同棲、八十三日目。



「お宅のお子さん、このままでは志望校に行けませんね」
「誰が子供だ、誰が」

今夜から始まるらしい教師ドラマの予告に流れていた主役の決め台詞を言い終わり悦に入った銀八に、とりあえず冷めたコメントを返せばしばらくの間の後、銀八はゆっくりと椅子に座った。
机の上にはあたしの成績表が広げられ、昨年までの倍率やらが書かれた紙も置かれている。隣に座る先生は、何も言わず、その紙達を眺めているだけだ。

「笑い事じゃなく、お前ほんとに危ういぞ。受かったとして裏口入学だな」
「裏口入学か……違いねェな」
「いやいやいや、裏口入学を提案する銀八も銀八だけど先生も否定しましょうよ…!」

ククッと喉で笑った先生は、ジロリ、とあたしを睨んだ。いや、分かってます。あたしの成績が悪いせいだっていうのは重々承知していますですはい。

「高杉、それで提案なんだが、」
「また勉強合宿ってか?」
「おっ! さっすが高杉っ。分かってるねぇ、このこのっ!」
「おめーが考える事ぐらいお見通しだ阿呆」
「ちょっ、おまっ、俺アホの坂田じゃないから! アホじゃないから訂正しろコラ!!」
「どうせこいつは強制参加なんだろ?」
「えっ!?」
「当たり前だろ? むしろ俺、他の生徒とかどうでも良いし」

今日の夕飯とかトシの事とか考えてたらいつの間にか二人の話が進んでる……というか、なんでこの二人は火花散らしてるんだ? もしかしてあたしが原因なのか?
あたしの成績が悪いからなのか!!?

「とりあえず、だ。名前、お前今年も勉強合宿強制参加な」
「えぇっ!?」
「仕方ないだろ。お前の成績悪いんだもん」
「もんって良い大人が気持ち悪いよ、銀八」

正直に気持ち悪いと伝えれば、銀八は猫背になり明らかに落ち込んだようだ。口には出さないけど、もう一回正直に言おう。鬱陶しいよ、銀八。

「……名前、」
「はい?」
「こいつの相手は俺がしとく。先に帰っとけ」
「それは嬉しいですけど、これって三者面談ですよね…?」
「おめーが気にする事ァ無ェよ」
「…じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……?」

先生が先に帰れと言う時は、いつもではないけれどあたしに聞かせたくない話をしたいから、と言うことが多い。つまり、銀八と話があるからお前は帰っとけ、と言うことだ。
自分の席に置いていた鞄を肩に提げ、じゃあ帰ります、と言えば、銀八は机に顔を突っ伏したままこちらに手を振り、先生は片手を少し上げただけだった。
教室を出れば、テスト前だということもあって、部活動に青春を謳歌している生徒達の声は聴こえない。いつもならグラウンドやら、音楽室……至る所から聞こえてくるのに、なんだか変な感じだ。
そして、毎回の事ながらそれに馴れないあたしは、誰も居ないことを祈りながら、大きな足音を立てながら靴箱へと向かう。
ふと階段の踊り場から窓の外を眺めれば、見た事のある顔触れが帰っていく姿を見かけた。妙に神楽、九ちゃんも居るし、ゴリラと総悟。後は地味コンビに九ちゃんのストーカーに……あ、あれ?

「トシ……?」

ゴリラ達が居るって事は剣道部の部活も風紀委員の活動も休みなはずだ。だから、あのメンバーにトシの姿がいないのはおかしい。
何か嫌な予感がして、鼓動の速くなる心臓を黙らすように駆け足で階段を下りていけば、3年Z組の靴箱に背中を預けて立つ生徒の姿があった。
あたしを見てぶっきらぼうに微笑む姿が某人物と重なり、少しときめいてしまった。それを隠す為に、鞄からタオルを取り出していかにも汗拭いてますよーという雰囲気を醸し出せば、あたしを見る生徒――トシは噴き出して笑う。

「テンパり過ぎだろ」
「えっ…!」
「それ、体操服」
「……いや、別にタオルと間違ったわけじゃないから。タオルが奥底にあって取り出しにくくて仕方なく体操服で汗拭いただけだから」

なんとか取り繕うものの、トシは笑うのを止めようとしない。
すねたような感じにはなるけど、無言で体操服を鞄にしまい、無言で靴箱から自分の靴を取り出せば、トシも自分の靴箱から靴を取り出していた。

「……ゴリラ達なら、もう帰ってるよ」
「知ってる」
「……なんで、…一緒に帰らなかったの」
「お前を待ってたから」
「…ト…シは……あたしの、…彼氏じゃない…よ、」
「知ってる」
「あたしには、先生が」
「それも知ってる」
「じゃあ、なんで――、」
「お前がッ」

あたしを見ながらトシは喋る。その視線から逃げるように、靴箱を睨みながら口から言葉を出すあたし。
逃げ腰なあたしの言葉を、トシは声を荒げて遮る。それに驚いてビクッと体が震えた。

「――お前が、…好きだから」

咄嗟にトシを見てしまった。
見てはいけないと分かっていたのに、見てしまった。
トシは泣きそうな、辛そうな、そんな表情をしていて。あたしの心臓を締め付ける。
あたしにしか聴こえない、頭に鳴り響く警鐘は、だんだん音が増して行った。

「お前が誰を好きでも、俺は、…俺はお前を好きだから。悪い。…女々しいよな、俺。フラれてンのに。忘れてくれ」

いやいや、そう簡単に忘れることが出来たら忘れてますよ土方くんんんんんんっ!
去年、トシを振ったのはあたしだ。友達で居たいという理由で。
一呼吸置き、考える。ある程度思考を巡らし、そして、靴を履き変えたトシが帰る為に校門へと向かう足音が聴こえたので彼の背中を見る為にしっかりと顔を上げた。
あの頃は、まだ先生に惹かれてなかった、気がする。もしかしたら、トシに惹かれていたのかもしれない。
それでも、今、あたしは、

「……トシ!」

去っていく背中を追うように名前を呼べば、トシはどうしたんだ、と言いながら立ち止まり、振り返ってくれた。

「もしかしたら、トシに惹かれてた時もあったかもしれない。…でも、やっぱりあたしは先生が好きで……前のあたしだったら先生なんて好きにならなかっただろうけど。それでも今のあたしは先生が好きだから、トシの気持ちは嬉しいけど、応えられない。ごめん…」

一瞬、ビックリした表情の後、トシはいつもの様に微笑んでくれた。

「お前が謝ることじゃないだろ。…じゃあ、俺帰るわ。じゃあな、名前」
「あっ、えっ…と、あたし達、友達だよね…!?」
「当たり前だろ」

あたしに背を見せ歩き出すトシの表情がどんな表情なのか、あたしには検討も想像もつかない。
ただ、いつも通りにトシが笑って友達だって言ってくれた事が嬉しかった。そう、それだけ。

「…先帰ってろって言わなかったか」
「っ、ビックリした…先生か。銀八はもう良いんですか?」
「あぁ」

帰るトシの姿を見送っていれば、急に声を掛けられた。意外とすぐそばに先生が居た事に気付かなかったのは不覚だ。
見られていたかもしれない不安なんて、これっぽっちも無い。だって、先生に悪い事をしてしまったなんて思ってないし、あれがあたしの正直な気持ちだったからだ。

「帰るぞ」
「帰って良いんですか?」
「テスト前の放課後に、誰も保健室に来ねェよ」
「そういうもんかな…」
「なんなら誰も来ねェ密室で、時間まで二人きりってのでも俺ァ構わねーがな」
「よし帰りましょう! すぐ帰りましょう! 早く帰りましょう!!」
「ククッ…じゃあ先に駐車場に行ってろ」
「はーい」

保健室に荷物を取りに行く先生を見送り、あたしも職員専用の駐車場へと向かう。
先生の機嫌は良かった。
つまりそれは、あたしとトシの会話を聞いてた可能性が高いということに繋がる。恥ずかしさはあるけれど、胸が温かくなったから気にしないでおいた。
だって、先生と久しぶりに一緒に帰れるのだから。


今日の夕飯、何作ろうかな。

(2011/07/09)
(2019/09/05 再編集)