Zet at zeT






「ごめん。君との将来を考える事が出来なくなった」

口元に運ぼうとしていたワイングラスを持つ手が自然と止まる。グラスの中の白ワインは、君の為だと去年の誕生日に目の前に居る彼から贈られたものだ。
――大切な話がある。今すぐ家に行きたい。
そう言われた休日の夕方過ぎ。地味なジャージ姿。巷で言う休日のだらしのないお父さんのような雰囲気を醸し出して、一昨日彼から薦められてレンタルしたそこまで面白くもない洋画を見ていた時だった。
突然鳴り出した着信音に内心驚きながらも携帯を持ち、電話に出る。着信音はグループによって重ならないよう変えているから、彼からの電話だとすぐに分かった。
薦められていた映画を見ていた最中だったので、なんてタイミングの良い、などと思いつつもしもしと言いかけたら、間髪入れずに彼から会いたいと言われた。
会いたいというのは少し語弊があるかもしれないが、家に来たいと言っているのだし、表現は間違っていないと思う。
それを了承してから通話が終わり、すぐにラフな私服に着替え、やや散らかっていたリビングの片付けを始めた。大学を出て、今の会社に勤めて早5年。1LDKのこの部屋とも5年の付き合いをしていた。
十数分という早さで家にやって来た彼の恰好は、休日であるにも関わらずスーツだった。
つまみのカットされたチーズと、せっかくだからと去年貰った白ワインを簡易のワインセラーから取り出して、冷やしたワイングラスを二つ。テーブルに配置して二人用ソファーに腰掛ける彼の隣に座れば、彼の表情が少し強張ったのが見えた。
そして、グラスに注いだワインを飲もうとすれば、冒頭に戻るわけだ。
とりあえず、飲まずにグラスをテーブルに置く。彼の横顔は、弱々しく私の目に映った。

「えっ、と……それって、」
「すまない。別れて、ほしいんだ」

肺に溜まった二酸化炭素を吐き出す。もう決めた彼に別れたくない等と言っても意味が無いのは分かっている。だからと言って、愛情が無いと言えば嘘になる。2年は付き合っていたのだ。結婚しよう、という言葉を期待していた節もあるのだ。
もう一度、息を吐いた。彼の肩がびくっと震えた。

「……良いよ。今まで、ありがとう」
「あぁ。本当にすまない」
「用ってそれだけだったんだ?」
「あぁ」
「そっか……そっかぁ…」

テーブルに置いたワイングラスを持ち上げ、口元に運んだ瞬間に一気に飲み干した。彼は赤ワインに浸かりたい程赤ワインが好きで、私はあっさりめの白ワインが好きだった。赤と白の違い。紅白戦みたいな感じで、決して交わらない色同士だった。そう思い込めば現状を理解できた。

「いつまで此処に居るの?」
「えっ…」
「私達別れたよね? もう恋人同士じゃなくなったんだよ。いつまで此処に居るの?」
「あ、あぁ…じゃあ、帰るよ」
「うん。じゃあね。お元気で」

きぬ擦れの音がした。ソファーの形が変わる。じゃあ、と後ろ髪引かれているかどうなのか彼が弱々しく私に別れの挨拶をした。彼の方を見ずに、足音と玄関の扉が閉まる音を聞いてやっと彼が出て行ったのだと分かる。
いつの間にか息を止めていたようで、ぷはー、と息を勢い良く吐き出した。そしてそのまま彼のさっきまでいた隣に体を倒す。ぼすん。ソファーの音がやけに大きく響いた。さっきまで彼が座っていたので、残り香が私の鼻をかすめる。好きだと言っていつもつけていたシャネルの香水の匂い。私はあまり得意な香りでは無かったが、今になって恋しくなってしまった。
鼻がツーンと痛む。嫌な匂いを嗅いだせいだと自分に言い訳をした。
眼から涙が零れる。つんとした匂いが眼にしみているからだと自分に言い訳をした。

  苗字名前27歳。アラサーの仲間入りを果たしながらも、彼氏にフラれ、婚期を逃してしまいました。


(2012/02/17)