Zet at zeT








ランサーが教えてくれた、この現状の事を帰宅してから整理してみた。
私はこの世界にただ巻き込まれただけの存在だという事。そして、私自身の自我が確定されていない為にあらゆる職業、年齢になっていた事。――これに関しては、自我を取り戻したので今後の繰り返しでは元の私に戻るだろうという推測。
最後に、この繰り返しの世界では、死んだ人間は存在していないという事。――つまり、私は死んでいないのだ。
風呂場で自分の胸元を見遣る。心臓を突き刺したであろう一線の傷跡。これは、第五次聖杯戦争にて、私がランサーに刺された傷跡だ。
だが、矛盾点が残る。
ランサーの槍は必ず心臓を穿つものだ。つまり、私は心臓を穿たれている筈なのだから、生きている事自体が矛盾となっている。
それに私は――いや、今考えたところで、何かが変わるわけではない。
変化が起きるであろうその時まで、私は私の役目を全うしたらいいのだから。

風呂場から出て脱衣所にて体を拭く。この家とは何日かでお別れなのだから、綺麗にした方が良いのではないかと考えたが、結局記憶には残らないそうなので気にしない事にした。

「……どうして貴方が此処に居るのですか」

今の私は学生なので適当に教科書でも見ようと思ったのだが、それは叶わぬ願いだったようだ。
リビングにはどこから持ってきたのだろうか缶ビールを片手にバラエティー番組を見て笑っている英霊の姿があった。

「別に気にすんなよ」
「気にします。不法侵入なのですよ」
「そんな細かい事、」
「気にします」
「はいはい。悪かったよ」

全く悪びれもなくそう言う彼だったが、私は大人しく彼の陣取っていたソファーに無理矢理座る事にした。
昼間聞いた話によれば、彼――ランサーは聖杯戦争時の居住地だった冬木教会にはおらず、外にテントを張って居住しているようだった。つまり、言い方が悪いがホームレスのような状態だ。
それで人間世界を満喫するようにバイトをしていると言うのだから、本当に人間味のあり過ぎる英霊だと思う。

「どうして此処へ?」
「どうしてっかな、ってさ」
「私がですか?」
「あんな話聞かされた後だと混乱するだろ」
「……まぁ、多少は混乱しましたが。ただ、現状については理解出来ましたし」

特に気を滅入る事は無いかと、と言えば、赤い瞳を丸くさせたあと豪快に笑われた。
この人のこういう性格はよく理解が出来ない。何が面白いのかも私には理解出来ていないというのに。
私の不服な表情を気にしてか、頭をぐしゃぐしゃに、言いかえれば乱暴に撫で付けてくる手付きは、出会った頃と同じだった。

「変わってねぇなって」
「はい?」
「お前、何回繰り返しが起きてるか知らねぇだろ」
「それは、まぁ……当たり前かと」
「オレ達サーヴァントは何となく理解してるんだな、これが。後、聖杯の依代であるあのガキもそうだろ。理解してる」

缶ビールを飲みほしたランサーの表情は目の前のテレビではなく、その奥の壁――いや、繰り返しの起きた時の事を思い出しているのだろう。

「どっかの性悪狐はこの状況を楽しんでやがるし、他の奴らだってそうだ。まだサーヴァントとして現界している事を喜んでいる奴もいる」
「それは、そうでしょうね」
「オレは最初は納得いかなかったんだけどな」
「……何故?」

乱された髪を手櫛で元に戻していたら、また乱されてしまった。嫌がらせかと捉えてしまうが、彼にとっては照れ隠しなので甘んじて受け入れる。
この槍の英霊は、多分、私の事を言っているのだ。

「――で、まぁ、お前は記憶を取り戻した訳なんだけどな。これから楽しくなりそうだって話」
「意味が分かりません。第一、繰り返しがリセットされれば、私は記憶を忘れてしまっているのでしょう? でしたら、貴方の事も、」
「忘れんのか?」
「っ、」

ソファーに押し倒される。
眼前には、滅多に見せない真面目な視線を私に注ぐ赤い双眸。
これは、ずるい。

「お前の記憶がどこまで維持出来てるかはわかんねぇ。けどな、思い出せただけ最高だろ?」
「言っている意味が、理解、出来ません……」

青い髪。赤い瞳。普段はちゃらけているくせに、真面目な時程低くなる声。――あぁ、本当に、ずるい。

「貴方は、英霊です。たとえ、お嬢様と一時の間協力関係であったとしても、」
「その英霊を英霊と知らずに愛した女は何処のどいつだよ」
「っ、……う、うるさいですよ、ランサー……!」

どうしてこうも、昔の英雄というか、そういう人物は、表現がストレートなのだろうか。
自分の顔に熱が集まっていくのが嫌でも理解できる。きっと、彼の瞳よりも私の顔は、体は、赤くなっていっているのだろう。
私を試すように半月に笑う口元が憎らしい。

「退いて下さい、ランサー……重いです」
「んなわけねぇだろ」

なんとか逃れようと胸元を押してみるが、鍛えていた彼の体はびくともしない。
しかも、彼の体に触れたことによって、私は彼に対してこんなにも情を抱いていたのかと思い直してしまった。

「魔力供給は、しませんよ」
「馬鹿か? それが目的じゃねぇよ」

あぁ、もう、どうにでもなれ。
私の視界は青く染まっていくのだった。







翌朝になると、彼の姿は無かった。
ベッド脇に置いてあるテーブルには雇い主に呼ばれた旨の書かれた置き手紙が置いてあるだけで、昨日彼が来たという証拠となるものは、リビングのテーブルにあったビールの空き缶といつの間にやら持って来ていたらしい灰皿と吸殻だった。
本当に、どれだけ現世に馴染んでしまっているのだろうか。新たな意味を持って現界しているのなら、早く在るべき所へと帰ってほしいものだ。
と、頭ではそう思っているのに、心は不思議と逆だった。彼とまた話せた事を嬉しく感じている。
シャワーを浴びよう。そして、彼がバイトしている場所を探し当ててからかいに行ってやろう。
今の私は学生なのだから、多少の事は許されるはず。目一杯からかって、何も言わずに帰った事を謝罪させてやる。
意気込みながら、私は風呂場へと向かった。


彼の居場所は簡単に見つかった。深山町の商店街にある魚屋さんに、彼は居た。
それはもうとびっきりの笑顔を発揮して、客である主婦層のハートを違う意味で鷲掴みしていた。
そして、そこには買い物に来たらしい顔馴染みの姿もあったので声を掛けようと足を数歩進めて、止まった。
そういえば、今の私は彼と全く面識が無いはずだ。
同学年の子と話していた一昨日の事を思い出す。だとしたら、今私が話しかけてしまったらちょっとした歪を生んでしまうのではないだろうか。
不安になったがある程度近付いてしまったものは仕方が無い。ここは、魚を買いに来たフリをして――

「あれ? 珍しいね、あんたがこっちに買い物に来てるなんて」

一昨日話をしていた学友である美綴さんに見つかってしまった。
そこからは早かった。
衛宮君を紹介され、私は気まずいながらも知り合いになったのだ。
その様子を見てか何故か満足げな表情をした魚屋のお兄さんの足を思いっきり踏んずけてやった。
魚屋さんのお兄さんの足なので、わざとらしく謝罪すれば少し睨まれたけど気にしない事にした。

――また、回る回る。歯車が回る。


(2015/06/06)