Zet at zeT









蔵がうちの手を取り歩き出すのに、一瞬の間があった。痛いくらいに握られる手首に顔を引き攣らせながらも振り返り、さっきまで慰めてくれていたけんけんを見れば、はよ行け、と口パクで言って手を振り去って行った。けんけんには悪いことをした、と思う。後で謝らなくちゃいけないだろう、などと考えながらけんけんの小さくなっていく背中を眺めていると、いきなり蔵が立ち止まったので背中にぶつかってしまった。

「ごめっ…!」
「……」
「蔵…?」
「……」
「どうか、したん?」
「…………イライラする」
「は?」
「イライラすんねん」
「なにに?」
「自分に」
「うちにかい!」
「あー、意味わからん」
「うちの方が意味わからんわっ」

いきなり何を言い出すのかと思うと、こいつは、もう、一体何なんだ。ステージの方から何かの歓声が聞こえてきた。パンフレットを持っていないうちには、ステージで何が行われてるのかなんてわからない。気になる気持ちを抑えつつ、もう一度蔵にどうしたのか聞いてみることにした。

「…蔵、なんなん? 一体どうしたん? イライラしてるんやったら、そのワケ教えてーや」

うちの手首を握る蔵の握力が強まった。小さなうめき声をあげるが、蔵はそれを緩めてはくれない。蔵の肩が震えている。何に対しての震えなのかはわからないが、蔵の今の表情が見たくなくて、うちは震える肩と丸まった背中しか視界になかった。

「…なんで、」
「ん?」
「なんで、謙也なん?」
「は?」
「なんで自分は謙也とおったん?」
「仲良いから…?」
「なんで俺やないん?」
「…いや、ちょっと待て。蔵ノ介くん、一旦落ち着こうか」
「お前の幼なじみは俺やろ!」
「だから落ち着けって言うてるやん! なんなんっ? 結局は何が言いたいん!?」

つい怒鳴ってしまった。いつも完璧で自信家の蔵が女々しいことを言うから、話を聞いてるうちもわけがわからなくなった。結局なにが言いたいんだ。

「…蔵、東京に来て変わったな」
「な、なに言うてんねんっ…」
「たった二週間やと思ってたけど、蔵の事を変えるには十分な期間やったって事やん」

自分で自分が言っていることを制御出来なくなってきた。口が勝手に開き、うちの意志関係無しで言葉を蔵にぶつけていく。ふと、蔵の名前を呼ぶ声が聞こえた。女の子の声。聞こえた方角を見れば、さっき蔵が連れて歩いていた女の子がこちらへ走って来ていた。蔵ノ介さん、と呼んでいる辺り、もう確定だ。うちは呆然と立ち尽くす目の前の蔵に微笑んだ。

「彼女が捜してたみたいやな。うち、お邪魔みたいやからホテル帰るわ。ほなね」

立ち去った後に聞こえる、蔵がうち以外の女の子の名前を呼ぶ声に吐き気がした。


(2010/06/29)