これは私の始まり。 特に大きな理由や事情は無かったが、私は此度、長年続けていた会社を辞めた。 自主退職という形でというのは気に病むが、それはそれ、これはこれ。私は晴れて、自由の身と書いてニートと読む……そしてニートと書いて婚活女性と読む状態になったのだ。 三十路前にして気にしていたのは確かだし、親からも早く孫の顔が見たいとせがまれ始めたのも一つの原因である。 二十代前半で付き合っていた彼と破局して、そこからその存在を忘れるよう我武者羅に仕事に没頭してきた結果。あれよあれよという間に周りは結婚、出産と女の幸せと呼ばれるものを掴み出し、私はその女の幸せを掴み損なっていたのだと気付いたのも一つの原因である。 最大の原因は、私自身が仕事に意味を見出せなくなった……かもしれないのだけれど、色々折り重なった結果、私は仕事を辞める事となった。 これからは合コン、婚活パーティー等々のイベントが私を待っている。現実を見据えるなら今しかない。あと、貯金が尽きる前に旦那様をゲットしたい。収入は一般的で高望みはしないし、多少禿げてきていても今はそういった専門の病院もあるし、私流に染めていけば性格も変わるし、ふくよかでも痩せさせれば良いだけの話だ。 自分本位の考え方ではあるだろうけれど、年収一千万で……なんて高望みはしない。3Kであってもなくても関係無い。私は、平穏な生活を送れればそれでいい。 こう考えていれば、私自身が優良物件なのでは? と勘違いをしてくる。勘違いをしてしまう程、早く結婚をして女の幸せを掴みたいのだ。 という事で、無事に勤めていた会社を辞めた私は悠々自適に我が町を闊歩する。思わずスキップしてしまいそうにもなる。いい歳した大人が何をやっているんだ、という視線が怖いので決してやらないけれど、内心はとてもウッキウキなのだ。ウッキウキ。 明日は友人がセッティングしてくれた合コンがある。相手側の年齢は三十前後とお手頃な感じ。是が非でも捕まえなければ。――というのが、昨日の私でした。 全てウッキウキだった。友人も私の味方で男性側にとても推してくれていた。なのにも関わらず、場の雰囲気を全て掻っ攫っていったのは友人が連れてきたもう一人の婚活女性。 事前情報として、友人は婚活で出会った現旦那と結婚まで漕ぎ着けた実力者である。 今回場をセッティングしてくれたのも、その友人夫婦が参加したパーティーで知り合った面々を呼んで軽い飲み会をしよう……という名目の合コンだったのだが。いやね、もう、主役は私よと言わんばかりに男共を掻っ攫っていかれた。 その女性は婚活パーティーでの戦績は無勝だと言っていたのに、よくネットのコラムなどにも書かれているような心理作戦テクを繰り返し、友人の旦那は除いての参加男性全てから心を盗みきったのだ。世を賑わす怪盗キッドもビックリするだろう手腕である。彼の事をよく知らない私からすれば、彼女こそが怪盗キッドではないのかと思えてくるレベルだ。 二次会に行くぞと早々に店を立ち去る面々を見送る私に対し「ごめんなさいね」と言い放った女性からは、鼻を取って洗いたくなる程の甘ったるい匂いがして、とてつもなく気持ち悪くなった。 「……ごめんね」 「いいよ、いいよ。今日は運が無かったと思っとくし」 「連敗してるから、参加させてって言われた時は断ったんだけど……旦那に連絡してたみたいで」 「だから気にしなくていいってば。明日からまた頑張ればいいんだよ」 友人にはそう言うものの、落胆している気持ちが無いわけではない。かといって婚活を諦める考えが見え隠れしているわけでもない。 一回や二回の失敗なんて、野犬に吠えられたようなものだ。回数に数えても意味が無いくらいなのだから、気にしたって仕方がないのもわかっている。 二次会に行くという旦那の付き添いも兼ねてタクシーに乗っていく友人の背中を見送り、独り言ちながらも帰路を歩けば、体内に入れたアルコールが抜けていくのがなんとなく分かった。 これから婚活に勤しむのだから弱気になってはいけない。 いけないのだが、一人の夜というものには慣れたのにお酒を飲むと感傷的になってしまって困る。昔の恋人を思い出してしまうのも、私が女だからなのかもしれない。 泣かないようにと強気に前を見据えて歩いていれば、ふと、まだ明かりのついている喫茶店を見つけた。 喫茶店なんて普段から利用しない。友人と出掛けて休憩がてら少し時間を潰す為に入るくらいだ。 気にも留める事も無かった喫茶店に目が留まったのは、その喫茶店の名前が小さい頃に食べたお菓子の名前に似ていたからかもしれない。私がこの喫茶店の常連客であったのなら、必ず間違えて覚えていた自信がある。そして間違えたまま店名を他に話すまでがデフォルトだ。 通り際に店内の様子を眺めてみれば客は皆無で、店員の姿も無いように見えた。 趣味でやってる喫茶店なのだろうか。地域密着型なのだろうか。そんな考えに至った時、カランカランと音を立てて喫茶店の扉が開いた。 出入り口付近に居たから見えなかったのか、と納得したので、喫茶店の店員だと思われる人物をまじまじと見る事はせず、自宅へと向かう為にその人物の横を通り過ぎようとして、立ち止まってしまった。 今思えば、立ち止まらずに通り過ぎれば良かったのかもしれない。今の今まで私はアルコールを体内に入れまくっていたのだから、冷静な判断が出来なかったのだと後悔する。 私が立ち止った事で店員も掃除をしていた手を止めて顔を上げる。 目が合った瞬間に恋に落ちた、とか表現するわけでもなく。私と喫茶店の店員――彼は、同じ表情をするしかなかった。 (2018/07/23) |