同棲、六十五日目。
先生と気まずい関係が続いた。学校でも家でも、必要事項以外は話さなくなった。銀八に相談すると大丈夫だろ、と言われたから気にしないでいた。が、話せないことがあまりにも寂しくて、苦しくて、河上先生にも相談すれば、銀八同様に心配ないと言われてしまったが、軽く話を聞いてみるらしい。完全放置の銀八よりも、頼りになる先生だ。
これで事態が好転していってくれれば嬉しいんだけど、なかなかそうはいかないわけです、はい。
「じゃあ今年の体育祭の応援合戦の代表は…」
またまた学級代表となったヅラが黒板に書かれた名前を読み上げていくロングホームルームの時間。
黒板に書かれたのは、ほぼ全員が去年と同じメンバーだ。つまり、当然の如くあたしも選ばれていた。
妙が中心となって今年はどんなテーマにするか話し合う中、相槌は打ちつつも話を聞く余裕なんてなかった。
何度も九ちゃんや神楽に意識確認をする為に名前を呼ばれるが、それに答える気力も無い。結局、何も意見を言わないまま、テーマは普通にチアガールをすることになったようで、話し合いが終了すれば早めのショートホームルームの時間。
銀八のやる気の無い話で始まり、そして終わる。窓の外を眺めていたあたしは、既にショートホームルームが終わって事に気がつかなかった。
「……名前、大丈夫アルか?」
「うん…」
「ダメね。心此処に非ずだわ」
「うん…」
「姐御! 眼帯野郎をけしかけにいくアル」
「それは駄目よ神楽ちゃん。よけいに話が拗れるだろうし、私達が言っても高杉先生は話を聞いてくれないわよ」
「じゃあ銀ちゃん?」
「その辺よね…後は、……あ、土方君っ」
妙と神楽が何かを話しているのは聞こえていた。でもそんなことどうでも良かった。今日はバイトも無いし家でゆっくりしよう。先生には悪いけれど夕飯は適当に食べててもらおう。
そんな事を考えていると突然肩を叩かれた。振り返れば学ランを少し着崩したトシが気まずそうに立っていて、教室はオレンジ色に染まっていた。
「もうすぐ下校時刻だぞ」
「え、あ、…もうそんな時間だったんだ」
「気づかなかったのか?」
「全く。トシ、部活は?」
「志村姉が近藤さん脅して無しになった」
妙は一体何をしたんだろう。いや、違うか、ゴリラは妙に何をしたんだろう。
ちょっと考えていると、あたしの荷物を持ったトシが一言、送る、と言ってくれた。どうしてだろう。トシの優しさが、なぜか痛い。
一緒に教室を出て、一緒に昇降口まで歩いて、一緒に校舎を後にする。トシと、トシの自転車の影が夕陽に照らされて長く伸びていた。
二人っきりで帰るのは滅多にない事なのに、お互い何も喋らなくて、無言のままオレンジ色に染まる道を歩いていく。
何を話せば良いのか分からないのもお互い様、何から切り出せば良いのか分からないのもお互い様。でも、不思議と沈黙を窮屈だとは感じなかった。
「…家まで、送ってくれてありがとう。帰るの遠回りになっちゃうのにごめんね」
「いや、俺が勝手に送っただけだから。気にすんな」
「うん……ありがと、トシ」
もう一度お礼を言えば、トシがもう良いって、と言う。
トシは礼を言われ慣れている感じではないからか、オレンジ色に染まった顔が本当はどんな色に染まっているのか分からない。
じゃあね、また明日。手を振ってマンションに入ろうと踵を返した時だった。
「 名前っ、」
腕を引っ張られ、視界は黒で染まり、自転車が倒れた金属音があたしの思考を邪魔した。何がどうなったかは分からない、解らない。
「溜め込むな。泣きたかったら泣け。俺に当たっても良い。だから、悲しそうな顔をするな」
耳のすぐ横でトシの声が聞こえる。苦しそうな声だ。…あぁ、あたしはトシに抱きしめられてるんだな。
そう理解したら、急に恥ずかしくなってきた。やばい。どうしよう。どう足掻いても離してもらえなさそうだ。それに、何故か、落ち着く。
「頼むから、幸せそうな顔をしてくれよ」
悲しそうな、苦しそうなトシの声。泣きそうにも聞こえる。
どうしてトシが泣きそうなの? なんで苦しそうなの?
疑問を口に出せば、あたしの声も同じように震えていた。
「辛いなら別れろ。誰もお前を責めなんてするもんか」
「…ッ、と、し…!」
辛い。辛いよ。先生と話せないのも、先生の笑顔があの女教師に向けられてるのも、先生が何も言ってこないのも。全部、全部辛いよ。
口に出す代わりに、堪えていたはずの涙がどんどん流れ出た。弱くなりたくなかったから、泣かなかったのに、泣かない努力をしていたのに。トシは優しくあたしの頭を撫でてくれた。少しだけ、幸せな気分になれた。…のに、
「何してんだおめーら」
いきなり掛けられた声に、心臓がビクリと撥ねた。
(2010/05/20)
(2019/09/04 再編集)