Zet at zeT










苗字とあまり話さなくなって一年が経った。受験で忙しい季節。学年が上がり、同じクラスになった謙也とは中学からの腐れ縁のようなもので喋りはするが、話題に苗字の名前はなかった。テニス部の奴らや他の友人から、苗字と謙也が付き合ってる噂を聞いたことが何度かあったが、それは特に興味をそそるものではなかった。ただ、廊下で苗字とすれ違う度にトクンと鳴る心臓が、脳と反比例しているかのように思えた。
俺は、苗字が好きだった。
第一印象は、落ち着いた子だった。挨拶を交わす程度だった関係は、彼女の友達の存在によって変わり、わけわからない事を考える奴に印象は変わった。そこから仲良く……と表現していいのか悩むが、恋愛ペレストロイカ隊なるものを作り、謙也もそれに加わった。楽しかった、のだと思う。
中学を卒業して、高校に入学してからは燻った毎日を送っていたような気がしていた。中学程濃い日常は無いだろうと思い込んでいたからだと思う。久しぶりに心から笑えた。苗字に話し掛けられる度に、中学よりも濃い一日一日が俺の中に刻み付けられていった。

なのに、俺は、自分の中の感情に気付かないまま苗字に対する特別な感情を俺に言った謙也に嫉妬し、気持ちを整理できていないのにも関わらず苗字を突き放した。

後悔しているわけではない、はずだ。聖書や余裕のある男と中学時代に言われてきたこと全ては、俺の内面的な事ではなく表面、外面を表していた事に気付いたのはつい最近だ。志望大学に無事合格したのが先月。センター試験で落ちた友人がひーひー言いながら一般試験で合格するために勉強しているのを横目に、ふと、思ったのだ。
俺は昔から他人を見下していたらしい。余裕のある風を演じていたのは、こいつらよりも出来るから、と思っていた事に今更ながら気付いた。気付いたからと言って現状が変わるわけでも無く、気付けば卒業式を迎えていた。

卒業式まで、苗字の作った恋愛質問箱は靴箱の近くに置いてあった。謙也と二人でやっているのかそれとも一人でやっているのかは知らないが、その箱の存在は、俺に恋愛ペレストロイカ隊なるものが存在していた事を忘れないようにポツリとそこに居た。
卒業式が始まった今、その箱は撤去されなくてはならない。が、箱の設置主は取りに来ることは無かった。体育館では卒業式がプログラム通りに進行しているはずだ。まさか俺が卒業式をサボるとは誰も思っていなかっただろう。俺も、思ってなかった。

「多分お前の最後の仕事や。頼むで」

任せろ、と箱が言ったわけではない。けれど、こいつが投函された物を何度もあいつに届けたことは知っている。頼むで。俺はもう一度言い、目的地までゆっくりと歩いた。そこは3月上旬に吹く風とは違う、寒々しい風が占拠していた。





「……あ、やっぱ来てくれたんや」

扉の開く音で振り返れば、走って来たのか、息をきらした彼女が白い封筒を握りしめたまま立っていた。肩で息をし、何度もなんでだと俺に問い掛けてくる。手紙を届けてくれてありがとう、と心の中であの箱に言い、姿勢を正して彼女に向き直った。

「俺は苗字が好きです。どうしたら付き合うことが出来ますか? 恋愛ペレストロイカ隊の最後の仕事だと思いますが、どうか直接方法を教えてください」

そう言うと、苗字は双眸を見開き、俺を見たまま何も言わない。いや、言えないかもしれない。俺はもう一度、口を開いた。

「俺、苗字の事が好きやねん」


(2010/04/23)