Zet at zeT









今日も今日とて、綺麗な快晴だった。
洗濯物を乾して、家の掃除をして。いつも通りの日常を過ごす。
だが、私の日常が日常で無くなり、別の日常にすり変わったとしよう。
その場合、私はその日常を生きていけるのか。もしくは認めたくなくて足掻くのか。
後者はきっと足掻いて足掻いて、耐えきれなくなって死んでしまうのかもしれない。変わってしまった日常を受け入れて生きてた方が、まだ寿命は繋がっているのかもしれない。
所詮、たとえ話なのだけれど。
最近、私は考えるのだ。私の日常があのままだったら、と。
お局様にいびられ、特に何もしない上司の機嫌をとり、後輩や同僚と飲みに行って愚痴を言い合う。たまに、合コンとか。
そんな日常が失われてしまった今、寂しくないと言ったら嘘になるが、私の日常はあの日から変わったのだ。
足掻くこともなく、私はそれを受け入れた。
最初は足掻いていたのかもしれない。けれど、いつの間にかアイツの存在は私の中へと収まり、私の平凡な日常を変えていったのだ。
抵抗するだけ無意味だった。アイツは元々、私目当てで会社に来たのだから。
社長に後から聞いた話ではあるが、彼は自分のやりたい事を求めて東京に足を踏み入れたそうで、前々から知り合いだった社長に連絡を取り、社内見学をさせてもらっていたらしい。
そこで彼から詳しく話を聞いた社長は面白そうだという理由で私と接触させた、と。
私個人からすればとてつもなく理不尽な話だ。
話がズレてしまったが、彼は私に会うついでに、今日本で流通している医薬品で一番効果があるとランキング付されているATBコーポレーションと個人契約を結びに来た、というのが結論だ。
契約を取るのがついで、なんて考え方は如何なものかと思ったが、社長にそれを伝える事で気を惹いたみたいなものだったそうだ。
つまり、本気で私ではなく契約が二の次だった。
その行動力と思考力は何と言うか、すごい。
アイツに飽きたらいつでも戻ってこい、と退職する際社長に言われた。
家事をしつつ仕事用のパソコン画面を見る度に思うが、当分飽きることは無さそうだ。

「名前ー? 胃腸薬の在庫無いんやけど」

階下から声が聞こえてくる。その声を合図に掃除機を止めて、テーブルの上に起動したままのパソコン画面を見た。

「一昨日発注かけてるから、今日辺りに届く筈なんだけど」
「いつ頃届くんやろか。沢田さんに出す胃腸薬足りるかどうか」

現れる白衣の彼は、胃腸薬の箱を手に持ちながら不安気な表情をしていた。
午後の営業までには届くと思うけれど、と言えば、せやな、とあっけらかんとした返事が返ってきた。ついさっきまでの不安な表情は何処へやら。

「早く下に行かないと。いつ患者さん来るか…」
「ええの」

椅子に座っている私を後ろから抱きしめてくる。さながら構ってもらえない子供みたいだ。

「名前とこうしてたい」
「巷で有名な薬剤師が甘えたって知ったらファンが泣くよ?」
「ええねん。俺、かっこいいから」
「自分で言うとか引くんですけど」
「冗談やん……ガチで引かんといて」

地元のローカル雑誌でイケメン薬剤師の居る薬局とかで紹介された我が薬局は、周りに病院が多い事もあり、少しばかり繁盛していた。
コイツの顔は、顔だけは人並外れているのでいい宣伝にもなっているし、薬局の看板でもある。それでいて優しいなんてなんという優良物件なんだろうか。

「……なぁ、」
「なに?」
「昔の約束、覚えとる?」
「いきなりどうしたの? プリクラの話なら前に――」
「ちゃう」
「え……」
「ちゃうよ」

優しく微笑まれ、頬にキスされた。
真剣な瞳が私を映している。

「お互い、大人になったら、結婚しよう、って?」
「んー、ちょっと違うなぁ」

瞳に吸い込まれるような錯覚。慣れないからかたどたどしく返答してしまった。
今度はあっちのペースのようで、子供がするようなこ憎たらしい笑みを浮かべている顔面に、グーパンチを食らわせたくなった。いや、しないけれど。

「お互い、28になるまで決めた相手がおらんかったら、結婚しようって」
「……やけにリアルな数字なのね」
「せやろ? 言い出したんは自分やで」
「ほんと?」
「ほんまほんま」

小さい、と言っても小学生だが、その頃の私は何を考えていたのだか。
だが、その約束が無かったら、私は白石くんと再会出来ていなかったのかもしれない。そう考えると昔の私グッジョブなのだけれど。

「ん、…ちょ、仕事! 白石くんっ」
「嫌や。止まらんもん。約束忘れてたお仕置き」
「忘れてたのは仕方ないでしょ? 引越ししたりとかあったんだし」
「せやけどな。それはわからんでもないけどな。初恋の人に約束忘れられるとか切ないやん」
「は、初恋って……親戚のお姉さんとか、言ってなかった?」
「……そんな情報は覚えてるんやな」

呆れた表情をした白石くんはそっと私から離れた。
そしてまた、子供のような表情をしてすねる。

「憧れと恋はちゃうやろ」
「はいはい。そうですね」
「あと、」

何かを思いついたのか、口を半月型に上げて私の左手を手に取り、薬指に光る指輪へそっと口付けてきた。
これは、何と言うか、キザすぎる。

「名前ももうすぐで白石になるんやから。俺の事ちゃんと呼んでや?」
「あ、…うん」
「んじゃ、行ってきます」
「……行ってらっしゃい」

軽く唇に触れるだけのキス。
そのまま、彼は白衣を翻しながら階下にある薬局へと下りていく。
このまま白石くんに遊ばれながら生活をしていくのか、と一抹の不安に駆られながらも、私はパソコンを閉じて家事を再開するのだった。










「くーちゃん、あんな?」
「なに? どしたん?」
「うちな、こんど、東京に行くことになってん」
「それは急やな」
「やからな、大人になったらな、うちのこと迎えに来て欲しいねん」
「大人になったらどうなるかわからんで。俺もやけど、名前ちゃんも結婚してるかもしれへんやん」
「やったら、28歳になっても好きな人がどっちもおらんかったら、迎えに来てほしい」
「俺が迎えに行ったらどうするん?」
「うち、くーちゃんの事好きやから。その時は結婚しよ!」
「……いきなりやな」
「もう、笑わんといてよ」
「ええよ。迎えに行く」
「ほんまに? 約束やで?」
「わかった。約束な」

平成ブラックボックス。


厭う(い)…1.いやがる。いやがって避ける。きらう。2.大事にする。かばう。


(完。 2015/05/12)