見ないのか? と、銀八が催促してきたので思いきって点数を確認する。マル、バツ、マル、マル……、あ。

「……え、うそ…」
「嘘じゃないんだなァ、これが」
「だって、これ、」

あたしの目に映る答案用紙に書かれた赤ペンの数字は、全て90点以上だった。
そこまで点数がとれるとも思ってなかったので目が点になり、状況がなかなか整理出来ない。あたしが90点…? 嘘だー。

「ほら、早く仕度して駐車場に行ったらどうだ?」
「え…銀八、なんで……」
「高杉が、」

銀八が顔ごと視線をあたしから窓の向こうへとそらし、教卓に頬杖をついた。あたしはそんな銀八から目を離すことが出来なかった。

「…高杉が、お前の追試すげー気にしてたからよ、合格したっつったら嬉しそうな表情したんだよ、アイツが」
「えっ……先生、が…?」
「んで、その後すぐ職員室から出て行ったから、名前と会う約束してんじゃねーかなァ、って、担任の坂田銀八さんは思ったわけだ」

銀八の髪が早く沈んで行く太陽の光に照らされてオレンジ色に染まっていって、不覚にも綺麗だと思ってしまった。
銀八がかっこよく見えてしまうなんて、さっちゃんじゃああるまいし、ないないない!

「つーことで、アイツ、名前を待ってんだろ?」
「あ、うん。多分、ご飯に連れていってくれるんだと思う」
「アイツ短気だから。早く行かねーと怒られんぞ」

銀八に急かされて貰った答案用紙を鞄に突っ込み、帰る支度をする。
教室から出ようとした時、ふと呼び止められたので振り返れば銀八がこっちを見ていた。やけに真剣な顔つきで、一瞬、どきん、と心臓が大きく脈打った。

「な、に…?」
  …名前、……高杉のこと、好きか?」
「……うん、……好き…だよ」

いつものあたしなら適当にはぐらかしてたと思う。でも、早く先生に会いたい気持ちと先生が好きな気持ちが溢れかえっていたんだろう、それに反して嘘をつくことが出来なかった。
あたしの表情が銀八にどう見えたかはわからない。わからないけど、また顔をそむけて手を振られたので、あたしは一応帰りの挨拶を言って教室から出た。

「……んだよ、あんな名前の表情、俺、見たこと無ェんだぞ。クソッ…!」




ローファーに履き替えて駐車場へと急ぐ。高杉先生は自分の車に寄り掛かりながらタバコを吸っていた。
そんないつもしてるような姿を見て、ドキン、と反応してしまう自分が恥ずかしく感じてしまう。先生を視界に入れてしまったら、なんでもかんでも意識してしまって。
声をかけると、先生は簡易携帯灰皿に吸っていたタバコを入れ、あたしをちらりと見て軽く微笑んでくれた。

「…遅かったな」
「銀八と、色々喋ってたから」
「ククッ、銀八の野郎はなんか言ってたか?」
「特に、何も言ってなかったような、気がする…」

先生はもう一度喉を鳴らして笑う。言って良いのかわからなかったから、銀八から聞いた話は話さないでおこうと思った。
車に乗り込めば、助手席から見るガラス越しの風景や高杉先生の横顔は何度も見たことがあるのに、なぜかあたしの心臓を高鳴らせた。
きっと、クリスマスマジックだ。

「…テスト、どうだったんだ?」
「あ、えっと、五教科全部90点以上で合格でした」
「ほォ…そうか。頑張った甲斐があったじゃねェか」

本心からそう言ってくれているであろう先生の一言一言全てに反応してしまう自分。
いつもなら適当に会話してるのに、だんだん何を話せば良いか分からなくなってきて、沈黙が長く続いてしまった頃、着いたぞ、と言って先生は見たことのあるお店の前で車を停めた。
ここは、確か、初めて先生と外食した時に連れて来てもらった、いかにもセレブ御用達ブランドのブティックだった。
久しぶり過ぎて、これは、そういう事なのかと実感が後から迫ってきて、体中が熱くなるのを感じる。
車を下りて二人で店内に入れば、既に店内で服を物色していた大人の方達にジロッと見られた。制服で入るのも二度目だからか見られるのに少しは馴れたけれど、二度も制服で来るとは思わなかった。

「あら、晋助に名前ちゃん。久しぶりじゃない」
「前とは少し違う感じで。こいつ、よろしく」
「いつも来るの唐突なんだから。そういう事なら先に連絡してよね。そしたら服を選んだりとか事前に出来るのに…」

あの時と何等変化の無いスタイルのお姉さんは、前回同様スーツをきちんと着こなしていた。
例によってドレスアップのために店の奥の部屋に連れていかれて、お姉さんに色々と施しをしてもらう。あたしをメイクしていくお姉さんの顔を盗み見ながら、先生はやっぱりこんな女性が良いんだろうか、なんて考えてしまった。こんなの、子供が考えることだよね。…子供だから仕方ないよね。

「どうしたの?」
「…えっ」
「名前ちゃん、憂鬱そうな表情をしてるから何かあったのかなって」
「そう、見えますか…?」
「ええ。そんな顔をしてたらせっかくのお化粧が台無しになっちゃうわ。ほら、笑って笑って」

お姉さんに言われたので少し微笑んでみるが、鏡に映るあたしは引き攣った微笑みを浮かべているような気がした。緊張、してるかはあたし自身分からない。
でも、お姉さんがいろんな話をしてくれるからか、いつの間にかちゃんと笑えるようになり、そして鏡に映るあたしはお姉さんの手によってどんどん変わっていくのだった。まさしく、クリスマスマジック!…イヴだけど。

「はい、これでオッケー。可愛く出来たわよ」
「ありがとうございます」
「名前ちゃんも随分晋助に気に入られてるみたいね。お姉さん、妬けちゃうかも」
「あ…、」

そういえば、あの時から気になっていたんだけど、お姉さんと先生はどんな関係なんだろう。元カノ…とかなのかな、そうなら複雑だ。

「あの、前々から気になっていたんですけど、お姉さんって先生と、どんな関係なんですか…?」
「私? そうね、……友達以上恋人未満かしら」
「嘘言うンじゃねェよ、太郎」

椅子から立って振り返れば、扉に寄り掛かりながらこちらを見ている高杉先生と目が合った。  あれ? いま、なんて…?

「嫌だわ、晋助。本当の事じゃない」
「何が本当だ。俺ァ男と寝た覚えは無ェはずだ」
「えーっと…………え……?」
「変な勘違いすんなよ、名前。こいつの名前は田中太郎。正真正銘の男だ」
「…………え…?」

初めて会った時、スーツを着こなした綺麗な女の人だと思った。今もその印象は変わってはいない。
先生とお姉さんを何度も見る。…お姉さんは、先生が言うように、えっと、本当に男の人なんだろうか?
あたしが見る限り、胸元は膨らんでるし顔も小顔だし、男の人だと断言できる要素は全く見つからない。

「晋助のせいで名前ちゃんが困惑しちゃってるじゃない!」
「俺のせいじゃねェよ」
「名前ちゃん、大丈夫? 意識ある?」

お姉さんが頭を撫でて心配してくれる。顔が間近で、少し後ずさってしまった。
頭に乗る手の感触は、少し骨張っているような気がする。そして、目の前にあるお姉さんの顔は、調っているように見えるがパーツのひとつひとつをよく確認してみれば、女の人ではなく男の人に見えてきた。怖ず怖ずと、本当に男の人なのかを尋ねれば、お姉さんは苦笑した。

「今は太郎じゃなくて、田中怜香って言うの。申請してちゃんとした女性戸籍を持ってるから、正式な日本女性よ」

ふわっと微笑まれて、改めてお姉さんは女の人だと思った。なんか、女よりも女らしい気がする。
チラ、と先生を横目で見る。先生も、お姉さんのようなタイプの人が好みなんだろうか。今更ながら、あたしは先生の事を何も知らないことに気づいてしまった。

「…名前」
「あ、はい」
「準備終わってンなら行くぞ」

先生が有無を言わさないような表情であたしの手を掴み、お姉さんから引き離す。
ちょっとだけビックリした。お姉さんはため息混じりに、大人げ無いわよ晋助、と言い、あたしに微笑んだ。

「晋助に飽きたらあたしが慰めてあげるから、ね?」
「あ、ありがとう…ございます……?」
「礼なんか言うな。あと、太郎、お前ェ少し黙っとけ」
「はいはい。じゃあね、名前ちゃん」
「さようなら、えっと…怜香さん」

名前で呼べばお姉さん  怜香さんはとても綺麗に微笑んでくれた。
先生に、半ば強引に引っ張られながらお店を出て車に乗り込む。一息ついた後、車はゆっくりと発進しはじめた。

「…怜香さんっていい人ですね。今更だけど」
「田中太郎だからな」
「いや、理由になってませんから」
「田中太郎だからな」

先生がこんな返しをするのはとてつもなく珍しい。一瞬、吹き出しそうになってしまったのを堪える。
先生の表情はいつも通りのポーカーフェイスだった。




「…わ、わわっ……!」
「っと…大丈夫か?」
「あー、多分、大丈夫…です」

前回も来たことのある、ホテルのレストランでの夕飯が先生からのご褒美だったらしく、それなら手加減なんかしないとばかりにコース料理を食べた後にデザートを大量に食べた。いや、食べ過ぎた。食べすぎて気持ちが悪い。だって前回は味とか全く覚えていなかったし、食べなきゃ損だと思ったのだ。
あと足元がふらふらする。ちゃんと歩けてるのは先生が支えてくれているからで、そしてあたしがふらついているのは先生に飲むなと言われたクリスマス限定ウェルカムドリンクを飲んでしまったからであって、なんだかもう自分の失態に死んでしまいたいくらいだ。

「あの、えーっと、…ごめんなさい」
「意識はあるのか?」
「はい。一応は…」
「前みてェに、飲酒運転の歌なんて歌うなよ?」
「わっ、忘れてくださいそんな前の事なんて…!」
「ククッ、忘れようにも忘れられるわけあるめーよ」
「うー…」

頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。心臓がバクバクと大きく音を立てて、顔に熱が集まる。恥ずかしくて先に車のドアを開けようとしたらなぜか止められてしまった。
何をするのかと思えば、先生が後部座席のドアを慣れた仕草で開けて、あたしに入るように目で指示してくる。
クリスマスだから特別だ。そう言う先生。嬉しい半面、先生のエスコートに少しだけ違和感。先生が女馴れしてるのは百も承知だ。でも、なんだか、あたし以外の女の人にもこういうことをしてると考えたら、悲しくなってしまう自分が居た。
悲しい……のかな。どう言い表せば良いか分からないけれど、唯一分かることは、先生の今まで付き合った女の人達全員にあたしが妬いているということだ。
それこそ慣れた手付きで運転する先生の横顔を盗み見れば、ネオン街の光に照らされてすごく綺麗。

「…どうした?」
「え…?」
「お前が黙ってるなんて、珍しい事もあるもんだな」
「あ、あたしだってっ、思い悩むこととかあるんです!」
「ククッ、そーかよ。…で、何を悩んでんだ?」
「別に、何も…」

信号が赤になり車が停車した。先生から視線を外すために窓の外を見れば、さすが恋人達の日、行き交う人混みのほとんどがカップルでいちゃつきながら歩いている。

「……好きな奴でも出来たか?」

どきりとした。それが先生だなんて言えるはずもなく、沈黙を貫く。黙秘は肯定と判断されるだろうか。いない、と答えれば良かっただろうか。
信号が青に変わる。車が再発進すると同時に後悔してしまった。先生には、勘違いしてほしくないのに。もう、なにがなんだかわかんなくなった。何がしたいんだよ、あたし。

「…まぁ、おめーに好きな奴が出来たんなら、俺も子守しなくて済むしな」
「そうですね。あたしのせいで女遊びが出来ませんもんね」

口調がきついものになってしまった気がする。気のせいじゃないみたいだ。
先生の視線が刺さるように痛い。ただの八つ当たりじゃないか。ああ、もう、死んでしまいたい。

「……何すねてんだ」
「すねてません」
「すねてねェなら、何怒ってんだ」
「怒ってもないです」
「どう見ても怒ってるかすねてるかのどっちかだろうが。あぁ、…その好きな奴に嫌われたのか?」

いつの間にかマンションに着き、いつの間にかコンクリートに囲まれた空間で車は停まった。
駐車場だとちゃんと気付くのと、先生が話し掛けてくるのは同時だった。

「…好きな奴ってどいつだ?」
「は、い?」
「土方か? 沖田か? それとも銀八か? 万斉か? 三編み野郎か?」
「えっ、ちょっ、先生っ…別に、先生には関係ないですよね? それに、先生だって保健室で生徒に卑猥な事してたりとかするんでしょうっ?」
「……そうだな」
「だから、あたしも先生の恋愛に口出さないしっ! つか、あたしと先生って遠い親戚なだけで、それ以上でも以下でもないですし! それに、えっと、こっちも変な気使わなくて済むし、あたしも先生も、お互いそういうのに干渉しない方向でっ、それで  ッ!」

自分で何言ってるかわからなかった。わからなさ過ぎて、感情が高ぶって、それに任せて口が勝手な事ばっかり言って、気が付いたら、先生に抱きしめられていた。

「なに泣いてんだ、馬鹿」
「泣いてなんかッ…!」
「目元確認してみろ」
「確認…出来ません…」
「ククッ、だろォな」
「先生っ離して…」
「泣いてる理由話したら、離してやる」
「なん…ですかそれっ。脅しですかっ」
「脅しなんかじゃねェよ」
「完全な脅しじゃないですか。先生はいつも自分勝手な言い分ばっかりでっ、あたしの事は全く気に留めてくれないしっ! なんかっ、あたしばっか先生の事、考えてるみたいで、馬鹿みたい…!!」
「誰の事考えてるって?」
「先生の事です! 変態でっ、何考えてるか分かんなくてっ、保健室に生徒連れ込んでナニしてる卑猥な教師で! でもっ、でも! 気が付いたら側に居てくれたりとか心配してくれたりとかするから! なんかあたしが勘違いしてるみたいで嫌だけど、けどっ、いつの間にか先生が好きになってたみたいで……んっ!」

何を言いたいのか分からなくて、色んな事を口走った。まだまだ言いたい事はいっぱいある。恨みつらみをたくさん言って、今までの、生活してきた中で溜まりに溜まった鬱憤をぶちまけたいのに。
先生の唇があたしの唇に重なって、何も言えなかった。

「やっと気付いたのかよ、阿呆」
「…せっ、んせ……?」
「自分の気持ちには早めに正直になる事だぜ、名前チャン?」
「……なっ、…えっ、えっ!?」
「まぁ、鈍感な名前には難しかったか」
「ど、鈍感じゃないです…!」
「じゃあ聞くがな、俺がお前にキスをする理由はなんだ?」
「理由って…それは、からかってるんでしょうっ? 子供だからって、適当にあしらって  っ、」
「残念だなァ、ハズレだ」
「っ、!……じゃあっ、なんで…!」
「好きだからに決まってんだろ」

顔中に熱が集まる。目の前には、今まで見たこと無いような、先生の真剣な顔があった。
近づいてくる右目に吸い込まれるように、あたしは目を閉じた。



はっぴーめりーくりすます。

(2010/01/01)
(2019/09/03 再編集)