同棲、八十七日目。
「今日から三日間、名前ちゃんは俺の恋人ね」
銀八の馬鹿な思い付きから、勝ったチームはなんでも願い事が叶うというビーチバレー勝負を行った。
高杉先生、銀八、河上先生の引率教師陣に加え、神威さん、野邊先生の銀八が勝手に招待した二人と人数の関係で大人組と同じチームとなった桂で構成された完熟ミカンチームが、あたし、トシ、ゴリラ、神楽、総悟、退の腐ったミカンチームに僅差で勝利。願い事を叶える権利を獲得した。
そして、誰の願い事から先に叶えるか、という問題にぶち当たったのでジャンケンをした結果、神威さんが勝利した。ここまでは良かったんだけど。
「名前ちゃん。あーん」
「…は、はい、あーん……」
周りの視線が身体に刺さり過ぎて痛い。出血多量であたしは死んでしまうのではないかと錯覚する。
夕飯であるバーベキューは楽しく過ごすはずだったのに、この羞恥プレイはあたしには早すぎる!
お皿に乗る焼きたての牛肉を口を開けてニコニコしている神威さんの口元に持って行けば、ぱくっ、と箸先の牛肉を口に含み、美味しいね、と笑った。
神威さんの願い事は、この場に居る人数分に願い事を増やせる事。そして、追加で勝利チームの願い事の回数を自分自身に寄与する事。――つまり、12人分とチームの他5人分の願い事が叶う事になってしまった。
計算をすれば、1+12+5。そして願い事が、回数を増やす云々2回なのでその分を引くと、16回分の願い事がなんでも叶うということになる。
それで、神威さんは言った。今日から三日間、名前ちゃんは俺の恋人ね、と。
横暴だ、とか色々意見を申し立てたけれど、なんでも叶うと謳い文句にしたのは銀八だという事で、銀八は今夕飯抜きの刑に遭っている。
「名前ちゃん、次、ウィンナーが食べたいな」
「あ、分かりました」
「あーん」
「…あ、あーん」
バキッ、とバーベキューが始まってから何回、何十回目かの割り箸の割れる音がした。
先生とトシの座るテーブルには、折られた割り箸が何膳も積まれている。
「晋助ーっ、はい、取ってきたわよ。どうせ家ではちゃんとした食事してないんでしょう? 野菜もお肉もバランス良く食べなきゃね」
バキッ。今度はあたしの割り箸が割れた。
「サドコノヤロー肉寄越せ」
「土方コノヤロー肉寄越せ」
「おめーら自分で取って来いよコラ!」
「……エリザベス…嗚呼エリザベス……バーベキューの煙がこんなに煙たいなんて知らっごほっ、…知らなかっ、げほっごほっ」
「ほら桂! そっちの野菜焦げ、ごほっ、焦げてるぞっげほっ! ちゃんと焼かないかげほっげほっ!」
隣のテーブルからは、あたし達の事を気にしつつもバーベキューを楽しむ声が聞こえて来る。
神威さんのお願い事の効果で焼き係になったヅラとゴリラは、煙と格闘しながらお肉や野菜を焼いていた。これで、あと14回。
「……名前ちゃん?」
「…えっ、あ、はい」
「手、止まってるよ?」
「あ……すみません」
視線を高杉先生と野邊先生から外し、神威さんを見る。顔が少し近くて驚いた。
にこにこ笑う神威さんの笑顔が、今までで一番怖いと感じる。助けて阿伏兎さーん!
「あの二人が気になる?」
「え、…?」
「名前ちゃんってさ、本当にあのせんせーの事が好きなんだね」
その言葉ではっとした。神威さんは、あたしが高杉先生と公に出来ないような関係だという事を知っているんだ。いや、正直言っちゃうと、付き合っている事実を知っているのは野邊先生以外で、……いや、野邊先生ももしかしたら、高い可能性で気付いているのかもしれない。
そう考えれば皆知りすぎだろうと思ってしまうのだが、3Zの皆に隠し事は出来ないし、銀八は自然と気付いているだろうし、河上先生と先生は仲が良いから知っているだろうし……って結構なメンバーがあたしと高杉先生の仲を知っているんじゃないか。
「どうなの?」
「えっと、…その、……い、今は神威さんの恋人ですよ? そんな他の人の事考えてる余裕なんて無いですって」
「――本当に?」
我ながら厳しい言い訳だと思ったが、今はこれで切り抜けようと必死に頷いた。そして新しい割り箸を出して何かを思案する神威さんにあーん、といい焼き色になった骨付き肉を差し出す。
あたしの目を疑うように暫く見つめた神威さんではあったが、折れたように口を開けてお肉を食べてくれた。よし、なんとか誤魔化せたぞ、うん。
しかし、あたしの苦労はまだまだ続く事となる。
翌日、起床後は神威さんの作った朝ご飯を食べて、午前中の受験勉強兼夏休みの宿題を始め、神威さんの作った昼ご飯を食べて、午後も受験勉強兼夏休みの宿題をする。
その受験勉強兼夏休みの宿題をしている間、あたしの隣にはずっと神威さんが居た。
解らないところを教えてくれるのは大いに助かるのだが、何と言うか、何も無くて怖いというか。少々無理矢理な点もあるが、恋人になったという事実があるので何かのアクションを起こしてきても良いはずなのだ。
なのに、今日を含めた二日間で神威さんと恋人っぽい過ごし方をしたと言えば、昨日のバーベキューの時もしくは受験勉強兼夏休みの宿題をやっつけている最中のみだ。
夕飯後の自由時間。本人がお風呂に入っている事を良いことに、銀八がおかしい、と呟いた。
高杉先生は自室に。野邊先生は少し遠いがコンビニに買い物に行っている事もあって、今リビングに居るメンバーはほぼあたしの味方しか居ない。
もう一度、銀八がおかしい、と言った。
「銀ちゃんどうしたヨ。ついに髪の毛と同じように脳も爆発したアルか?」
「ちっげーよ! お前は少し黙っとけ!……河上先生、アンタはどう思うんだ?」
「そうでござるな……些か妙ではあるが、あの人もキレ者でござる。後に何か手を打って来るかとは思うのだが…」
「土方はどうだ?」
「俺かよ。まぁ、確かにおかしいよな」
「やっぱり、そうだよね……おかしいよね」
「鈍感な名前が気付いてるようだし、きっと高杉もわかってるんだろうな」
「えーっ、何の話か私わからないヨ!」
「お前のクソ兄貴の事に決まってンだろ。俺だったら抵抗出来ないような願いばっかしまくって、完全に俺無しじゃ生きられないようにするんですがねィ」
「総悟の言ってることは無茶苦茶だが、一理ある。俺も願いを増やしたんならお妙さんを――ぶべらっ」
「あ、ごめん。蝿が止まってたから、つい」
私のビンタによって近藤が話し合いから脱落した。多分、妙に一瞬だけ乗り移られてたような気がしないことも無い。
うーん、と全員が唸り声を上げ、神威さんの思考を読もうと考えるが、それっぽい事が思い付かない。神楽がポテチを貪る音がリビングに響くだけだった。
「せんせーい! 一つ聞きたいことがありまーす!」
やけにでかい声で言ったのはヅラだった。
わかりやすく挙手をして、空気を読まずに雰囲気を変える荒業はもはやヅラの得意技だと思う。
「なんだ、言ってみろ。小さい声でな」
「元々お願いというのに期限はあったんでしょうか」
「普通に考えてこの合宿中だけだろ。そんな事もわかんないのかこのヅラ取れヅラ」
「ヅラじゃないですし取れません! じゃあ、つまり、合宿終了後にはお願いが使えなくなる。そういう事ですよね」
「まぁ、そうなるでござろうな」
「…あ、そうか……すごいじゃんヅラ頭良い!!」
「ただの電波じゃなかったんだな、お前」
「いや、しかし、神威さんが合宿が終わっても願いが叶うようにするとか言っていた。こちらには何も対抗する術が無いでござる」
「そこをどうするか、ですねィ」
「そんなの簡単アル。パピーを呼べば良いネ」
二袋目のポテチを開封した神楽の言葉に、一斉に神楽の方を向いた。
相変わらずポテチを食べながら神楽は口を開く。
「パピーを呼べば、あのクソ兄貴は止まるアル」
その分騒がしくなるけど、と続けた言葉に皆は聴き入らなかった。むしろ、聞かないことにした、というのが正しい。
銀八達がまた作戦会議に入ろうとした瞬間、リビングのドアががちゃりと開いた。
「おい名前、電話だ」
「え?」
「お前の両親から。おめーの携帯に電話しても出ないから俺に掛けてきた」
「あ……携帯、部屋に置きっぱなしだ」
入って来たのは高杉先生だった。理由が理由なので、皆の輪から外れて電話をする為にリビングから出て行く事にする。
別荘内は電波がやや良好では無いので外に出た。高杉先生もついて来る。海の方に暫く歩いて、無言の時間が続く。――海に、到着した。
「……で、先生。何の用ですか?」
「ククッ。やっぱり分かってやがったか」
「当たり前じゃないですか。うちの親が先生に電話するなんて、まず有り得ないですから。先生は手に携帯持ってないし、それに、あたしの携帯は一回も震えなかった」
ポケットに入っていた携帯を取り出して言えば、先生はククッと喉を鳴らして笑った。
砂浜を適当に歩いて、適当な岩場に腰掛ける。先生は岩場に座ることはしなかったが、立ったまま寄り掛かっていた。
波の音が心地好く感じて、潮風が気持ちいい。
「……悪かった」
「え、」
「野邊の事だ」
「それは、ほら、銀八が勝手にした事ですし、今更気にしても仕方ないというか…」
「本当にそう思ってんのか?」
「……思ってないですごめんなさい」
「ククッ…」
先生が笑う。こんな風に二人で話すのは久しぶりだった。
名前、と呼ばれたので返事をして振り向けば、すぐそこに先生の顔がある。
重なり、そして、すぐに離れた。
相変わらず先生は勝ち誇ったような、上から目線の笑みを浮かべている。触れ合うのも、久しぶりだった。
「顔真っ赤だぞ」
「……慣れてなくて恥ずかしいんです。ほっといて下さい」
今の時間はそんなに残されてないけれど、先生と触れ合えるだけで安心出来た事に至福を味わっていた。
そろそろ戻るか、と波の音が小さくなったのを皮切りに先生が言った。
まだ居たかったけど仕方がない。
はい、と返事をして岩場から下りて立ち上がる。
差し出された手を握るのには少し躊躇してしまったが、恥ずかしさに押し潰されそうだったけれど結局手を握った。
「……先生、」
「…なんだ」
「あたし、先生の恋人…で良いんですよね?」
「今更だな」
「あたし、神威さんの恋人なんかじゃありません、から。あたしは、先生の、モノですから」
「……おめー、それ、分かって言ってンのか?」
「え?」
「いや、いい。…ほら、もう着くぞ」
「あ……っ、」
別荘が見えて来た。大きな手が離れていく。
名残惜しい、と声に出したわけじゃないのに、先生は振り返ってにやり、と笑った。
「寂しいか?」
「…別に。そんな事あるわけないです」
「たまには素直になれよ、名前チャン」
「子供扱いしないで下さい」
「俺から見ればただのガキだ、ガキ」
そう言いながら、先生は優しく笑んでくれた。先生には先に戻ってもらう事にして、あたしは夜風にほてった体を冷ましてから戻る事にする。
……やっぱりあたしは先生が好きなんだなぁ、と実感。
海から離れた夜風が生暖かくて、それが気持ち悪くてすぐ別荘に戻った。
(2012/02/18)
(2019/09/05 再編集)