同棲、七十六日目。
ピチチ。ピチチチチ。
鳥の囀りがいつもより良く聴こえた。一度意識が覚醒してしまえば、心地好かったそれはだんだんと鬱陶しいものへと変化していく。
布団から出るのも億劫で、俯せになった。途端、なんだか違和感。
シーツの感触、布団の重さ、におい。全てあたしの知っているものじゃない。
起き上がれば、以前に見たことあるような無いような、そんな部屋の風景が広がっていた。
えっと、確か、この部屋は 、
「よ。やっと起きたな」
「…銀、八」
以前に数回、片手で数えれるくらいしか来たことのない、ボロアパートの一角にある銀八の家……だった。
「大丈夫かー? 起きてっかー?」
「う、ん。…起きて…ぎゃああああああ!!」
銀八の姿を改めて視界に入れた瞬間に恥ずかしくなってしまった。白地に青いストライプのト、トト、トランクス。
……見てしまった。先生以外の、下着。いや、変な意味じゃなく、洗濯してたら見ちゃうわけだし、…って、違う違う!
「ぎゃあ、ってなんだよお前…。もっと女の子らしく叫んでくれないと、先生泣いちゃう!」
「ふざっ、…つか、なん、着っ…!」
「お前もな。ほれ」
テンパったままのあたしの頭に何かが被さってくる。一瞬視界が白くなったのに反応して、それを取り払うと、毎日着ている自分のセーラー服。
お気に入りの柔軟剤の匂いは健在で、すぐに自分の物だと理解する。
冷静に頭を整理し、自分の今の姿を確認。ぶかぶかヨレヨレのTシャツ一枚。一度、深呼吸。
「ぎゃあああああああああ!!」
昨日、久しぶりに委員会会議があった。いつも怠そうに参加している高杉先生の姿は、保健委員会が使用する教室に無い。
保健医だから誰かを看ているんだろう、という結論になり、委員長が仕切り会議は進んでいく。その間、先生に何度もメールを送るが返信は無かった。
恙無く会議は終わり、電話をしても先生は出ない。いつもは気にせず帰るのに、気がついたら保健室に先生を迎えに行っていた。
そうだ、ついでに今日回収したアンケート用紙も届けよう。期限は来週までだったけれど、あたしの鞄の中にはZ組全員分の回答済み健康調査アンケート用紙がある。
委員会の仕事という名目でも、先生と話せるという喜び。嬉しいなぁ、と今にもスキップしてしまいそうな感覚だった。
そして、保健室の扉をそろっと開ける。――あたしじゃないあたしの名前を呼ぶ先生の声と、先生の名前を呼ぶ声がした。
先生と、野邊先生、だった。
あたしと同じ名前。吐き気がする。
今なら何も見てなかったことに出来ると踵を返して走る。走る。走ったら疲れてしまって、何も考えられなくて、立ち止まって、吐き気に堪えきれずうずくまった。
その時に声を掛けてきたのが銀八で、とりあえず落ち着けみたいな事言われて、家に帰りたくないみたいな事を言ったような、言わなかったような。
……で、国語準備室でわんわん泣いて、歩きながら銀八の家に着いて、わんわん泣きながら話してるうちに――って、あれ? ここから記憶が無いぞ?
「それはあれだって。泣き疲れて寝たんだって」
腫らした頬を痛そうに摩りながら銀八が言う。
頬を腫らしたのは言わずもがなあたしが殴ったからであり、悪いのは着替えを覗こうとした銀八本人だ。
「じゃあ、なんで銀八のシャツをあたしが着てたの?」
「そのまま寝たら制服にシワがつくからこれに着替えなさい、って言ったらお前が自分から着替えたんだっつーの。銀さん無実!」
「……見た?」
「何を」
「着替えてる、ところ…」
「見てねぇよ。水玉模様の二重フリルの下着なんて――あ、」
「やっぱり見たんかあああああああああ!!」
「違っ、待て、待てって! これには理由がだなっ…!」
「…理由ぅ?」
とりあえず、テーブルに置かれていた灰皿を持つ手を止める。
銀八は両手をあたしに向けて何度も落ち着け、と言った。
「シャツ渡したらいきなりセーラー服脱ぎだして、いきなりの事で俺も反応出来なかっ――げふっ!!」
「やっぱり見てるじゃねぇかあああ!!」
銀八の顔面にクリーンヒットしたガラス製の灰皿は、赤い液体を所々に付着させたまま床を転がり、やがて止まった。
倒れたままの銀八を無視して自分の鞄に入っている携帯のディスプレイを確認。直後、見なければ良かったと思ってしまう。
着信、74件。メール18件。全て先生からのものだった。
瞬間、昨日のことがフラッシュバックする。あぁ、もう、考えるなあたしの馬鹿!
「高杉には志村ん家に居るっつってるから」
「……え、」
いきなりそう言われ、高速回転していた頭の思考回路が急ブレーキをかけたかのように止まった。
振り返れば、顔面を抑えながら上半身を起こした銀八。
「名前に連絡があったって事は、俺にもあったのが当たり前だろ? ただでさえ友人が少ないからなぁ、あいつ」
「あたしと直接関係してる人の知り合いが銀八とか、河上先生くらいしか居ないからじゃないの? 生徒と連絡先を交換するなんて、普通の教師はしないと思うんだけど」
「それも一理あるな。何にせよ、このまま家に帰るんだろ?」
「え、だって学校……」
「今日土曜だぞ」
「……あ」
「偉いなぁ名前は。休日なのに勉強したいだなんて。先生びっくり!」
「う、うるさい…! 色んな事が一気に起こって忘れてただけだし!」
なぜかツボったらしい銀八は笑いながら床をバンバンと叩く。そこまで笑わなくても良いのに。この天パーめ。
「じゃあ帰るから!」
「っ、くくく…ははっ、おう、じゃあなー。ははははっ」
「笑いすぎだっつーの!」
「ぐへっ」
手元に転がっていた缶ビールの空き缶を思いっ切り銀八の顔面に投げ付けた。顔面ヒットしたそれは床に転がり、銀八はまたダウンする。
天罰だ、天罰。いや、天誅? よくわかんないけど、笑った銀八が悪い。
ローファーを履いて外に出る。少し歩いて振り返れば、ボロアパートがにっこりと微笑んでいるように見えてしまって頭を振った。
「あ?――もしもし? ああ、…………そうか。わかった。…うっせーよ。俺だって本気になったって事だっつーの。…なんだよ。……まぁーな。俺、昔っからあいつの事嫌いだし。……おう、じゃーな」
通話を切った青年は、普段見せない真剣な瞳をしていた。
(2010/11/17)
(2019/09/05 再編集)