くるくる、くるくる。
巻き戻す。巻き戻る。
  ぎゅるぎゅる、ぎゅるぎゅる。
滑車が停まる。余韻を残しながら停まり、そして、進む。


同棲、七十四日目。



「晋助ーっ」
「あ?」

だだっ広いキャンパス内を歩く青年  高杉晋助に声をかけるのは、つい最近長い髪をばっさりと切った彼の交際相手だった。
機嫌悪く返事をした晋助に対し、交際相手の女は呆れた、とため息を吐く。

「もう一週間よ? いい加減機嫌なおしなさいよ」
「俺はいつも通りだ」
「は? どこが? 私の髪なんだし、いつ切ったって良いじゃない」
「そーだな」
「だから機嫌なおしなさいってば。ほんっと子供なんだから」
「うっせーよ。お節介女」
「はあ!?」
「はいはい、二人ともそろそろ止めろって。講義始まっぞー」

一触即発の雰囲気を醸し出す二人の間に割って入ったのは、晋助の幼なじみである白髪の青年だった。
珍しく眼鏡をオプションとしてかけている彼に対し、彼女は笑い出す。
晋助はそんな二人を一瞥し、遅刻してもしらねぇぞ、と先程自分が言われた言葉を言い返し、講義のある教室へと一人入っていく。その後を一通り笑い終わった彼女が追い、ため息を吐きつつ青年も教室へと足を進めるのだった。


季節は春。大学に入り、三回目の春だった。
彼の目標はガラリと変わっていた。恋人の影響もあり、サボりがちだった講義にも出席するようになった彼への周りからの評価は右肩上がりへと変貌を遂げる。
やる気を出せば出来るもんだな、とレポートに追われる幼馴染への当て付けを言って喧嘩になった事がつい最近の事のように思えた。
幼なじみの青年や、自分の彼女とは被る授業が少なく、また、学年が上がるに連れて忙しさも増していくのでキャンパス内で会うとなると昼休みくらいしか無かった。一つの講義を除いて。

  教育心理学。

この講義は、晋助の尊敬する講師が担当しており、晋助は彼を追って故郷である土地から離れ一人で見知らぬ場所へ上京したと言っても過言ではない。腐れ縁の幼なじみである青年と中学までは仕方ないにしろ、上京してから始まった高校生活も共に過ごすとは思ってはいなかったが。
晋助がその講師を慕う理由は、幼い頃から世話になっていた人だという、ただそれだけだった。

「……では、今日はここまでにしましょう。レポートの提出締め切りは明日までですから、まだの人は私の研究室に持ってくるように」

長くつまらない授業が終わり、教室から少しずつ生徒が居なくなっていく中、一番前の席に座っていた晋助も後ろの方で寝ているであろう幼なじみの青年と自分の彼女を起こすべく立ち上がったときだった。晋助、と講師が彼を呼んだ。

「最近はちゃんと授業に出席してるんですね」
「……まぁ」
「野邊さんに頼んだ甲斐がありました」

付箋がいくつも挟まれた教科書やらプリントを片付けながら、講師は笑顔のまま続ける。

「これなら、私が居なくても大丈夫そうですね」

講師は微笑むだけで言葉の意図は語ろうとはしない。
その代わりと言っては何だが、昼休みに研究室に来るようにと晋助に伝え、静かに教室から出て行った。

「晋助ー? 授業終わったなら起こしてくれたって……何してんの?」

目を擦り、あくびをしながら歩いて来る彼女になんでもないとぶっきらぼうに言った晋助は、次の講義の準備をするために、まだ寝ている友人と寝ぼけている彼女を教室に放置して去って行く。

講師の言葉の意図を考えれば考えるほど、わけがわからなくなっていた。
実習では滅多にしないミスをしたからか、担当の講師からは熱があるのではないかと心配された程、晋助は言われた言葉の意味を考えていた。
タバコを灰皿に押し付ける。昼休み前の講義をサボった彼にとって、今は講師について考える時間だった。去年なら彼女が授業を受けろとしつこく言ってくるのだが、今年はそれも無い。
ベンチにだらーっと体重を預けて瞼を下ろす。瞬間、ズボンのポケットに入れていた携帯が震え出した。

「……あ?」

ディスプレイに表示された文字は彼の母親からだった。仕方なく通話ボタンを押すと、やけに上機嫌な声が晋助の鼓膜を刺激した。

「…んだよ。……盆? まだ先だろォが。  名前が?」

名前。その名前を口にした彼は、彼らしく微笑んだ。

「苗字さん一家が帰省すんのか。…珍しいな。……だから先の事なんざ分かるかよ。……ああ、…じゃあな」

まだ何かを伝えようとしていた母親との会話を強制的に終わらせる。ため息一つ。慣れた手つきでデータフォルダを開き、一枚の画像を表示する。
その画像には、今より断然幼い彼と、幼稚園に通っていると想定される女の子と、彼と同い年くらいだろう大きめのヘッドフォンを首に掛けた少年が写っていた。

「中学一年か……でかくなってんだろォな」

胸ポケットからよく好んで買うタバコのケースを取り出し、縦に振って中から一本器用に出して口に食わえた。

「あー! 晋助またサボったんじゃないでしょうね…!!」

ライターでタバコに火を点けると同時に、背後から聞こえてきた声。
振り向く事もせずに手だけ軽く振ると、間隔の速くなった足音が近づいて来るのがわかり、携帯の電源ボタンを二、三回だけ連打し、何も無かったかのように閉じた。

「松陽先生に言い付けてやる」
「おめーは銀八とよろしくやってただろ。ならおあいこだ」
「同じ科目とったんだから仕方ないじゃない。……まさか晋助、ヤキモチ?」
「ンなわけねェだろ。それからニヤニヤすんな、気持ち悪ィ」
「彼女に向かってそれはひどいんじゃないのっ?」
「うっせーよ。…食堂行くんだろ。早く行くぞ、  名前、」



昔の彼と幼い彼女と彼女。

(2010/10/29)
(2019/09/04 再編集)