同棲、六十四日目。
事は数年前、高杉晋助が大学へ入学した頃に遡る。
彼は、自分が慕っていた師が客員教授をしているという理由で高校卒業後も地元には戻らず、東京の大学へと進学した。高校時代と同様、成績面は申し分ないものの、授業態度は悪かった。そんな彼を変えたきっかけは、とある女性との出会いだった。
いつものように午前の講義をサボる為に大学のキャンパス内のベンチに座り、午後に自分の慕う師の講義があるので家に帰ることが出来ず、彼は暇を持て余していた。
同じアパートの同じ階に住む、これまた小学校からの幼なじみである坂田銀八に無理矢理大学へと連れて来られたものの、彼は師の講義以外は興味は無く、一応教育学部を専攻しているが自分が忌み嫌う教師という職業になろうとは考えていなかった。
二つ折りの携帯をぱかぱかと閉じたり開いたりを繰り返し、午後までの暇潰しをどうしようかと目を閉じた時、出会いと遭遇する。
「サボりくんはっけーん」
女の声だった。五月蝿いと苛立ちながら目を開けると、春風に髪を靡かせ仁王立ちして笑顔を浮かべる女と目が合った。
「あなたが、タカスギ…くん? だよね?」
「…誰だおめー」
「うわ、松陽先生の言った通り口悪いんだねー」
「……」
「私は野邊名前だよ、高杉くん」
「の、べ…名前…?」
「うん、そうだよ」
野邊名前と名乗った女に対し、彼はちょっとした敵対心と不信感を抱いた。女の言う、松陽先生 吉田松陽は、彼の尊敬する師だ。その師を同郷ではないだろう人が親しみを込めて下の名で呼ぶのが個人的に彼は気にくわない。
そして不信感と言うのは、彼の遠い親戚が同じ名前だったからだ。それともう一つ、気安く話し掛けてくんな。これが彼の中を占める一番の理由だ。
「なんの用だ」
「あ、そうそう、松陽先生にキミを連れて来てって頼まれてさぁ」
「は?」
「ほら、さっさと歩く歩く! こっちも講義サボってキミの相手してるんだから!」
朝の出来事がフラッシュバックした。朝は寝ていたところをドアを何度も叩いて起きろと声を掛けに来た銀八に起こされ、背中を押されながら駅まで歩いた。今は女に手首を捕まれ引っ張られながら歩いている。
振り払おうと思えば簡単に実行出来たはずなのにしなかった事は、後から師や幼馴染に執拗にいじられるネタとなるのだった。
師の用事は、この一年で銀魂大学から転勤する事と、彼にちゃんと講義に出るように伝えることだった。師がどこに行くかを問えば、それは師の、そして自分の故郷だと。
表に出せない絶望感。彼は頑張ってくださいと師に伝えた。
「……ねぇ」
「……」
「ねぇ…」
「……」
「ねぇってば!」
「…ンだよ」
「高杉くん、良かったの?」
「あ?」
「松陽先生と高杉くんの関係は分からないけど、どっちも悲しそうだったよ?」
「おめーはいちいちうるせーな。首突っ込むンじゃねェよ」
「だって私、松陽先生からキミのお目付け役を言い渡されたんだもん」
「あぁ?」
講義と講義の間の休み時間。彼の声は周りの注目を引くに最適な大きさだった。じろじろと見てくる周りの人間を一睨みすれば視線はすぐに無くなったが、彼の隣を歩く女は何事も無かったかのように話し続ける。
「私も松陽先生の講義受けてるんだけどね、高杉くんが全く講義に出てないって話を聞いた松陽先生が偶然近くに居た私にお願いして来たの。晋助をお願い出来ますか? って」
「偶然かよ」
「偶然で何が悪い! そのあと正式にお願いされたんだから」
「で?」
「で? って言われましても…」
「ククッ、おめーが俺のお目付け役ってのは役者不足だな」
「なんだと!」
「悔しかったら俺に名前を覚えさせてみやがれ」
「えっ!? 私、ちゃんと自己紹介したよね!?」
「知らねぇな」
「なんだと!…あ、」
「今度はなんだ?」
「高杉くん、笑ってる…?」
「ンな事知るか」
変な女。それが第一印象だった。面白い女。それが話してみた感想だった。
彼に言い寄ってくる女は、外見は良くても性格が悪かったりしたものだ。光に集る虫のように媚びる女が周りに多かった彼にとって、良い意味でも悪い意味でも、初めての女だった事は変わりない事実となった。
その後も、彼は彼女と行動を共にする事が増えた。教師になりたいという彼女と共に過ごしていたからか、師から習ったことを活かせるならと養護教諭課程を受け、一種免許を取得。大学卒業後は彼女と別れ専門の大学院へ。本格的に養護教諭になる道へと進んだのだった。
彼女と知り合ってからは、今までと比べ物にならないくらい、彼の中で充実していた日々だったに違いない。
「晋助、」
保健室の扉が開けられ入って来たのは、大人びた顔をした、あの頃と何も変わらない髪を窓から入る春風に靡かせた女だった。
出会いと再会。
(2010/05/07)
(2019/09/04 再編集)