同棲、六十三日目。



銀八の話した内容は、あたしにとってとても納得できるような内容ではなかった。
普段ならありえない、滅多に怒らない神威さんが怒るくらいのミスをバイト中にしてしまったり、迷惑と心配をかけてしまった神威さん阿伏兎さんから早上がりしてもいいと言われたけれど、気が気じゃない状態で帰路を歩いていたら車に轢かれそうになったり、道を間違えたりと、いつもの自分から逸脱していたと思う。
精神的に疲れてしまって、帰るなり部屋に篭りベッドに突っ伏す。リビングに現れなかったあたしを心配してくれているんだろう先生が、扉を数回ノックして部屋に入って来た。

「…大丈夫か?」
「はい、まぁ…」
「無理してバイトなんかするな。ガキは親から小遣いを貰ってりゃ良いんだよ」

頭を撫でる先生の手が心地良くて、でも寂しくて。そして、…怖い。先生にあの女教師の事を聞こうにも聞けないあたしは臆病者だ。
あたしの額に当て体温を測っていた高杉先生の手が離れる。これから忙しくなるぞ、三年生。ククッと笑い言う先生はやっぱりかっこいい。去年のあたしはこんなに先生にぞっこんになるなんて考えてもなかっただろう。

「今日はゆっくり休め。なんなら、温めてやろうか?」
「……結構です」

この変態め。誰のせいで悩んでると思ってるんだ。…なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。あの女教師が先生と関係あろうと無かろうと、今のあたしに心配することは何もない、はずだ。
気にすんな、と銀八も言っていたじゃないか。気にしない、気にしない。レッツ、ポジティブシンキング!

「……あぁ、名前」
「なんですか?」
「学校では俺に近付いたり話し掛けたりするな」

ポジティブシンキングを決め込んだはずが、その一言で一気に砕け落ちた。
体が、唇が、全てが震えはじめる。いつの間にあたしはこんな弱い子になったのだろう。呼吸するのも苦しい。

「っ…なんで、ですか…?」
「新入生やら新任の教師やらにバレたらどーすんだ」
「でも、知ってるのって、ごく一部の…」
「そのごく一部ってのは、Z組の連中、銀八、万斉、あと三編み笑顔野郎だけか? バレた事は無かったか?」
「な、っ…」

ない。そう言おうとして止めた。バレてるじゃないか、一回。後輩であるまた子に、バレたじゃないか。
今は味方で居てくれているまた子だが、よく観察をしていたらあたしが高杉先生の事を好きだというのがすぐ分かったとか、なんだかそんな感じの事を言っていたような気がする。またバレて、騒動が起きてからじゃ意味が無いと先生は言っているんだ。
わかっている、わかっているけど、納得いかない自分が居る。それだけで先生が離れていきそうな気がした。

「…わかったな?」
「……わかりました」
「車での送迎は無理だ。なるべく連中と帰るようにしろ」
「わかってますって。先生って、見かけによらず心配性ですよねー」
「あ?」
「怒らないで下さいよ。じゃあ、あたし寝ますんで。お弁当箱は自分で洗ってて下さいねー」

まだ何か言いたそうな先生を押して部屋から追い出す。聞こえるようにおやすみなさいと言えば軽い返事が返ってきた。
辛い…が、仕方のないことだ。割り切るしかない。あたしはちゃんと笑えていただろうか。先生の目を見れていただろうか。
机の引き出しを開けるとくしゃっとなった写真がぽつんと自己主張していた。忘れていたはずだった。忘れたかった。あたしはその写真からしばらく目を離すことは出来なかった。


写真の中に居る若い頃の高杉先生と女教師は、笑顔だった。

(2010/04/24)
(2019/09/04 再編集)