Zet at zeT










憂鬱な一日だった。周りは慌て、そして忙しく家中を駆け回り、何度も何度も私に声を掛けてくる。お嬢様の決定の一言がないと実行に移れません、なんて、私が何も言わなくても実行するつもりのものなんだから聞かなくて良いんじゃないかと思う。
この暮らしが窮屈に感じ始めたのはいつからだったろう。大分前のような気もするし、つい最近のような気もする。社長令嬢なんて名ばかりで、普通の学生と何等変わりない。私のためとレッドカーペットのように遥か先まで敷かれたレールを歩くのが、嫌になった。お父様は凄いとは思うし、感謝もしている。私の将来を見据えて色々な事をさせてくれる。それが窮屈だと言えなくなったのはいつ頃からだろう。あぁ、もうわからないや。
また部屋の扉がノックされる。はい、と返事をすれば静かに扉は開かれた。

「……珍しい」
「悪ィかよ」
「いや、ちょっと驚いただけ」

またメイドか執事かお父様の秘書だと思ったのだが、部屋に入ってきたのはぶっきらぼうな顔をした晋助だった。晋助が私の部屋に来るのは誰かに用件を伝えるように言われた時以外ありえない。いつも晋助自身の意志ではないので、今回もそうなのかと思ったが、違うようだった。何か言いたそうな顔をしている。催促してみるがなかなか口を割らなかった。

「なんなの? ただの冷やかしなら自分の部屋に戻りなさいよ」
「うっせーな、いま整理してっから黙れ」
「はぁ? 意味わかんない。話したい事があるなら整理してから来なさいよ。だから馬鹿なのよ」
「あ? おめーに馬鹿扱いされたかねェよ、馬鹿。おめーみたいな馬鹿と顔合わせんのがもう今月で終わると考えたらせいぜいするな」
「……は、…なに、それ」
「俺ら、来月にはここから出て行くんだよ」

衝撃的な一言だった。晋助が本当にその事を私に伝えたかったのか、それは定かではないけれど、来月にこの家から、屋敷からいなくなる。…誰が? 晋助達四兄弟が? どうして? お父様に言われたから?  考えがまとまらなくて吐き気がした。

「長い間、おめーには世話になったな」
「いきなり、なによ、それ…」
「兄弟を代表して俺が礼言ってんだ。ちゃんと聞け」
「いやだ」
「は?」
「そんな言葉、聞きたくない」

口から出たのは私の本心だった。窓の外を見れば、ぽつぽつと雨が降り出してきた。雨音がしーんとした部屋にBGMとして流れる。窓に、鏡のように映る晋助は俯いていてどんな表情をしているのかわからない。

「…なに、黙っちゃってんの? 馬鹿みたい」
「馬鹿はおめーだろ。ばーか」
「喧嘩売ってんの? それなら買うわよ」
「違ェよ。……なぁ、…」
「なによ…」
「駆け落ち、しねェか?」
「は?」

何言ってるんだ目の前の馬鹿は。俯いていた晋助は私を見ている。昔から嫌いな釣り上がった目が、私を捕らえて離さない。

「へ、変なの。本当に頭がおかしくなった? 私は苗字家の長女なの。苗字家を継がなくちゃいけないの。それが私の運命で、」
「棄てちまえよ、そんなもん」
「何言って、」
「自由に生きろよ」
「ッ…」
「お父様お父様つって実の親に頭へこへこ下げて、業務上の会話みてーな会話をすンのが家族か? 違ェだろ。胸の中にあるもん全部ぶちまけて、名前がやりたいことをやれ。それが怖いなら俺と共に来い」

いっちょ前に言い切った晋助は滅多に見せない笑顔で笑った。笑ったと言っても、右の口端を吊り上げた感じだから鼻で笑われたようにも見えるが、れっきとした晋助の機嫌の良い時の笑顔だ。手が差し出される。決意を決めた私は、臆する事なくその手に自分の手を重ねるのだった。



私は、
   互いの心を略奪し合った。
俺は、




「…で、どうすんだ?」
「お父様に話してみる。それから、河上くんとの婚約を破棄させてもらう」
「ほォ…それで?」
「晋助達がまだここにいれるようにする」
「それは俺らの意志だから、おめーにどうこう出来る問題じゃねェだろ」
「晋助、」
「あ?」
「結婚しよう」
「は」
「私と晋助が結婚したら、他の三人は出て行く必要ないじゃない」
「お前……いろいろとすっ飛ばし過ぎだろォが…」
「気にしない気にしない」
「なんで辰馬や銀時じゃねーんだ?」
「辰馬兄さんは兄さんとしか思えないし、銀兄さんは、……なんか嫌だ」
「ククッ、消去法で俺か」
「そうじゃなくてっ、ほらっ、気心が知れてるというかなんというか…」
「名前、」
「な、なにっ!?」
「好きだ」
「はぁっ!!?」
「俺にプロポーズしたんだ。嫌がってでも離さねェからな」
「あ、う…え、えっと、取り消」
「せるわけねーだろ」
「ですよねー」
「……ほら、おじさんの部屋、着いたぞ。今日は丸一日家に居る日だろ?」
「うん、多分…」
「頑張れよ」
「ん、行ってくる」
「此処で待っといてやるよ」
「ありがとう」
「ほら、早く行けよ」
「うん。……晋助」
「なんだよ」
「私も、その、…好きだよ」
「あぁ、知ってる」


(完結。2010/06/28)