同棲、七十七日目。



あの日以来、先生は少し変である。

「先生、洗濯物」
「…その辺に置いとけ」
「ベットの上に置きますね」
「あぁ」

薄水色の布団の上に畳んで重ねた洗濯物を置けば、その重さでふかふかな布団は少し凹んだ。
横目で、椅子に座り机に向かい、難しそうな分厚い本を読む先生を見ながら部屋を後にする。珍しく眼帯を外し、眼鏡を掛けていた。

「……絶対変だ」

リビングのソファーに寝転がり、ソファーと同じ色のクッションを抱きしめる。
いつもなら部屋に入れないし、入れたとしてもあたしの行動を部屋を出るまで見届けるのに、今日はずっと本と睨めっこしていた。
いや、別に睨めっこしていたわけではないけど。
あの日、――銀八の家に泊まった日から、先生は必要最低限な会話しかしてくれなくなった。
別に、銀八の家に泊まったことがバレたわけではない。銀八の良い行いのおかげで、先生の中では妙の家に泊まっていた事になっている。
なのに、なんでだ?
普段から無口で無駄にクールな先生だけど、両想いだと分かった去年のクリスマスからつまらない内容でも、他の人と比較しても会話してくれていると思っていたのに。
……まぁ原因は一目瞭然なのだけれど、あたしにはそれを無くす方法を知らない。それでも、事務的な会話だとしても、話せている事を嬉しがらなければいけないのに。

「モヤモヤ、する…」

女の嫉妬は醜い。嫌な女だな、あたし。
三年生のみにある二者面談週間に入り、授業が早めに終わる期間になったのは嬉しかったが、先生までも早引きしてるなんて思ってなかった。想定外。
つか、普通、保健医って授業の時間に関係なく放課後まで居ないといけないんじゃないの? あれ? そうだよね? サボりか、サボタージュかこの野郎。
ソファーで悶々と考えながら寝返りをうったら落ちた。結構痛い。
痛さに呻いていると、ジーンズのポケットに入れていた携帯が鳴り出した。

「……神威さん…?」

着信画面には神威さんの文字。バイトは明日だったはず。あれ、今日だっけ? あれ? 今日だったらやばくないかこれっ。
冷や汗が背中を伝う感覚がしつつ、フローリングの床に正座をして通話ボタンを押した。

「あ、やっと繋がっ」
「ごめんなさい! バイト今日でしたよね! あたし明日だと勘違いしてたみたいですみません今からすぐ行きますごめんなさい…!!」
「いや、名前ちゃん落ち着いて。バイトは明日だから」
「はいそうですよねごめんなさい今すぐ…って、え…?」

神威さんの笑いを堪えているような声が聞こえた。ん? バイトは明日で、合ってる……?

「紛らわしい時間に電話した俺も悪いか。ごめんね」
「え、あ、いや、こちらこそ、ごめんなさい…」
「実はね、明日でも良かったんだけど、さっき試作段階だったケーキが出来上がって、名前ちゃんに一番初めに食べてもらいたくて」
「あたしなんかがそんな大役…!」
「名前ちゃんが良いんだ。今から来れる?」
「神威さんがそう言ってくれるなら、はい! 喜んで!」
「そう。ありがとう。じゃあ待ってるから」
「はいっ。失礼します」

プツリ、と通話が切れる。携帯を閉じてすぐに自分の部屋に向かった。オシャレをするわけではないが、財布とかをミニバックに入れて出かける準備をする。
神威さんが考えるケーキは、味や形に狂いは無い。そして、考えた通りにケーキを作り上げる阿伏兎さんの腕に失敗は無い。それでも二人は試作をに試作を重ね、完全なる自分達だけの完成された作品を作る。
それを一番初めに食べれるなんて光栄過ぎる!

「……先生、」

一応、出掛けることを伝えなくてはと思い、先生の部屋のドアを数回ノックして声を掛けた。
無言で開くドア。先生の目が、なんだ、と問い掛けてきた。

「あ、えっと、少し、出掛けてきます」
「……あぁ」
「夕飯は昨日のから揚げが残ってるので、それを食べてください」
「……わかった」
「じゃあ、行ってきます」
「…あぁ」

少ない会話だった。ドアはすぐに閉まり、あたしと先生の間を塞いだ。
……なんだか、やるせない。
そのやるせない気持ちのまま外に出る。そんなあたしの心情を察してか、空は曇天のどんよりと重い色をしていた。

喫茶店までは、徒歩で20分から30分くらい。黙々と歩いていれば、ぽつぽつと雨が降ってきた。
外に出たら雨が降る事なんて予想出来たハズなのに、傘を持ってきていないあたしは、当然の如く雨に濡れながら歩くしかない。
以前だったら先生が心配して電話をくれた。でも、携帯は鳴らない。
ははっ、とから笑いが漏れた。


鋭い雨が、体を遠慮無く貫いていくのに、あたしは悲鳴をあげることが出来なかった。

(2011/02/15)
(2019/09/05 再編集)