同棲、八十六日目。
ゆらゆらと揺れる三つ編みにされた澄色の髪の毛が、太陽光に照らされて綺麗に光っている。
大きな背中は可もなく不可もなく、良い感じに鍛えられていて、意外と筋肉質だったんだ、とどうでも良いことを考えてしまった。――いやいや、そうじゃなくて!
「なんで神威さんが此処に居るんですか…!」
目の前を歩く、いきなり合宿場所であるこのビーチに現れた神威さんの背中に問い掛ければ、んー? といつもの声の調子ではぐらかされる。
さっきから聞いてるのに全く答える気が無いだろう神威さんは、上機嫌であたしの前をどんどん歩いて行く。
バレーコートをセッティングする神楽の姿と、相変わらず一人でスイカ割りをする桂の姿が見えてきた。スイカの隣には、銀八の頭っぽい何かがあるようだ。……気にしない、気にしない。
「神威さん、あの、お店って今日、営業してますよね…?」
「うん。してるよ。なんで?」
「店長の神威さんが居なくて…その、大丈夫なんですか?」
「あぁ、うん、まぁ阿伏兎と臨時のアルバイトの子が入ったからね。大丈夫なんじゃないかな」
「臨時の、アルバイト……?」
「名前ちゃんの高校の子みたいだよ? 髪の毛が凄い黄色なんだけど、結構良い子なんだよね。名前ちゃんの事は知ってるみたいだったけど」
「……あー、はい。何となく、誰かわかりました」
間違いなくあの子なんだろうけど、ここはあまり触れないでおこう。結構ハードだから大丈夫なのかなと心配した反面、ちょっと吊り目なツンデレ子が笑顔で働く姿を想像したら少し笑えたのは内緒だ。
視線を神威さんの背中から先へと移せば、あたしの姿を捕えたらしいトシの表情が一瞬にして曇った。多分、いや絶対、神威さんを見たからだとは思うけど、そんなあからさまに嫌そうな顔をしなくても良いんじゃないかなぁ……なんて考えてみる。
いや、あたしも神威さんが此処に来た理由を知らないから庇うことも出来ないけど。
「なんでお前が此処に居るんだよ」
「招待されたからね」
「はぁっ?」
「招待されたからね」
「いや、別に二回言わなくても大丈夫ですから。というか、招待って…?」
あたしが神威さんに聞いた瞬間。本当に瞬間。河上先生が勢い良く、漫画みたいにドドドドッという音を立ててるんじゃないかというくらい勢い良く走ってきた。
珍しい光景過ぎて、呆然とそれを見てしまう。
「しっ、ししししししししし晋助っ!! どういう事でござるか!!?」
「あ? 何の話だ?」
「あれでござるよ!!」
銀八を埋める為に使っていたらしい、大型のスコップを肩に担ぎながらパラソルの下へと戻ろうとしていた先生に、河上先生がこれまた勢い良く詰め寄った。
先生は何の事か状況をうまく飲み込めていないようだけれど、河上先生の指をさした先を見て双眸を見開き、担いでいたスコップを砂の上に落とす。
あたしとトシも河上先生の指差す先を見る為に少し場所を移動して――河上先生の言いたい事がなんとなく理解出来た。
太陽の陽射しにも負けないほどの白い肌に、グラマラスな体を強調するかのように着用した黒いビキニ。スタイルの良さを惜しみ無く晒す人物が、こちらに向かって歩いて来ていた。
あたしの思ってる言葉はただ一つ。ナンデココニイルノ?
「…名前、お前、どうして……」
「銀八に誘われたから。来ちゃった」
その場に居たくなくて、でも足は砂浜に縫い付けられたみたいに動いてくれなくて。神威さんの、どうしたの? という問い掛けに、あたしは大丈夫ですと作り笑いを浮かべるしか出来なかった。
「優勝チームはなんでも一つ願いが叶うよ! チキチキ本気のビーチバレー対決ゥゥ!! ポロリもあるよ」
「無ェよ!!」
突然の訪問者である二人は、銀八が声を掛けて今回の合宿に来たらしい。
神威さんは、今度こそは勉強以外に時間を割けないあたしの代打で料理担当。そして野邊先生は、勉強を教える為と神威さんの助手として。
当然の如く、銀八に批難が浴びせられたが当の本人は悪びれる様子も無く、この合宿の立案者は自分だと言い放って意見を聞く事も無かった。
あたしはと言うと、執拗に高杉先生とくっついて話す野邊先生に呆れ、とりあえずパラソルの下で座っていれば銀八の陽気な声が聞こえてきた。
「名前もするだろー?」
「…しない」
「はい、強制参加なー」
「しないって言ったじゃん」
「強制参加なー」
「いやだから、」
「高杉も参加するぞー」
「…、」
我ながら現金だとは思う。前だったら考えられない程、あたしは先生と一緒に居たいようだ。
仕方なくバレーコートの方へ向かえば、やる気満々な神楽とゴリラ率いる風紀委員組、そしてヅラが準備運動をしていた。
「おっ! 名前も参加するんだな!」
「不本意だけどね。というか、チーム分けってどうなってんの?」
「あっちが完熟ミカンチーム。こっちが腐ったミカンチームでさァ」
「もっと普通のチーム名とか無かったの? 教師チームと生徒チームとか」
「あぁ、それはね、坂田先生が勝手に決めちゃったみたいで」
「……退、居たんだ」
「ひどいっ!!」
銀八曰く、完熟ミカンチームのコートを見遣れば、子供相手に本気モードの大人達が居た。ぎらぎらとさせた獲物を狩るような目つきに、恐怖を通り越してよくもまぁ遊びに本気になれるものだと呆れてしまう。
一人だけ。先生だけはかったるそうに立っていたが、本気の目をしていないからと言って油断してはいけない。
「なんであんなに本気なの?」
「名前は聞いてないのか?」
「何を?」
「勝ったチームの願いが各々一つ叶うんだそうだ」
「えっ、何それ! 聞いてない! 詳しく話しやがれゴリラ!」
「だから、簡単に言うと、勝って夏休みの宿題の免除を願えば免除される、というわけだな。もちろん、俺はお妙さんと……」
「はいはい、ゴリラは神様でも無理なお願いをしない事。…まぁ、って事はつまり、」
野邊先生に帰ってほしいと願えば帰ってもらえるって事、なんだよね? いや、でも帰ってほしいなんて願ったら、場の空気を悪くしてしまいそうだし、かと言ってこの状況を楽しむなんて無理だし。
ちらり、と相手コートを見遣れば、やる気無さそうな先生に野邊先生が声を掛けていたり、銀八と河上先生と神威さんは円陣を組んで何かを話し合っているようだった。
あれ? と思って、自分の居るコートを見れば、やる気満々の神楽に少しかったるそうな総悟。妙に対する想いを熱弁するゴリラとそれに捕まった退。そして無言で準備運動するトシと、バレーボールを砂浜にバウンドさせようとして完全に競技を勘違いしてるヅラ。そして、あたし。……あれ?
「人数おかしくね?」
「ハンデらしいぞ」
「じゃああたし参加しなくても良くね?」
「駄目アル! 強制参加って銀ちゃんが言ってたヨ! それにあのクソ兄貴をぶっ殺すチャンス!」
「いやいや、殺すとかそんなゲームじゃないからね、神楽ちゃん。ちょっと落ち着こうか」
「じゃあこの際、ジャンケンで負けた奴が先生達のチームに加わるってのはどうだ?」
「凄ェや近藤さん。ただのゴリラじゃなかったんですねィ」
「だっはっは! もっと褒めても良いんだぞ総悟!」
「けなされてるのを分かってない所がゴリラだよね」
「だめだ、名前。それ以上つっこむな。いくらなんでもゴリラだって同じ動物だ。可哀相だろう」
「そうだよ! 近藤さんだって好きでゴリラに生まれたわけじゃないんだからさ!」
「……退、それフォローしてるようでフォロー出来てないよ」
とりあえず輪になってジャンケンをする事になった。最初はグー、と全員で掛け声をし、ジャンケンポンッ! と同時に出された皆の手を見れば、パーを出したヅラ以外全員がチョキを出していた。
「何故だあああああああ!! エリザベスの手がバルタン星人に負けただとおおおおおおお!!」
「あぁもううるさいから。早くあっちに行ってってば」
叫ぶヅラを相手チーム――完熟ミカンチームに神楽が引きずって行き、トシが銀八にいきさつを説明していた。
そして、数分の後、前置きの長かったビーチバレー対決は始まりを告げる。
「いくアルよー!」
サーブ権を獲得したこちらは神楽のサーブから開始する。1セットマッチの15点先取した方が勝ちらしいから、早めにケリをつけたいと話し合った結果のフォーメーションだけど、正直、あたしだったら神楽のサーブを正面から受けれる自信は無い。
でもね、皆わかっているんだよ。神楽が誰を狙ってサーブを打つなんて。
「喰らえクソ兄貴ィィ!!」
狙いはやっぱり神威さんだった。
神楽の打った剛速球サーブが神威さんに向かってカーブを描く。
「…まだ甘いね」
神威さんは神楽のサーブを楽々とレシーブして空中高くに上げた。それは綺麗にヅラの方へと落ちていく。
「ヅラー! 俺が打つからこっちにボール寄越せー!」
「ヅラじゃないです! 桂で、…す!」
ネット際に居た銀八の方向へとヅラがトスしたボールが向かう。あたしは前衛じゃないけど、ゴリラとトシ、そして総悟がスパイクを止めようと銀八に狙いを定めて助走をつけた。
「よし、打つ……あ…」
ボールは銀八のジャンプした場所には落ちずまだ距離を伸ばして空中にあった。そして――、
「…っ」
「…うわっ、」
高杉先生が、決めた。それも、素人が見ても分かるような綺麗なフォームで。
ボールは退が取り損ない、完熟ミカンチームに1点が加算される。
「おい高杉! 今のは俺がかっこよく決めるとこだろーが!」
「ンなもん知るか。俺にトスを上げた自分の生徒に言え」
「ヅラ! 俺が打つって言ったろ!?」
「俺、ヅラじゃないんで。桂なんで」
「その態度マジうぜー!」
「でも銀八は決めれなかったわよ、絶対。だから桂君は良い判断だったと私は思うけれど」
「確かに…野邊先生が言うのも一理あるでござるな」
「まぁ俺は勝てればどうでも良いんだけどね」
なんだろう。原作でもよく知った仲だから高杉先生と銀八とヅラって何だかんだ言って仲良いんだな、とか、関係ないことを思ってみた。メタ禁止、メタ禁止。
相手コートはまだ和気あいあいとしてる感じだけど、今ので神楽が思いっきり悔しい表情してるし、こちらも何だかんだ言って原作では闘争心がかなり強いメンバーが集まってる訳だから空気がピリピリとし始めた。
とりあえず総悟に怒られてる退は可哀相だなぁ、と他人事のように思っておこう。
「じゃあ、サーブ行くわよー!」
野邊先生がボールを高く上げた瞬間、あたしの横で何かが通った。隣を見るが退が居ない。あそこに居るぞ、というゴリラの声で背後を見れば、砂浜の端っこまで退は飛ばされて行った。
何が起こったのか把握できてないんだけど、ほんとに何が起こったの……?
「野邊さ、本気出すのは止めとけよー。相手はガキなんだからさー」
「あら、ごめんなさい。真剣勝負しなきゃいけないと思ってたから」
「あんな速いサーブ、子供なら取れないでござるな」
「あーあ。この勝負は野邊せんせーのサーブでこっちの勝ちが決定かー。つまんないの」
いかにも挑発してるぞ、と主張するわざとらしい演技でこちらをちらちらと見てくる、銀八がうざい。いや、皆さん揃って見てるんだけど、特に銀八がうざい。そんな事言われたら、こっちには挑発に乗ってしまう単純バカしか居ないんだから止めてほしい。
実際、挑発に乗ってしまった退以外の目がギラギラと光ってるし、あぁもうどうなっても知らないんだから。
「名前、気をつけろよ」
「あ、うん。ありがと、トシ」
退を引きずりながら運んできていたトシは、後衛に位置するあたしを気にかけてくれたらしい。素直にありがとうと言えば、トシは軽く微笑んだ。
「じゃあ、もう一回行くわよーっ」
野邊先生の全くさっきと威力の変わらないサーブを、今度は神楽がレシーブする。
それを総悟が嫌々ながらトスを上げ、高々と跳んだのはトシだった。
「っ…!」
「ちっ」
トシの打ったスパイクは、神威さんのブロックを交わし先生の付近でバウンドした。
悔しそうな先生の顔が見える。そして、その背後には久々に黒くまがまがしいオーラが見えた。……怒ってる。怒ってらっしゃる…!
「よくやったなトシ!」
「あぁ」
「俺の上げたトスが良かっただけでさァ。死ね土方」
「タイミング良く跳んで打点を正確に打てただけだ。死ね沖田」
「とりあえず私より目立つなんて卑怯アル。どっちも死ね」
「いや、皆さん落ち着いて下さいよ」
「お前が一番死ねジミー」
「ひどいっ!!」
三人の声がハモる。退はしょぼんと肩を落としながらも、ボールを持ってサーブを打つために後退する。ローテーションした場所は前衛だったけど、トシとゴリラも居るし、多分、大丈夫だと思いたい。
退の打ったサーブは可もなく不可もなく、ゆったりと相手コートに落ちていく。それをさっきと同じように神威さんがレシーブし、ヅラがトスを上げて、
「ッ、」
「…くそっ」
さっきとはまた違う速いスパイクを先生がトシに向かって打ち込んできた。
レシーブはしたけど、宙高く上がったボールはの距離に誰も追い付けず、コートの外にぽとりと落ちてしまう。
ネット越しではあるが、先生が喉で笑った声が聞こえた。まさか高杉先生まで子供相手に本気になるなんて、大人気ない…!!
その後も、防戦一方だったあたし達は、なんとか点数が追いついたものの、結局15対13で負けてしまった。
悔しさを噛み締めながら神楽とゴリラは砂をどこからか持って来た袋に詰めているけど、ここ甲子園じゃないからね。単なる砂浜だからね。
「さってと、お楽しみの勝者のお願い叶えましょうコーナー!!」
銀八が清々しい程の笑顔で言った。負けたのはあたし達だから仕方がないんだけど、なんかムカつく。というか、天パほんとムカつく。
「で、誰からその願いとやらが言えるんですか?」
「え? 俺からじゃないの?」
「おかしいのはその髪型だけにしとけ、銀八」
「確かに晋助の言う通りでござるな」
「ならさ、ここはジャンケンで良くない? その方が公平で俺は良いと思うんだけど」
「良いわね、それ。私は賛成よ」
何やら話し込む完熟ミカンチームの話を一言一句聞き漏らさないようにとゴリラが聞き耳を立てていた。
「悪かったな」
「ん? なんでトシが謝るの?」
「勝って、あの教師を追い出したかったんだろ?」
「…あー……うん、まぁ、ね。でも、負けちゃったし、この合宿の間我慢すれば良いだけだし…あたしは大丈夫だから」
「……そうか」
「あ、トシはさ、」
何をお願いしたかったの? と言葉を続ける前に、神威さんの勝ったー! という声が聞こえたので、会話を中断した。
ネットを片付けながら喧嘩をしていたらしい神楽と総悟も近くに集まって来る。
どうやら、一番手にお願い事をするのは神威さんになったようだ。
「どんな願い事にしよっかなー」
楽しそうに考える神威さんは、喫茶店で新作ケーキの考案する時と同じ表情をしてるけど、なんか、怖い。
「よし、決まった!」
ごくり、と全員が生唾を飲み込む。
「まず俺の願い事が叶う回数を、この場に居る人数分の回数に増やす」
「……ちょ…っっっと待てー! それは卑怯だろ!」
「なんで? 勝者の願い事は絶対叶うんでしょ?…せんせーは嘘、つかないもんねー?」
銀八が神威さんに気圧されている状況を笑うべきなのか、どうなのか悩んでしまった自分を今はそんな生温い状況じゃないと叱咤したい。
これで神威さんはこの場に居る人数分――つまり、12回分の願い事が叶うことになってしまった。
「次の願い事ね。…うん、こうしよう。俺以外の勝者の願い事出来る回数は全て俺に寄与される。だから、俺以外の願い事は叶えられない」
「はっ?」
「え…」
「ちっ」
「なんだと!」
「あら、考えたわね」
「ちょっ、どういう事だ…!」
「勝者の願い事は絶対だから異論は認めませーん」
ケラケラと笑う神威さん。そして高杉先生は舌打ちをして銀八に何か耳打ちをした。
銀八の顔が青ざめていったから、きっと、後で覚えとけよ、とかそんな感じの事を言ったんじゃないかと思う。
ゴリラや総悟も横暴だと反論するが、肝心の神威さんは聞く耳を持たないようだ。
「それから次! この願い事が叶うルールは合宿後も無期限で有効にする! これで12回分に増えたものを6回分増やして、2回使ったからー……あと16回、俺の願い事は叶うんだよね?」
「それはいくらなんでも横暴過ぎではごさらんか?」
「河上せんせーは優しいね。でも、こうでもしないと手に入らないんだ。せんせー自身も分かってるんじゃない?」
神威さんが笑顔のまま近付いて来る。
少し恐怖感を抱いてしまって、つい後ずさってしまった。
「名前ちゃん」
「は、はい」
「俺の事嫌い?」
「え? いや、嫌いとかではないです、けど…」
「なら良いよね」
「え、なに…が……」
すっと神威さんの表情が、真剣なものへと変わった。
神楽と似てるけど、子供らしさの無い、大人の男の人の表情になる。
「今日から三日間、名前ちゃんは俺の恋人ね」
抱きしめられた時に神威さんの肩越しに見えた高杉先生の顔が、酷く脳裏に焼き付いてしまって、目が離せなくなった。
真夏の昼の夢だと思いたい。
(2011/12/08)
(2019/09/05 再編集)