やめられない、止まれない。 今思い返せば、人生で一番楽しかったのは学生時代だったのかもしれないし、一番最悪だったのも学生時代だったのかもしれない。 それ程までに黒歴史で真っ黒に染められた学生時代を、私は過ごしていた。 それなりに楽しかったしそれなりに大変だった学生時代に、カウンター越しで仕事をする店員は居たのだが特別話すような仲でも無かった事は覚えてる。 彼は高嶺の花だったのだ。 外で見つめ合う事数分、物腰優しい笑顔を浮かべた店員に誘われ喫茶店内に入ったが、内装は普通の喫茶店だった。 いや、あまり個人で経営している喫茶店にお世話になった事が無いのだが、多分、個人経営にしてはオシャレで明るい店内なのだろうと思う。 ピンクのソファーと茶色のテーブルが置いてある辺り、店名が本当に某お菓子の名前に思えてきた。……思い込みというのは恐ろしい。 キョロキョロと見回していたのが気になったのか、カウンターテーブルに高い音を軽く立てて置かれたのはグラスに入ったオレンジジュースだった。 酔いは醒めたと言っても体内にアルコールは残っているはずなのだから、糖質のあるジュースは如何なものかと思いカウンダー越しに店員を睨めば、貼り付けたような笑顔で微笑まれた。 「ご存じないのですか? オレンジ果汁は血中アルコールの濃度を下げてくれるんですよ」 「……へ、へぇー」 「酔っていては真面目に話が出来ないと思ったので。お互い、そうでしょう?」 昔から、だ。 昔からこの男は他人の全てを見透かしたように喋るし、話すように仕向けていく。そこが私は苦手だった。苦手であり、嫌悪していた。 周りの同期が黄色い声援を上げるのは、ハーフらしい外見の所為かと思っていた。だが、学力や運動神経などの優秀さは人気を底上げする原因だと気付くには時間がかかった。なんでも出来るパーフェクトマンの癖に、それを鼻にかけないのが彼の魅力だとかなんとか言っていたのは、当時の友人談だ。 何を話したいんだ、私は。今頃酔いが回ってきたのかもしれない。とりあえず差し出されたオレンジジュースをストローで吸って少しだけ飲む。甘さと酸っぱさが口の中に広がり、少し目が覚めた気がした。 「……それで、公安局で働いているって聞いたのだけれど。こんな喫茶店で何してるの?」 「いやだなぁ、どうしてそんな事聞くんですか?」 貼り付けた笑顔はそのまま。口調も動作も見事に喫茶店店員のそのまま。だが、声色が少し変わったのが見逃せない。こういった勘は現場を離れても鈍ってくれないのだ。 「相変わらずさらっと嘘をつくのね、ふる――」 「そういえば、自己紹介がまだでしたね。僕、安室透といいます」 「……安室くん。わかった、安室透くん。私、苗字名前といいます。改めて、よろしく」 よろしくお願いします、と、貼り付けた笑顔変わらず話す彼の声色が元に戻る。謎だらけだ。謎だらけであり、嘘だらけだと思った。 久しぶりに会った学生時代の同期は性格が歪んだ王子様になっていたのかもしれない。いや、私の王子様ではない。同期の中での王子様である。……元々歪んでいたのかもしれないのだけれど。 安室透と名乗る喫茶店店員と話す事は何も無いのでオレンジジュースを一気に飲み干し、鞄から財布を取り出して、中から五百円玉をカウンターに置いた。 閉店間際にお邪魔してごめんなさいの念を込めた五百円玉は店員に突き返される。この笑顔は受け入れられない。 「僕が勝手にした事ですので、御代は頂けません」 「でしたら此処に置いていきます。それで良いでしょう?」 「それも駄目です。それに苗字さん、まだ酔っていますよね? 家はこの辺ですか?」 「……そう、ですけど」 「もう閉店時間は過ぎているので、差支えなければ送っていきますよ」 「結構です」 五百円玉を握る手を握り返され、有無を言わさない笑顔の圧を感じたのは久しぶりだった。 「女性が夜に一人で歩くのは危険ですよ」――その言葉の真意をすぐに理解する。久しぶりに話そうじゃないか、と彼は言っているのだ。安室透という仮面を剥ぎ取って、本心で話そう、と。 むしろこの男に本心なんてあるのかが疑問でならないが、とりあえず、その提案を受ける事にする。でないと、別人として潜入しているこの男の正体を知っている女、という事で何をされるかわからない。彼は、実力行使も止む負えないのならば執行する性格だ。それは嫌という程理解している。 そんな自分の考えを取り去り、私が今まで飲んでいたコップを片付け、洗い、あれよあれよという間にコーヒーカップの描かれていたエプロンも脱いで、完全に私服として私の前に現れた。 「では行きましょうか、苗字さん」 「……はい」 一緒に喫茶店を出る。その行動を第三者である私が見ていたとしよう。気持ち悪くて仕方がない。どうして私がこの男と二人で居なければならないのだ。昔の私が見るもんなら間に割って入って乱闘ものだろう。そう考えれば、大人になったなぁと空を仰いだ。 彼から半歩下がって歩くが、この距離だと逃げられるわけがない。この男から逃げるのならば、もう少し離れた距離でないと難しい。なので今の私を一言で表現するのならば、オワコン状態、という感じだ。 「この車です」 「はぁ……」 いちいち車の説明されてもわかりません。そもそも興味が無いので、車種とかも知れません。あ、でもこのマークは知ってるぞ。……いや、やめておこう。恥を晒したくはない。ただの白い車とだけ認識しておこう。 「助手席、どうぞ」 「私、後ろでいいですから」 「遠慮なんてせずに」 開かれる助手席への扉。有無を言わさず、乗れ、の意味だった。 面倒な男になってしまったようだ、と溜め息に乗せて外に吐き出す。 車内は意外と広かった。黒い座席は外装を考えるとシックなものが好きなのか、と思案してしまうのを彼が運転席に乗ってきた事で止めた。 「では、道案内お願いします」 乗ってしまったからには仕方がない。家も知られるというのも仕方がない。うっかり米花町を歩いてしまった私が悪かったんだ。諦めよう。家への近道だったんだ。仕方がないじゃないか。 車を走らせて暫く無言が続く。本当に私の家まで来るつもりなのだろうか、と考えてみたが、そのつもりは全く無いようだった。 一頻り走った車は狭い路地に入って、人気の無い所で停車した。 「――で、いつ俺の存在を知ったんだ」 私の知っている男が、いつの間にか隣に居た。 ゾクリと体に電撃が走る。 安室透なんて偽名を名乗る彼――降谷零が、私の前に現れた瞬間だった。 (2018/07/23) |