酷く憂鬱な夢見だった。
隣を見れば、ぐっすりと眠る愛する男の顔がある。それだけで異様に安堵してしまう程、私はこいつを支えに生きているらしい。
伸びた前髪。閉じられたままの左目。か細い呼吸をする唇。その全てが愛おしく感じる。
願わくばこの男の切願が果たせるように、とずっと寄り添い想っていたのだが、こんな風な関係になるとは思ってもみなかった。
関係を持った事に関しては何も言わないし、素直に嬉しいとさえ思うのだが、如何せん若い頃の遊びを知っているからこそ複雑な心境ではある。
世の中の男は、自身が死に直面すると、自身の遺伝子をこの世に残す為に躍起になるらしい。
こっそりと陣地を抜け出して、遊女の元へと行っていた事を知っている。それも何人かと一緒に。
もしかすると、この男の遺伝子を腹に宿した女が居るかもしれない。そう考えれば、その腹を捌いてしまいたい念に囚われてしまった。
実際にそんな女は居ないのだが、何年経っても安心しきれないこの心は嘘が付けないようだ。
自分の局部を触ってみれば、ねっとりと粘膜が流れ出てきていて、掌で蓋をしてみた。まぁ、意味が無い事くらいは理解している。
風呂に入ろうと布団から出る為に動き出す。男を起こさないように、ゆっくりと。
少しの衣擦れの音で起きてしまう程神経質なコイツに対して、今この時ばかりは起きてくれるなよと願いながら布団から抜け出した。
今日は良い感じに熟睡出来ているようだ。
最近は寝る間も惜しんでいたようにも思うので、睡眠はとれる時にとっておいた方が良い。
中のものが流れ出ないように、そして、睡眠を貪る愛しい男が起きないように、素早く脱衣所まで移動した。
戦艦内にある幹部クラスの各部屋には、簡易なシャワールームが設備されている。ゆっくりと湯船に浸かりたいと思ってしまうのは、私が日本人だからだろう。
シャワールームに入り、ハンドルを捻れば、緩やかにお湯がシャワーから出てきた。体を流していると同時に、股の間からも流れ出ていく遺伝子の塊。
この遺伝子達はこの後どこに行くのだろうか。海に紛れてしまうのだろうか。そんな事を考え掛けて、止めた。
適当に体を流してボディーソープで洗う。行為後の特有のにおいを纏っていた私は、ボディーソープの爽やかな香りを纏う事に成功した。
あの独特なにおいは駄目だ。心がざわついてしまう。強いて言うのなら、もう一度、生きている事を感じたいと思っていまう。というのが正しいのかもしれない。
女も遺伝子を遺したいと思うのだろうか。今度、詳しそうな武市にでも聞いてみよう。

「……起きてたんだ」
「……あぁ」

脱衣所からバスタオルを体に巻いて出てみれば、先程まで寝ていた男は暗い夜の外を眺めていた。
少し広めの窓枠に座り、暗い夜空を見上げる姿は月明かりに照らされ妖艶な雰囲気を醸し出している。
手には愛用の煙管。モヤモヤとした煙が宙を舞っていた。

「寝れなかったか」
「違うの。昔の夢、見てた」
「昔――ねェ」
「そう、……昔の夢」

男に近付き、前髪をそっと掻き上げれば、閉じられたままになっている左目と目が合った。
瞼の上から左目を摩る。

「なんだ、珍しい」
「最後に映した景色が、私だったら良かったのに」

そう言って瞼に口付けを施した。
ククッと笑う声。
この男は私のこういう所が面白いんだと、以前笑っていたのを思い出す。
私が口と手を離すと、前髪はさらりと落ちて左目を覆い隠し、もう二度と開かない事を示唆されているように感じた。
前屈みになって近付いたからか、体に巻き付けていたバスタオルがはらりと肌蹴た。すぐに左手で裾を掴み前面を隠すように持てば、隠すことは無いだろうと笑われる。

「肢体乱れた後でも羞恥はあるってか」
「そうね。最期に映るのが私の身体なら、見せても良いのだけれど」
「そりゃあ――どうだろうな。腹上死は御免蒙るってもんだ」
「私もよ。アンタに死なれちゃあ、私は生きて行けないもの」

私の全てはコイツだ。この男が私の全であり、私という存在をこの世に残す事が出来ている。
あの時。この男の絶望的な表情を見た時から、私は個人ではなくこの男の一部となった。

「勝手に居なくなってくれるなよ」
「何言ってるの。私はアンタの目が閉じるその最期まで、アンタのそばに居ると決めてる」
「お前まで失っちまえば、俺ァ――」
「駄目よ、晋助。それ以上は、駄目」
「……悪ィな。感傷に浸っちまったみてェだ」
「珍しいわね。そんなに今宵の月は綺麗?」
「おめーと、見ているからだろうな」
「粋なのね」

笑みが漏れた。
私を映すことの無くなった左目で見えない月を見ているのか、それとも右目で見えるはずもない月を見ているのか。それは定かでは無い。
それでも、きっとコイツには見えているのだ。綺麗に輝く月が。
妙な感じだ。心情穏やかでなくなってしまい、窓外を見る男の顔を両手で挟んでこちらを向かせる。
今度こそ、私の四肢を隠していたタオルは、勢い良く床へと落ちていった。

「見えるぞ」
「私を見て」
「見てる」
「ううん。見てない。アンタは、今、昔を見てる」

男は切れ長の目をキュッと細め、また喉を鳴らして笑う。

「昔を夢見た奴のセリフじゃねェな」
「それとこれとは話が別でしょ」
「俺の左目に映った奴を思い出すなんざ、妬けるねェ」
「誤魔化さないで」
「誤魔化してンのはおめーの方だろ、名前」
「……そうね、うん。妬いてるわ、昔も今も。アンタの目に残る情景が私じゃない事に」

モテる男は辛いねェ。とからかわれたので、浮いた話が多いの間違いでしょう、と言い返す。
右目は私を見たまま、ニヒルに笑みを浮かべていた。

「だから、今だけは、私を見て」

自ら口付けを落とせば、頭を抑えられ、唇同士が離れないようにされた。
交差する舌と舌。絡まる唾液の音が、やけに室内に響いている気がする。
やっと離れたかと思えば、自身の唇を舐める仕草に胸が高鳴った。

「好きよ、晋助。昔も、今も、これからも」
「……あァ」

返事は貰えない。その代わりにまた唇を塞がれ、そのまま組み敷かれる。
私の上に股がった晋助の手に持つ煙管からは、月に照らされて光る煙が天井へ舞い上がり、そして空気と同一化していくのだった。


(2019/09/18)