同棲、六十日目。



無事に進級できることがわかったあたしだが、春休みはバイトや遊びなどの予定がぎっしりで休む暇もなかった。
それでも、ある日から先生の様子がおかしいのは分かっていた。何があったのかなんてあたしが聞けるわけも無く、日にちはどんどん過ぎて行き、明日から新学期になろうとしている今日この頃。
高校三年になるあたしにはこれからいろんな事が待ち受けているんだろうと思った。思っただけで深くは考えてないけれど、不安が募っていくばかりではある。
高杉先生に相談をしてみれば少し間があった後、気のせいだろ、との話題を流されてしまう。
休みの日であっても部活動がある限り出勤しなければならないなんて、本当に教師という仕事は忙しいものだなぁ、とノートパソコンや書類と見つめ合う先生を見て他人事のように考えてしまう。けれど、今、全く学校へ行っていないあたしにとって、先生だけが学校関連の大事な情報源だ。
きっと、先生が気の所為だと言うのであれば、あたしの考え過ぎなのかもしれない。しかしながら、不安を煽ってこない先生も珍しいものだな。

「名前、」
「はい?」
「あと一年、頑張れ」
「は、はい…まぁ、頑張りますけど?」
「ビール」
「あぁ、はいはい」

いきなりなんだって言うのだ。先生がいきなり、しかも自分から激励してくるなんて、珍しい事もあるものだなぁ。と、冷蔵庫にある先生御用達の缶ビールを手に取って、ソファーに座る先生の元へと持っていく。
こうやって晩酌を嗜む先生を見ていると、結構な酒豪なのかと思えてくるが、実際問題お酒を飲むペースを考えながら嗜んでいるのかもしれない、と思えてくる。煙草は変わらずのヘビースモーカーだけれど、浴びるように飲んでマーライオンのように吐いて、死ぬように眠る人などと比べると、綺麗な大人の飲み方だなぁと感じた。
あたしもお酒が飲める歳になったら、先生みたいに余裕を持って嗜むことが出来るのだろうか。――きっと、素敵なキャリアウーマンになっているハズだ。その野望を先生に話せば、無理だと一蹴されてしまうが、夢は夢! 素敵なキャリアウーマンに、あたしはなる!

「将来どんな職業に就くか。それが今のお前に無い限り、その夢は無理だな。諦めろ」
「手厳しい…!!」

面白いと思っているのかどうかわからないバラエティ番組を眺めながら飲む缶ビールの味は、先生にとってどんな味なのだろうか。
ダイニングテーブルで紅茶を飲みながら観察する。先生が自室ではなくリビングで仕事をする時は大体ソファーに座りながら書類とにらめっこしているので、あたしはなるべく邪魔しないように且つ、書類を見ないようにソファー付近に近付かないようにしているのだが、今日は眉間に皺が寄るほど内容が高度のようだ。
先日の職員会議で何かあったのかなぁ、なんてあたしが知る由もないのだけれど、あんなに眉間に皺を寄せていては極悪な顔がもっと極悪になってしまう。先生の高感度アップを目論むあたしからすれば、心配になってくるくらいの皺の深さだ。信用の出来る新聞部また子調べ、高杉先生のココが好きランキングの圧倒的一位が鋭い眼光なわけだが、ソレはソレこれはこれ。新入生に怖がられたら誰も保健室に寄り付かなくなるだろうが。

「先生、眉間、凄いですよ」
「あぁ?」
「皺、皺です。凄いです、皺」
「…あぁ」

よっぽど読んでる書類に苛立っているのか、それとも単に機嫌が悪いだけなのか。先生の返答には惜しみなく苛立ちが含まれていた。
教師のみに配られる書類を盗み見ることなんてしないが、先生の苛立ちゲージをマックスに近く上げるなんてどんな内容なんだ。
八つ当たりされるのも嫌なので、お風呂に入る事にする。お風呂行きますね、と言えば短い返事が返ってくる。
湯船に浸かれば溜め息が漏れた。そして、一番最悪なパターンを思い浮かべる。あの書類はあたしの成績とかイチ生徒の細かい内容が書かれているんじゃないか、と。まさかとは思うが、先生の事だし担任だった銀八を脅して奪い取ったのかもしれない。……無いか。無い無い。
保健医という立場とクラスの担任では仕事内容も違うだろうし、一応教師としての仕事をきっちり熟す二人だからそんな事はしないだろう。
頭を振って、まさかの考えを払拭する。でも、そうすると別の疑問が浮かんでくるのだが……まぁ、生徒であり子供であるあたしの知らない世界だと忘れることにした。
これ以上浸かっていれば逆上せてしまうかもしれないので、早々にお風呂を出てお気に入りのパジャマへと着替える。髪をタオルで拭きながらリビングへ戻れば、先生のノートパソコンは閉じられて束になっている書類を片付けいる最中だった。
今思えば、晩酌しながら仕事をするって凄いな。アルコールが回っている中で冷静な判断とか出来るのだろうか。テーブルの上にある缶の数が、一つ増えていた。

「飲み過ぎじゃないですか?」
「銀八と一緒にすんじゃねーよ。こんなもん、飲んだ内に入らねー」
「銀八が弱いのは知ってますから」

中身の無くなった缶を片付けるためにソファーへと近付く。缶を持ってメキッと潰せば、自分が少しでも怪力になったと錯覚した。

「……可愛くなくなったな」
「はい?」
「ちょっと前までは百面相を繰り広げていたくせに」
「成長したんですよ、成長」
「そうかよ」
「そうです。いつまでも先生に振り回されるあたしだと思わない事ですね!」

腰に手を当ててそう言えば、先生はククッと喉を鳴らした。この時点でからかわれている事を察すればよかったものの、時既に遅し。
いきなり立ち上がった先生に腕を掴まれ、口を塞がれてしまえば、もう、先生のペースだ。

「振り回されてんじゃねーか」
「ず、ずるい! これはずるい! 卑怯だ!」
「あぁ?」
「なんでもないでーす。おやすみなさーい」

逃げるようにリビングから自室へと移動する。これ以上先生の近くに居たら変な毒気にアテられてしまいそうで、そうなってしまえばあたしのSAN値が大変なことになってしまう。
自分の精神状態を気遣って何が悪い。少しでもアルコールの入った先生は、何をしでかすかわからないのだ。早めに退散するに限る。
籠城作戦が敢え無く終了を告げることもなく、先生自身も自室に戻った音が聞こえて、一息安堵。
携帯を充電器に挿して明日の準備も万端だ。
明日はどんな嘘をつこう。とりあえず銀八をからかってみようか。
とりあえず、始業式をどうやってサボろうかと考えながら、あたしは眠りにつくのだった。


もうすぐで新学期。

(2010/04/02)
(2019/09/03 再編集)