日が落ちるのが早い。夕暮れという時間が短い。夕闇というのはこんなにも空気が澄んで、吐く息は白く季節に溶け込んでいくのか、なんて詩人染みたことを考えながら商業ビルの入り口で待ち人を待つ。
待つことは別段苦に思わないのだが、今日という日は違った。目の前を楽しそうに歩いていくカップル達の視線を気にしないようにするのは、なかなか難しいものだ。今日ばかりは辛い。
子供を連れた家族なんかは微笑ましい羨望の視線をこちらが向けるけれど、幸せ自慢しつつ蔑まれる視線は待ちぼうけを食らっている身にはグサグサと突き刺さって致命傷になるというもので。明日以降別れてしまえ、なんて恨み言を我慢しながらスマホの画面と睨みあった。
人を恨めば自分に返ってくるというし、なるべく冷静にメッセージアプリを開く。新規メッセージはゼロ。私を待たせている本人に送ったメッセージに既読マークも表示されていない。……これは、ドタキャンというやつなのだろうか。
まさか彼に限ってそんな事は無い――とは言い切れなかった。面倒臭がりというわけでもないのだが、必要でなければ連絡もしてこないのなんて日常茶飯事だ。慣れたと言ってはそれまでだけれど、流石に今日みたいな日は大丈夫だと思ってた。思い込んでしまった私の負けなのかもしれない。
仕事が忙しいのだと、思う。普段から仕事が忙しいと言っていたし、いや、私の主観であって直接彼がそう話していたわけではないのだけれど、約束した日に連絡が無いのはそういう事が多い。その後のフォローは欠かされたこともなければ、謝罪が無かったわけでもないので気にしたことはあまりない。ない……と思い込んでいるだけだとは、気付きたくなかった。
――気付きたくなかったのに、ここまで連絡が無い日が続いて、やっと今日会う約束を取り付けたのだ。流石に、恋人として付き合ってると思っているのは、彼の事を好いているのは自分だけではないのかと考えてしまう。

「……いやいや、駄目だ」

手元の袋の持ち手を力を込めて握りしめた。
ナイーブになってしまうのは良くない。もっと惨めになってしまう。
こんな、カップルやら親子連れが行き交う道で気持ちを沈めてしまったら、視線の的になってしまうこと間違いない。それだけは、やはり一人の成人女性として避けたいところだ。
大丈夫。きっと大丈夫だ。ちゃんと連絡ももらえるはずだし、もうちょっと、もうちょっとだけ待とう。
あとちょっと。――あと少し。――あと十分。
それを何回も繰り返し、やっとスマホが震えたころには、待ち合わせの時間から二時間程経過していた。
私の前を何度か通ったカップルが、あの子まだ立ってる、なんて話をしているかもしれない。早くこの場から立ち去りたい一心で画面を確認すれば、メッセージ一件の表示。もう今日は難しいでもいい、なんでもいいから――と、凍える手を動かしてアプリを起動。彼からだ。
『今から向かう』その文字に、ほっと安堵した。待ってます、と返事をし、既読マークをついたのを確認し、息を深く吐いた。返事は無いものの、多分急いで来てくれるだろう。そりゃあ、自分の恋人が二時間も外で待ちぼうけをくらっているのだから、きっと、急いでくれるはず。
また自分に言い聞かせながら、今か今かと往来する人波を見つめる。まだ来ない。まだ、来ない。花占いのように声に出さず、脳内でぶつぶつと呟き、それを何回何十回か繰り返せば、見覚えのある背格好の男性が近付いてきた。……彼だ。

「……悪ィ」

バツが悪そうに、視線を合わそうとしない彼――晋助の両頬を、背伸びをして両手で挟み込んだ。思っていたよりも私の手が冷えていたのだろう。晋助の身体が、一瞬だけ震えた。

「ちゃんと、目、見て」
「……悪かった」
「うん、じゃあ許す」
「手、冷てぇな」
「当たり前でしょ。どんだけ待ってたと思っ、て……連絡くらい、してよ馬鹿……」
「会議が長引いちまった。電話するべきだったな……悪い」
「本当に、心配したんだから」

心配した。本当に、今日は連絡も無いままなのかと、私は二の次の女なのかと、本当に、本当に不安だった。
晋助の両頬を挟み続けて暖をとる私の手に、皮手袋をつけた晋助の手が重なり、もう一度、冷てぇな、と呟いた。

「もう、お店閉まっていく時間なんですけど。今日は奢ってよね」
「いつも出してんだろォが」
「高いとこ! 連れてって!」
「……言う通りにしますよ、お姫サマ」
「なんか、その言い方イラってする……誰のせいで待ったと――うむっ!?」
「……バレンタインだろ。チョコ食って少し落ち着け」

唇へいきなり何かを押し付けられ、咥内にはチョコの味が広がっていった。晋助の手には、会社の人からもらったものだろうか、広げられて折り目のついている銀紙があった。会社で貰っていたのなら気に入らないけれど、チョコの味は美味しい。ほろ苦いココアパウダーに包まれた丸くて甘いチョコは、舌の上で転がされながら、どんどんと溶けていった。
私が気にしているのを知ってか知らずか、見透かしたように、社員全員に配られた義理だ、と教えてくれる晋助の顔は、寒さの関係で少し赤くなってきていた。

「寒いじゃん。お店、早く行こ。車どこ?」
「その前に、ほら、渡すモンがあんだろ」
「えー? それはこの後次第でしょー? 美味しいとこ連れて行ってよね」
「ワガママなお姫サマなことだ」
「当たり前でしょ」

本日二回目の当たり前、だ。ここまで待たされたのだから、今日は尽くしてもらわなきゃ気が済まない。
先程までの不安な気持ちが消え去り、強気になってきた。晋助は引け目もあるから今日くらいは私の言いなりになってもらいたい。ここまで待っていた恋人をもっと褒めてもいいと思う。むしろ、褒めろ。褒めちぎれ。
……まぁ、そんなの晋助に期待していないし、むしろ柄ではないので実際は止めてほしいのだが。そこはそれ、だ。
私が手に持つ紙袋を見るなり口端をやや上に引き上げ、仕方がないなという風に笑む目の前の恋人はどことなく楽しそうだった。

「お姫サマの仰せのままに。何なりと」
「苦しゅうない」

手袋を取り差し出された右手に自分の左手を重ねて掴めば、掴み返されたと思えばそのままコートのポケットの中へと引き込まれていった。

「デザートは食後にとするか」
「美味しいお店のだから楽しみにしてて」

他愛もない話をしながら道を歩く。カップルの群れに混ざれたのが余程嬉しかったのか、私の足取りは軽かった。そんな自分の心とは反して包まれたポケットの中の手が、冷静にその違和感に気付いた。
――何か、箱のようなものが入っているのだ。
多分、コレは、アレだ。いやでも、晋助がそんなミスをするとは思えないし、いやいやいや、でもコレは、多分、アレで間違いはないと思う。
私の指が、晋助の指の合間を縫って箱のようなものを触るのに気付いたのか、信号の少し手前で晋助が立ち止まった。

「デザートは食後っつったろ」

その言葉に、全身が火照っていくのを感じた。
あぁ、私は、やっぱり恋人で、本命で、晋助にとって大事な人だったのだと気付かされた気分。否、気分ではなくてそうなのだ。この箱のようなものが入っているポケット側に手を入れたのも、多分、不安になっている私の気持ちを見透かされていたからなのかもしれない。
理解してしまえば、あとはもう横に立っていたずらっ子のようにほくそ笑む彼に身を任せる以外私は何もできない。
言葉少なになった事についていじられながらも、刻々とその時を待ち続ける私の心臓はいつ張り裂けてしまうのだろう。
先程までの不安な気持ちは、彼の目論見通りどこかへ行ってしまっていた。

(2022/02/24 10日遅れのハッピーバレンタイン)