Zet at zeT









あの社長の騒動から一週間後。本当に大規模な人事異動が行われ、部長やお局はどこかの部署へと消えて行った。
リストラされたのではないかと噂はたっているが、所詮噂だ。一応この課に配属されていたのだから、それなりのスキルと仕事の成績はあるはず。
そう思って私はその噂話を聞き流していたのだが、偶然にもお局と休憩時に入った女子トイレでバッタリと会ってしまった。
派手だった化粧はほぼスッピンの状態になり、シワ一つ無かったスーツは汚れても大丈夫な作業着に。
つまり、掃除婦へと変わっていたのだ。別名、掃除のおばさん。
顔を合わさないようにと俯きながら私の横を逃げるように去っていくお局を見て、跡部社長の恐ろしさを思い知った。



そんな私は今、お供のキャリーバックと共に新大阪の駅へと居た。
目的なんてたった一つなのだが、その為だけに長期有給をとってしまった事に、やっぱりと言うか何と言うか、罪悪感を感じている。
抱えている仕事もあったので、私はまだ秘書課に戻れずにいるのだが、実を言うと戻りたいと思っているわけでもないのだ。
今の仕事にやりがいを感じている。本当に。だからこそ、踏ん切りをつけれないままこの大阪の地へと訪れるのはあんまり気が進まない。

「名前っ!」

ふと名前を呼ばれた。迎えに来る友人はこんなに時間にキッチリだっただろうか。
振り返る。そして、後悔。

「久しぶりやなぁ! 元気しとった?」
「な、な、なな、」

ミルクティー色の髪色。笑顔も、声も、あの時のまま。
私を捨てていった――と言ったら語弊があるかもしれないが、その張本人が私に手を振っていた。

「なん、で?……白石くんが、」
「行かれへんって連絡あって。俺一応幹事やし。迎えに来てん」
「……あ、あぁ、そう…」

白石くん曰く、私を迎えに来るとタンカを切っていた友人は、子供が急に熱を出したとかで来れなくなってしまったらしい。
だったら私にも連絡しろよ、と思った。
しかし、そうなってしまうと、私はどこに泊まれば良いのだろうか。今から安いホテルを予約して、同窓会は明日なのだから日曜の朝に帰ると考えて二泊三日。銀行のATMでお金を下ろしてなんとか足りる、だろう。
うん、よし、大丈夫だ。

「ん? どうかしたん?」
「あ、いや、なんでもないけど」

鞄から出した携帯で、同窓会の開催場所である難波駅付近でのホテル情報を検索する。
目ぼしい所を見つけてここで良いか、と思えば、携帯はするっと私の手元から離れていった。

「何見てんのん?」
「ちょっ、」
「ホテル情報? なんで?」
「いや、だって、子供が熱出してるなら泊まれないと思って――」
「なら俺んとこ来たらええやん」

……は、い?
目が点になる。
鳩が豆鉄砲をくらった顔になる。
この人はなんて言ったのだ?
頭がクラクラとしてきた。頭痛がする。



その後の事は、ぶっちゃけるとよく覚えていない。
気がつけば、私は彼の運転する車に乗せられていて、そしてそのまま家にお邪魔させてもらっていた。
和室の客間にはお供にと連れてきたキャリーバックと、持ち運びに便利だと思ったオシャレめの鞄。
用意された座布団に正座をして座り、何をしているんだと本日二回目の後悔。

「お茶、飲むやろ?」
「いや、お構いなく」
「遠慮せんでええよ」
「遠慮してるわけじゃないんだけど」

持って来たらしいペットボトルのお茶とコップ二つは、なんの変哲もない市販のお茶と市販のコップだ。
ご両親は? と訊く前に、表情に出ていたのか、親は旅行行ってんねん、と彼は言った。

「え、…じゃあ、妹さんは?」
「友達んとこ泊まりやで」
「は、い…?」

つまりは、私はこいつと一つ屋根の下で寝なければいけないという事らしい。
ホンマは皆名前に会いたがっとってんけど、と続けられる。

「旅行は福引きで当たって、ゆかりも予定は元々決まっとったみたいで……俺とやったらつまらんやろ? ごめんな?」
「いや、別に……そういうわけじゃ、ないけど」

なんとなく口ごもってしまって、渡されたコップに注がれているお茶をチビチビと飲んだ。
そのまま、何をするでもなく夜になり、夕飯をご馳走になる事になった。白石くんの手作りだそうだ。
ポテトサラダがサイドメニューとしてある限り、栄養バランスはバッチリなようで。
リビングのテーブルには色彩鮮やかな野菜、そして米粒の一粒一粒が光って見える白御飯が入ったお茶碗などが並べられている。
椅子に座る前に手伝う事はあるのかと口に出す前に、座っていてほしいと釘を刺された。
これでも自炊歴は長いので、足手まといにはならない筈なのだが。言われた通りに椅子に座る。
意味もなく姿勢を正してしまう。

「ほな、食べよか」

エプロンを外しながらやってきた彼に、つい、勿体無いと口走りそうになってしまった。――似合っていたのだ、女の私よりも。

「いただきます」
「…いただきます」

人様の家で食事をするなんていつ以来だろう。あまり記憶にない。そして、目の前には白石蔵ノ介。尚更、食欲が出ない。

「あ、」
「なっ、なに!?」
「ついとる」

口に手が伸ばされ、そしてついていたらしい米粒を指で摘み、そして……食べられた。
高校生か、とつっこみたくなるのは我慢する事にする。私は大人だ。

「――あんな、」
「なに?」
「俺、名前に謝らなアカン事がある」
「そうね。たくさんあるはずだけど」
「まず、久しぶりに会うたのに、あんな事してしまってすまんかった!」
「っ、ぶっ!!」

思わず味噌汁を噴いてしまった。
あんな事とは、きっと、ホテルに行ってしまった事だろう。一夜限りのと言ってはそれまでの、酔いに任せてと言ってはそれまでの、その行為の事について、目の前の彼は謝っているのだ。
特に気にしなかったと言えばそうなのだが、アレをきっかけに白石くんを少しでも意識してしまった私がいる。責めるわけもなく、私は軽く受け流すことにした。

「ずっと謝りたかってん」
「どうして?」
「アッチにおった時は、名前と一緒に過ごすんが楽しくて、なかなか謝るタイミングが無くて。その、……本当にごめんなさい!」

必死に謝られると、こっちが申し訳なくなってくる。そして、白石くんが謝罪をする姿がなぜか面白くて、つい笑ってしまった。
ノリというのは恐ろしいもので、結局、いきなり大阪に帰ったことも、キスをされたことも、振り回されっぱなしだったことも全て、私は許してしまった。




人の家のお風呂というのは、どうしてこうも落ち着かないのか。と、用意された布団に寝転がりながら考えた。
それが白石くんの家だから尚更だ。
食事中の一件の後、また彼からくーちゃんと呼ぶ事を言われたが、やんわりと拒否しておいた。
何と言うか、恥ずかしいのだ、うん。
いい歳した大人が同じようにいい歳をした大人をちゃん付けで呼ぶのもどうかと思う。
このまま明日の同窓会は大丈夫なのだろうか。
――と、色々考えている内に、私の思考回路は完全にシャットダウンらしい。
らしいと言うのは寝落ちをしたからで、自分がいつ寝たのかは分からないのだが、ひとつだけわかる事がある。
エプロンを着用した白石くんが未だに布団に入り込んでいる私の顔を覗いている、という事だ。
寝起きの、涎を垂らしている、女性が異性に見られたくないランキング一位だと思われる寝起きを見られている、のだ。

「…………っっ!!?」
「お? 起きた? おはよーさん」

挙動不信になりながら、布団から這い出て部屋の隅っこに逃げてしまった。
そんな私の姿を見て、白石くんは笑い、もう一度おはよーさん、と言うのだった。






「つ、…疲れた……」

大阪人のノリって団体ともなるとしんどいのね。本当に。
同窓会、二次会のカラオケ。なう。と、普通の人ならSNSに書くのだろうが、私はそういうのを利用してもいないので書く場所が無い。
この溜め込んだありったけの思いを呟く事が出来ないとは、こんなにも疲れるものだったなんて。
お化粧直しと称してお手洗いへと逃げ込んで正解だったのかもしれない。
大半は泥酔とまではいかないが、かなり酔っている状態。白石くんまでもほろ酔いよりも酔いが回っている状態だ。
白石くんの家に泊まらせてもらっている手前、彼が潰れた時は私が面倒を見なくてはいけなくなる。……あぁ、面倒臭い。
重い溜め息を吐き出した時、お手洗いへと近付いてくる足音と話し声。――同級生だ。
何を思ったのか。私は、自分の化粧道具を持って、個室に隠れた。
酔っている人は私の何よりも苦手とする人種だ、と断言しよう。うん。

「芦屋くんめっちゃ酔ってるなー」
「いや、アンタも相当やから。彼氏に怒られんのウチやし、あんま飲み過ぎたらアカンで」
「分かってるってー!………あ、」
「なに? どうかしたん?」
「彼氏で思い出した。ほら、白石くん言うてたやん? 苗字さんが来たらーって」
「あぁ、言うてたな。ホンマにするんかな?」
「……あたしはすると思うで。白石くん、苗字さんが大阪来て、嬉しそうやもん。前までの同窓会とちゃうねん」
「あー、せやね。アンタ、振られてたな、白石に」
「えーねん! 思い出は思い出! 結婚決まったし! 誰かにお祝いソング歌わせたろーっと」
「無茶ぶりはやめやー?」

足音が遠ざかり、お手洗いの扉が閉まる。
頃合いを見て個室から出れば、そのままフラフラと洗面台へと向かってしゃがみ込んだ。
し、白石くんは一体何を考えているのだ……?
思考を巡らす。最適な考えが思い付かない。
私がこっちに来て楽しい? そんなこと、あるはずがない。それが楽しいというのなら、きっと、私はまた彼に振り回されているだけなのだ。
あぁ、考えがまとまらない。一体、私はどうすれば――、

「名前ー! はっけーん!!」

新大阪駅には迎えに来なかった奴が、カラオケのトイレには迎えに来やがった。

「いつまでクソしてるんー? 楽しまな損やろー?」

きゃっきゃっと騒ぎながら、酔拳の使い手かという足と手の動きで私を掴み、本当に酔っているのか? と問い掛けたくなるほどの力で私を部屋まで連れて行く。
まだ、何かしらの心の準備が出来ていないのだ。
いやだ。まだ、まだ部屋には戻りたくな――

「苗字連れて来たでー!」
「おお! 遅かったやん! 何しとったん?」
「アホ。女にそんなん聞いたらアカンやろ!」
「苗字もなんか歌いやー! さっきから聴いてるばっかやろー?」

一斉に話され、もう訳がわからない。飲み会の場は、だから苦手なのだ。騒がしい。
まぁ。でも、たまにはいいか。
久しぶりに会う小学校時代の友人。覚えていてくれたのも嬉しい。それだけで、良い。
なんて感傷に浸るほど乙女でも無いし歳がいっているわけでもない。アラサーだけど。

ふと、騒いでた皆が黙った。
私が空気の読めない相槌をしてしまったのだろうか、全員がこちらを見ている。なんだか恐怖を感じた。

「苗字さん」
「えっ、あ、はい?」

白石くんに名前を呼ばれ、何事かと彼を探せば、いつの間にやらソファーで作られた簡易なステージの上に立っていた。
足元はぐらついたりしないのだろうか、と関係ない方に意識が向いてしまったが、他の皆は真剣な顔つきで、白石くんだけは笑ってて。
今から何が始まるというのだろう。

「今から歌う曲。苗字さんに聴いてて欲しいねん」

曲の前奏が始まる。
曲はよく知らないが、タイトルを見ただけで分かる。ラブソング、だった。
その恥ずかしい歌詞を難なく言葉にし、時折目線を画面から私に送ってくる。
初めて聴いた曲だったが、白石くんの声色に合っていて、違和感が無さ過ぎて。――あれ? 私は今、告白をされているのだろうか?

「白石ーっかっこよかったでー!」
「抱いてー!」
「お前男やろ!!」

曲が終わり、部屋のあちこちから歓声。白石くんの歌声は、綺麗で、透き通っていて、プロになれるのではないか、という程のレベルの高さだった。
ステージから降りて、ゆっくりと私に近付いてくる白石くん。
その顔付きは真剣そのもの。
何が、始まるというのだろうか。
私の背中に冷や汗がたらり、と伝った。

「名前」

いきなり、下の名前呼びだった。
同級生や、会社や、外出の時はずっと苗字だったのに。
なぜ? という疑問が頭の中を埋め尽くされていく。

「立って?」

手を引っ張られ、立たされ、部屋中央の大画面のテレビの前へ連れて行かれた。
わ、私は、何をされると言うのだろうか。
焦りと不安と、恐怖が入り混じる。傍から見れば、とてつもなくテンパっているようにしか見えないのだろう。
――白石くんが、目の前に片膝立ちをしてしゃがんだ。

「名前、」
「は、ハイ…?」

ポケットから出したものは、指輪だった。

「俺と、結婚して下さい」


(2014/07/22)