両親が帰って来て、五日が経った。
毎晩続けられている宴会のせいで先生はとうとう二日酔いのまま学校へ向かうという事態になり、機嫌が悪い先生からの八つ当たりを正面から受け止めてしまった銀八からしつこく事情を聞かれる羽目になったのだった。


同棲、五十三日目。




「女子あと一周っ。男子はあと五週だ」

とっつあんこと、松平先生の声が聞こえてきた。体育の時間、冬に行われる行事の目玉である寒中持久走の体力作りという名目で、あたし達Z組の生徒は校舎周りをせっせと走っていた。
一周約500メートルの校舎周りを十周とか死ぬんですけど。どうやって走ったんだ去年のあたし!

「名前、大丈夫アルか?」
「…、はっ、うん、だ、いじょ、うぶ、だよ…っ!」
「ダメよ神楽ちゃん。走ってる最中に声をかけたら」

あたしの横を颯爽と駆けて行く友人二人は、一切息切れしていなかった。というか、普通に会話出来るってどうなの? あの二人の体力は底無しなの?
後ろを振り返ってみると、あたしと同じ様にしんどそうな阿音百音姉妹と、その後ろに今にも死にそうなハム子が走っていた。ハム子大丈夫なのかなハム子。

「…名前、大丈夫か?」
「あ、トシ…っ、うん、だっ、だいじょ、ぶ…!」
「無理すんなよ」

がんばれ、と軽くあたしの背中を叩き走って行くトシは、陸上のアスリート選手と見間違うくらい走り方が綺麗だった。
男子は二十五周走らなくちゃいけないのに、既に姿が見えなくなったトシは全く息切れしてなかったような気がする。最後の角を曲がれば、ゴールが見えた。

「名前お疲れ様。はい、タオル」
「…あ、りがと…妙……」
「やっぱり今年もハム子が最下位アル」
「ハ、ハム子ぉ、じゃ、ねえ…公子ぉ、…だっ……っつーの!」

あたしがゴールしてから少しして、阿音百音姉妹とハム子がゴールした。
男子はまだ走っていて、とっつあんが言うにあと三周だそうだ。よく走るな、なんて、十周そこらでばてたあたしが言うべき言葉じゃないのかもしれない。
タオルで絶えず出てくる汗を拭き取るために視界一面タオルの柄にすれば、ちょっとしたクラスメイトの騒ぎ声が聞こえてくる。
驚きつつも視界を邪魔するタオルを取れば、さっきまで走っていたであろうトシが血の滴る右膝を抱えて倒れていた。なにが起きたんだ。
理解出来ないまま、とっつあんに保健委員として呼ばれて、持っていたタオルで血を拭き取り傷上の部分を縛って止血。そのままトシを支えながら保健室へと向かっていた。

「…悪ィな」
「あたしは大丈夫。痛むでしょ?」
「まぁ、少し。っ…!」
「なんでこけたの?」
「総悟とラストスパートかけて走ったら靴紐が解けて踏んでこけた」
「こけただけでこんなに血は出ないよ? せいぜい擦り傷くらい…」
「膝をすった所にガラスの破片があったみたいだ」
「良い場所を取ったなガラスの破片!」

いやいや、ガラスの破片に感心してる場合なんかじゃない。早くトシを保健室に連れていかなきゃ。
一応止血している膝からはまた血が流れ出してきている。でも、トシみたいな成長期真っ只中の高二男子を成長期が終わってるに等しいか弱い高二女子が支えて歩くなんて普通に考えて無理あるよね。つか総悟が原因なら手伝えよあいつ。
痛みと闘うトシが居るから会話はあまりしないようにした。保健室はもうすぐだった。

「先生…!」
「どうし…すぐソファーに寝かせろ。頭を低くして足を心臓より高くするようにな」

先生はあたし達が入ってきてすぐに状況を理解してくれた。ただの変態保健医でなくてよかった。
言われた通りにトシをソファーに寝かせ、足を肘置きの場所に置いて心臓より高くする。ドクドクと血が流れ出る膝は、改めて見るととても酷かった。先生は血を止めるために結んでいたタオルを外してゴム状の、点滴を打つ時や注射を打つ時に腕に巻かれる紐を膝の少し上に巻いて、流れる血を拭いた。傷があらわになる。結構血が出たわりにはあまり傷口は裂けていないようだった。

「…病院行くか」

コットンとガーゼとテープは三種の神器だと思った。トシの傷口を三種の神器で素早く塞ぐ先生は、やっぱり保健医なんだな、と実感。

「…名前、」
「はいっ?」
「こいつの荷物を教室から持って来い」
「命令系なのはこの際気にしないようにしますね!」
「すまん、名前…」
「いいよいいよ。トシは怪我人なんだし気にしないで。荷物は、机の中にあるやつ鞄の中に詰めて来ていいの?」
「あ、別に鞄のままでいい。その方がお前に負担かけねェし」
「こんな時にあたしの心配しなくて良いのに。じゃあ、鞄、持って来るねっ」

トシにそう言えば、頼む、と言わんばかりに頷かれた。
保健室から出て、授業中の廊下を走る。まず職員室に入って教室の鍵を貰った。授業担当時間ではない他の学年の先生に怪訝そうに見られたけど、気にしている暇なんて無い。
急いでZ組の教室に向かえば、ちょうど授業が終わるチャイムがなった。

「うわっ、早く行かなきゃ…!」

トシの鞄を持ち教室を出ると、着替えてきたらしいゴリラと遭遇した。どうしてトシの鞄なんか持ってるんだ? なんて聞かれたので理由を話すと、ゴリラは気持ち悪い顔をより一層気持ち悪くして驚いた。

「…ってことだから、あたし授業遅れて行く」
「あぁ、今から着替えたら時間かかるもんな。わかった、言っておく」
「ありがと。ゴリラのくせに結構役に立つじゃん」
「えっ、ちょ! それひどくない!?」

なんだか騒ぐゴリラを放置して急いで保健室に向かう。どうしてZ組は隔離されてるんだと思った。ちくしょう、保健室が遠いじゃないか。持久走で走るよりもしんどいと思った。





保健室に着けば、病院に向かう為に先生が白衣を脱ぎ捨てたところだった。

(2010/01/30)
(2019/09/03 再編集)