運 命 (F/ha 五次槍)

 

死ぬかもしれない。――と、咄嗟に考えたのは、これが初めてだった。
創作の世界ではよくある光景で、それが見慣れたものであっても実際に起こるなんて考えたことは無くて。それでいてニュースで同様同等なものが流れても、こういう事あるんだぁ、なんて暢気に考えていた。決して、自分の身にそれが降り掛かるなんて思いもしなかったのだ。
上空から降ってくる私の身長より大きい物体。近くに居るはずなのに遠くに聞こえる、留学先から帰国した友人の声。
空を見上げているはずなのに、私の目の前にはどんどんと近付いてくる食べ放題一時間2980円の文字。
まだ十代なんだよ。こんな所で人生終わるのか。死んでもう一回コンティニューなんて出来るわけがない。頭の中では所謂、走馬灯と呼ばれるものが流れている。ろくなものじゃない異性経験の無いまま私の人生は、終わりを告げようと――、

「おい、お嬢ちゃん。大丈夫かい?」

終わらなかった。私の人生は、まだ、終わらなかった。
砂煙か土煙か、もしくはコンクリートが削れた煙か。辺りは悲鳴と車の急ブレーキの音などで騒然としているのに対し、多分きっと当事者であり被害者である私は何も言葉が出ずに居た。襲いかかる痛みが全く無い事が違和感でしか無かった。それでも、抱きかかえられているらしい浮遊感と体温の温もりに少しだけ安堵感を募らせる。
私を助けてくれたらしい男性は、軽々と私を地面に降ろし、目立つ青く長い髪を風に靡かせた。

「こりゃあ、文字通り危機一髪ってやつだな」
「――あ。……あり、がとう、……ござ、います……?」
「おう。気にすんな」

煙が無くなり、蒼白とした表情の友人が全力で走って近寄ってきた。
今になって心臓が激しく鼓動をし始め、もしかすると、さっきは死ぬことを予測して無意識に活動を止めてしまっていたのではないか、なんて勘違いをしそうになった。
毛穴という毛穴から汗が吹き出してくる感覚。実際には吹き出していないのだけれど、ドロッとした濃厚な汗が出てきて皮膚を、体を、服を濡らしていく感覚がした。
呼吸が荒くなり、膝が震え、まともに立っていられなくなり、助けてくれた男性に支えてもらう。無理すんな、と声を掛けられた。

「大丈夫か? 無理しなさんな」
「す、すいま、せん……。なんだか、一気に、リアル感が……」
「大丈夫!? 怪我してない!?――貴方が助けてくれたのね、礼を言うわ。ランサー」
「嬢ちゃんの友達か。って事はあの坊主とも知り合いなのか?」
「そうね、衛宮くんとは同じクラスなはずよ。それよりも、怪我は!?」
「大丈夫……この人に、助けてもらったから……走馬灯って、本当に流れて、くるんだね……」
「なに笑ってるのよ、もう。……無事で良かった」

心底安心したような友人である凛の表情を見たら、なんだか落ち着いてきた。足に力が入るようになり、いつの間にか膝の震えも無くなっている。
もう大丈夫みたいだな、とランサーと呼ばれた男性の手が、腕が、私の肩から離れていく。少し寂しいような、熱が離れて心細いような、そんな気持ちになってしまい、それとは逆に心臓は高鳴りを続けていた。

「えっと、ランサー、さん? 助けて頂き、本当にありがとうございました」
「気にすんなって。まぁ、これも何かの縁だ。この辺の喫茶店で働いてるから、良ければご来店お待ちしてますよ」

終始こちらを落ち着かせようと笑顔で居てくれるこのランサーさんに、私の胸は高鳴っているのだと、錯覚かもしれないけれどそう思った。
徐々に人だかりが増え、サイレンの音も近付いてくる。助けてくれた彼にも事情聴取があるはずなのだが、面倒事は嫌いだとそのまま立ち去る背中を見送った。

「最悪なお出掛けになっちゃったね、ごめんね、凛」
「良いのよ。無事なら。死んじゃってたら本当に最悪だったかもだけれど」
「それも、そうだね」

あのまま看板に押し潰されていたら、一緒に出掛けた凛にも迷惑がかかるし、助けてくれたランサーさんとも出会えなかったのかもしれない。最悪が最善へと転換されたのか。私の幸運も底辺ではないようだ。
車から降りてこちらに近付いてくる救急隊員や警察官の問い掛けに答えながらも、人混みに紛れていった青い髪色を捜してみたが、その姿はもう見当たらなかった。
私の鼓動は高鳴り続ける。落ち着きを取り戻すことが出来ない。
またあの笑顔を見たら、落ち着いてくれるのだろうか。
包まれた腕の感触を思い出しながら、近い内に改めてお礼を言いに行こうと心に決めた。



銀 魂


季節が巡る。昔はこの時間が永遠に続くと思っていた。
それは叶わぬ夢だと悟って、私達は刹那を生きる為に剣を奮い、自分達が理想とする未来を掴むために獅子奔走している。
傷付いた仲間はどれだけになっただろうか。いなくなった仲間はどれくらいになっただろうか。そんな事、もう、考える余裕なんて無かった。
自らの正義を全うしてこの世から去っていった仲間達は、今、何を思うのだろう。骸となった身から離れて、どこへ行くのだろう。
隠れ蓑にしていた宿屋で、全身に浴びた汚らわしい血を洗い流す。攘夷志士に協力していたこの宿屋の主は、つい先日捕えられて処刑されたそうだ。

「……くそっ…」

私の嘆きは、私のこの悔しさは、一体誰が拾ってくれるのだ。
形勢逆転なんて無いのかもしれない。私達が武士の誇りを持って戦うことに、何の意味も無いのかもしれない。
それでも、私は、置い続けた背中を置い続ける他、生きていく術が無いのだ。

「おい、聞こえるか」

古びた木の板で隔てられた向こうから声がする。
聞き慣れた、聞き慣れすぎた、幼馴染のうち一人の声だった。

「なに?」
「一刻後に此処を発つ。天人の軍がこの町に迫っている」
「……わかった。それまでに森の方で奇襲をかければ良いんでしょ」
「いや、」

言い淀む声がする。私はそれを遮って、強気に答える。

「じゃあ、町娘を装って奴らの気を逸らせば良い?」
「違う。そうじゃねェ」

じゃあ何だと言うんだ。ただこの場所から離れるだけなら、湯浴みを済ませてから話せばいい。
この幼馴染は、私に何を言いたいのか理解が出来ない。今すぐ問い詰めたい気持ちを抑え、一度、湯を被った。

「お前には、――この場から、俺達から離れてほしい」
「はっ……何それ。別働隊ってこと? 晋助から離れて私は私で諜報活動をしろとでも?」

今更? と、続ければ、また否定の言葉。
戦争が激化して、戦線が押し上げられている中の諜報活動なんてほぼ無意味。それくらい私にも分かる。
紛いなりにも彼らに混ざって剣を奮ってきたのだ。汚らわしい天人の幹部へ色仕掛けで迫って、情報を獲得後に暗殺なんて今まで幾度となくやり遂げてきたが、今の戦況じゃ今更過ぎる。
幼馴染――晋助は、私に、何を、言いたいんだ。

「そのままの意味だ。俺達から、離れろ」

途端、私は、彼と自分を隔てる木の板を蹴って開け、その勢いで倒れた彼の上に覆いかぶさっていた。

「どういう意味? それ。今まで一緒に戦ってきた私を、見捨てるの?」
「そうじゃねェ。てか、服を着ろ」
「嫌よ。ちゃんと理由を言ってくれないと服も着ないし退いてあげない。ちゃんと言って」

幼馴染の裸体なんて見飽きているでしょ。と、付け加えておく。
胸が露わだろうが、身体に負った傷痕が露骨に視界に映ろうが、気にするわけがないだろうに。それこそ今更なのだから。
晋助はそんな私から視線を逸らさず、視線を交わす。

「俺達の総意だ」
「……俺達って銀時や小太郎も、って事よね」
「そうだ」

天人と戦い初めて数年、どれだけ彼らと行動したと思っているんだ。昔から、どれだけ悪ガキ三人に付き合わされたと思っているんだ。
それが、今、用済みと言わんばかりに突然の別離宣言。私が受け入れるはずなんてないだろう。
だから晋助が私に、幼馴染を代表して話をしているのだ。それも、理解は出来る。

「用済み?」
「そうは言ってねェだろ」
「だって、そうじゃない。私は、三人に付いて我武者羅に足掻くことしか出来ないの。なのに、どうしてっ、」

嗚咽が混ざる。
女という性別は、実に不便だ。突き放されたら、自然と感情が爆発してしまう。自我を殺したって、殺しきれないのだから、本当に、不便だ。
晋助の頭の両側に置いていた手を離して起き上がり、左腕に出来た傷跡を掴んだ。
――この傷は、そうだ。情報収集の際に出来た傷。
天人の幹部への色仕掛けが成功した際、暗殺に失敗して、行為をされそうになってつけられた傷。晋助達が一歩でも遅ければ私は慰み者にされて、最終的には殺されていただろう。
その事を思い出したのか、晋助が目を細める。
私の身体には、刀傷以外の傷も多い。それは、女という立場を存分に利用して受けた傷だ。戦火に身を置く私としては、名誉の勲章でもある。それを、幼馴染達は別離という形で、無くしてしまおうとでも考えているのだろうか。

「女のお前に、こんな傷を負わせてしまった俺達は、何の償いも出来ねェ」
「……そんなもの、要らない。これは私の勲章。晋助達と一緒に戦った、私の勲章なの」

仰向けにされたままの晋助の手が、濡れたままの私の髪に触れる。伸びてくる度に刀でザンバラに切り落とす髪は、小太郎の方が女性らしいのかもしれない。

「悪ィな」
「謝らないでよ。私が仲間の為にしてきた事を、否定しないで」
「してねェよ。お前は、俺達のダチ公だ」
「……着替えるわ」
「おう」

立ち上がって、晋助を解放する。脱衣所に畳まず重ねていた自分の着物だけを手にした。武具は持たない。

「覗いたら、承知しないわよ」
「何を今更」

そう、今更だった。私の事を女扱いなんて、こいつは一切しない。いや、銀時も小太郎もどこかに行ってしまった辰馬も、私を女扱いなんてしただろうか。
いつも戦友として接してくれたじゃないか。だから、この別離は、最初で最後の女扱いなんだ。
着物を羽織る。帯を締めて、前に切った時よりも伸びた髪を後ろに一つに纏めた。

「もう時間も無いわね。銀時と小太郎に挨拶は出来そう?」
「ギリってとこだな。他の野郎はもう発つ準備を済ませてる」

やけに早いな、とは思わなかった。もしかすると、私に何も言わずに発つつもりだったのかもと考えればすぐに納得出来たからだ。
宿屋を出て人気の無い町を晋助と歩いた。追いかける背中は、今も昔も変わらない。私よりも小さかった背中は、月日が経った今ではもう、大きい男の背中となっている。
町の外れまで歩けば、私を見送る為に到着を待っていたのだろう。銀時と小太郎の姿があった。

「その髪では美人が台無しだな」
「女の私よりも美人な癖して。うるさいわよ、小太郎」
「そうだそうだ。こいつは性別間違えて産まれてきた怪力お化けだからな」
「今すぐアンタをつるっ禿げにしてあげてもいいのよ、銀時」
「巫山戯るのも大概にしろよ。せっかく着飾ったのに豚に真珠だろうとか、言ってやるんじゃねェぞ」
「晋助、お前はさっき殴っとけば良かったとそれだけ後悔してるから一発殴らせろ」

あぁ、この会話は、私を気兼ねなく送り出す為の一種のセレモニーなのだと感じる。
私達は、永遠に絆の繋がった友人なのだと。

「……元気でね」
「風邪には気を付けるんだぞ。その時はネギを巻け。キャベツを頭に乗せるのも良いと聞いたことがある」
「ヅラ、それはデマだ。信じるな」
「ねぇ、いつ歩き出したら良いの?」

この尽きない会話を終わらす為に、一歩、一歩、歩き出す。
後ろは振り返らない。後ろ髪が引かれる想いが募るけれど、振り返って三人の姿を視界に映してしまえば、溢れる想いを我慢した意味が無くなってしまう。
どうか、三人の日々がこれからも輝いたものでありますように。
数刻歩けば、朝日が辺りを照らし始める。もういいだろうと振り返った。
もう、町は見えなかった。
三人の姿も、もう、見えない。

(拍手ありがとうございました。2021/01/13)