Zet at zeT








「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ちょっと、もう。その呼び方止めてって言ったでしょう? ウチはもう名家でもないんだから」
「それでも、お仕えしている身ですので」
「アンタ、退院してから言い返してくるようになったわね……」

冬木市で行われた、あの忌々しい聖杯戦争が終わってから、もう数年が経った。
戦争で生死をさまよう傷を負った私は、魔術協会の息がかかった病院で入院をしていたのだが、長い間、意識が戻らなかったらしい。
そして、意識を取り戻したと思えば、私の仕えていた主人は時計塔へと魔術を学びに行って留守。その現実に少し絶望しながらも、帰る場所がその家しか無かったので、多少の魔術の心得がある為に家のセキュリティを勝手に解除。その後、いつ主人が帰ってきても良いようにと、清掃をして、たまにぐうたらしていたのだが、遂に今日、一時的に帰国する事となった。
久しぶりにお会いした凛お嬢様は、髪の毛も随分伸びて、お顔も大人びた顔付きとなっていた。ただ、性格は相変わらずのようだ。

「暫くの間、世話になるわね」
「暫くの間、お世話をさせて頂きます」

元々は幼馴染であり学友なので、他人行儀なこの挨拶はここ迄、という風に、お嬢様が笑顔を浮かべた。つられて私も笑ってしまう。
やっぱり笑った方が名前らしいわね、と言われてしまえばそれは仕方ない。
業務をしながらでも友人として付き合う事は造作でも無いし、今の私なら出来るはずだ。

「ねぇ、……傷はどうなの?」

聞きにくい話題だろうに、自室へ荷物を運び終わるのを待って、凛は聞いてきた。
私が振り返れば、バツが悪そうに「今の無し」と言うかのように目線がそれていたのだが、それは主人としては気になる所だろう。
無言でシャツのボタンを外し、胸元が見えるように彼女へ見せるようにした。

「……やっぱり、痕、残っちゃったのね」
「通常であれば即死な筈でしたので」
「でも、」

女なのだから、と続けたかったのだろうが、凛はその先を口に出さなかった。もしかしたら、私が思い出したくはないと判断されたのかもしれない。
ただ、この傷痕は、私にとってとても意味のあるものなので、残ってくれて嬉しいのだ。

「……そんなの、おかしいわ」
「では、衛宮くんが消えると分かっていて、彼が凛にプレゼントしたものを棄てますか?」
「棄てるわけないじゃないっ」
「そう。そういうものなのです。この傷は、私にとって」

そこまで言えば、凛は降参と言うように深く溜息を吐いた。
私にとってのこの傷痕は、彼が存在した証明なのだ。そして、彼が恩情をかけていたであろう証拠でもある。
ゲイ・ボルグは、伝承では穿った際に棘が幾つも生え、確実に仕留めるというものだそうだ。
なのにも関わらず、彼は心臓を外していた。避けていたと言ってもいい。だから私は、こうして生きている。

「悪かったわ」
「なぜ、凛が謝るのです……?」
「貴女を聖杯戦争に巻き込んでしまったのだもの。全て、私の責任だわ」
「それは違いますよ、凛。私は、貴女の御父様に少しの間でも師事をしていましたし、これでも魔術師の端くれです。歴史ある戦争に参加出来た事は誇りでもあります」

なので、謝らないで下さい。と言えば、また盛大に溜息を吐かれた。

「参ったわ。本当に降参。名前って相当な意固地よね」
「今更何を言っているのやら」
「ふふ、そうね」

でもね、とひと息置いて、私が淹れた紅茶を一口。そして口をまた開く。

「誰にも興味がありませーん、みたいだった名前が恋をして……その相手が英霊だったなんてさ。驚きよねぇ」
「たまたまです。好きになった人がたまたま英霊で、敵だっただけ」
「何大人びた事言ってんだか」
「私達、もう大人ですけどね」
「それもそうか」

ひとしきり笑い合い、今度は時計塔での話になった。
衛宮くんは相変わらずで、身長が結構伸びたのだそうだ。そして、何かと因縁をつけてくる学友の話。時計塔を出たら何をするつもりなのか。色々と話してもらった。
気が付いたらもう夕飯の支度を始める時間だったが、長旅の疲れもあって凛は早々に寝室へと戻り、私は一人、居間に残った。

「――もし、」

もし、彼が聖杯戦争を勝ち抜いて、この世に受肉をしていたとしたら。私と彼の仲はどうなっていたのだろうか。
そんな夢も見てみたかった。入院中に見ていた夢は、全て色鮮やかな毎日だったような気がするのだ。
私は学生でもあって、会社で働いてたりもして、もう、色んなものになっていた。
その中には凛も出てきたり、勿論衛宮くんも居たり、見知った顔もたくさんあった。
その夢の毎日で唯一変わらない事が、私は絶対彼と知り合っているのだ。時には顔見知りだったり、時には恋人だったりと、自分の欲望が夢に現れていた気もするが、それが幸せだった。
聖杯戦争が終わっている今、彼に会う方法は確実に無い。

「それでも、私は……」

これからも彼を想って生き続けるのだろう。何年も、ずっと。



――2010年。
冬木を出た私は、密かに魔術の修行を重ね、ある企業へと就職を果たした。
研究者でもなんでもなく、ただの事務スタッフとしてだが、魔術関連の仕事へ携われるのが個人的に嬉しかったのだ。
――2015年。
施設内で大きな事故が起きた。
いきなりオペレーター業務をいきなり任され、何が何だかとよく分からない中、ほとんどのスタッフは事故の巻き添えになったようで。残ったスタッフで代役をたてるしかない、という荒んだ状況だった。
そこで、難を逃れたが何も聞かされていなかった私は、人類史における重要な機密事項を聞き、場を弁えずに歓喜してしまったのだ。
モニター越しに見える風景はとても見知った場所で、そこに映っていた――姿形は違えども、ずっと想い続けた彼だったから。

「名前さん、どうかしたのかい?」
「いえ、いえ、違うんです。今、大変な状況なのは理解しているのです。でも、涙が、抑えられないのです」

彼はこちらに来れるのだろうか。私の事を覚えているのだろうか。あの夢のような日々の話をしたらどう思うだろうか。……そればかりが頭を反復している。
彼に会ったら何を言おう。何を話そう。先程までの不安な気持ちが嘘のように飛んでいった。
臨時のマスターが戻ってくる。最初のミッションを終えて、彼を連れて、戻ってくる。
ああ、どうしよう。考えがまとまらない。何を話したらいいのだろう。
でも、とりあえず、やっぱり、ここから始めないといけないかもしれない。

「へぇー、此処がカルデアか」
「初めまして、キャスター。私は苗字名前。宜しく御願い致します」

――また、私の夢が色づいていく。


(完結。2017/09/14)