Zet at zeT








――ぐにゃり。
曲がる。何が、どこで、どうして。
――かちり。
はまる。何が、どんな風に、どうやって。
――きゅるり。
戻る。何が、……時間が。どこで、……此処で。
――――――――どうして?









「っ、……っっ!」

飛び起きた。パジャマも額も汗びっしょりだ。
どんな夢を見たのだろうか。思い出せない。いや、夢というのは思い出そうとして思い出せるものじゃないから、当たり前の事なんだろうけど。これは、なんか、違う感覚だ。
すっぽり抜け落ちているような、身体の真ん中にぽっかりと穴が空いたような、そんな感覚。
何か大切な事を忘れているような――

「あ」

……やばい。遅刻だ。






どうせ走るのでシャワーは浴びない事にした。
すぐに着替えて鞄を持って走ったら、予鈴五分前に校門を潜れた。
遅刻者や制服のチェックをしている風紀委員の生徒に不審な目で見られたが、ここはもう気にしないでおく。
息を整えながら靴箱に歩を進めると、いつも通りの道具箱なるものを持った衛宮といつも通りしかめっ面をしている一成の姿があった。
ちなみに、私は一成とは幼馴染みである。

「む? 随分遅い登校じゃないのか?」
「ごめんごめん。おはよ、衛宮、一成」
「おはよう。珍しいな、こんな時間に登校するなんて」
「なんか、夢見が悪くてさ。どんな夢かは思い出せないんだけど、起きたら汗びっしょりで大変大変」
「それは大変だったな。……と言いたいところだが、そのような事で遅刻されるとお前を親御さんから任された身としては――」
「あぁ、はいはい。一成うるさい。予鈴鳴るから。先に行くね」

なんとか一成の言を抜けきり、呼び止められないうちに一目散に自分の教室へと階段を駆け上がった。
走るな! と一成の声が聞こえる。同時に、衛宮の諌める声もした。
後でとばっちりを喰らうであろう衛宮に申し訳ないと思いつつ、教室に入る事にする。
進級して、新しいクラスになったが、特に目新しいものも無い。仲のいい友人とは同じクラスになれたのだから。
衛宮士郎――衛宮は、頼み事をされたら断らない……何と言うか人柄の良い奴で、頑固になる時もあるけれど、一度した約束は守り通す義理人情の厚い奴だ。つまり、人柄が良い。悪く言うと八方美人。
二年の頃はクラスも違うので話す機会は無かったが、綾子のおかげもあってか親交はあった。
綾子――美綴綾子とは腐れ縁で、弓道部の部長をしてて、男気があってかっこいい。一年の頃から仲良くしてもらってる、私の数少ない友人だ。あと、照れると可愛い。
衛宮は一時期弓道部の部員で、それで仲良くなったのだ。……と思う。
思うと言うのは、私自身の記憶が曖昧なのだ。
二年の冬に事故に遭ったらしい。それさえも記憶に無いのだが、そのせいで今までの記憶が曖昧になってしまった。
何か大切な事を置いて来てしまった気もするけれど、今が楽しいのであまり気にしないようにしている。
その事故の件もあってか、仕事で海外に居る両親は私を幼馴染みでしっかりしていて、面倒見のいい柳洞一成に私を託している、というわけだ。
個人的には、自由な一人暮らしを満喫したいのに、一成という小姑が居るので何とも言い難い毎日を過ごしている。

学校というのは、なんだか不思議だ。何もかも新鮮に思えてしまう。
授業中の静けさも、ノートにシャーペンを走らす音も、教師の声も。休み時間のざわめき、廊下を歩く足音、会話、……全てが経験した事の無いような新鮮さ。
きっと、以前の私はそういうのに慣れてしまって、学校に来るのを嫌がっていたのかもしれない。けれど今の私は、それがとても楽しい。一成には、のんきな奴だと一蹴されてしまった事もあるが、衛宮は同意してくれたのが記憶に新しい。
私は、今、生きているのだ、と。実感出来る。

「次の箇所を、……苗字」
「…っ、は、はい!」

やばい。ぼーっとしてしまっていた。
隣の席に座る衛宮が笑いながら、教科書を指さしてくれたので何とか難は逃れた。
葛木先生に目をつけられると一成に叱られてしまう。後で衛宮には謝礼を述べなければ。
私は立ち上がって教科書を読み始めるのだった。






「――メイガス」

め、いがす?
目の前のとても綺麗な女の子は、鉢合わせをするなりそう言ってきた。
めいがす、とは……何語? むしろ、言語? 今流行りの厨二病とかいうやつじゃないよね。

「……失礼。知人と間違えてしまったようです」
「あ、いえいえ。大丈夫です、はい」

めいがす……明ヶ洲さん? 何やらわからないが、私は人違いをされてしまったらしい。
校門で、誰かを待つように立っていた金髪の美少女の外見とはそぐわない紳士的な態度に驚きつつも気にしていないと伝えると、ふわりと微笑まれた。
あ、……可愛いなぁ。外人さんってどうしてこう可愛いんだろうか。人形みたいだ。

「あの、つかぬ事をお聞きしますが、シロウをご存知でしょうか?」
「シロウ? えっと、衛宮士郎?」
「はい」
「だったらもう出て来ると思いますです。生徒会の手伝いをするとか言っていたので」
「そうですか。ありがとうございます」
「いえ、大丈夫です。じゃあ、私はこれで――」
「もう一つ、お聞きしても?」

なんだか美少女と対面するのが恥ずかしくなって、早々に校門から退散しようとしたが、引き止められてしまった。
別に気にはしてないのだけれど、美少女と話す姿を他の人に見られるのが恥ずかしい。私はこれでも中の中だと思っているが、目の前に上の上の上である外人金髪美少女に立たれるとそう思っていた自分が恥ずかしくなってくる。……帰りたい。

「えっと、何か?」
「失礼を承知でお伺いします。その、……胸の辺りに傷跡はありますか?」

直後、頭を鈍器で思いっきり殴られた時のような、そんな眩暈がした。殴られた事は無いけれど、その表現が一番合っている気がする。
体中の体温が吸い取られていく感覚。
――コノ人ハ、何ヲ、言ッテイルノ?

「女性にこのような質問は不躾でしたね。申し訳ない」
「あ、いや、えっと、」

確かに、私の胸元には事故の時にしたケガの痕が残っている。
どんな事故なのかは覚えていない。ただ、二つの胸の間、心臓の辺りに一線。刃物か何かで突き刺されたような、そんな痕。
だが、今初めて会った、しかも自分とは縁の無い外人さんにそれを聞かれるのは、どうしてなのだろう。
不安と疑問が頭の中を走り回って、吐きそうだ。

「あれっ? セイバー?」

昇降口の方で、素っ頓狂な声が聴こえてきた。誰かと問われれば即座に答えれる。衛宮だ。

「衛宮が来たみたいなので、私はこれで失礼しますね」
「あっ、待って――」

静止の声を振り切り、振り返らずに一目散に駆け出した。
衛宮の知り合いなら悪い人ではないと思うのだが、なんだか、怖い――そう思ってしまった。
思い込みというのはしてはいけないのだが、あの外人さんには特別な力があるような、そんな感じ。
家に帰る前に商店街で夕飯の買い物をしなくてはいけないと頭の隅っこにあった予定を全て忘れた事にして、私は自宅まで走る事にした。


(2014/03/01)