愛を囁くことを憚られた。






 
早々に家から出て行ってもらいたい気持ちを押し殺しつつ、美味しいエッグベネディクトに舌鼓を打ち、気が付けば何故か食器を洗わせてしまっている始末。このままでは私の女としての立場が危ういかもしれないと立ち上がるが、カウンターキッチンから向けられる目線がお前は来るなと言ってきているようで。大人しくお気に入りのラグへと再度腰を下ろした。
流石はアルバイター。喫茶店での仕事はこの為だったのか、なんて全く関係ない事を考えながら平日の朝――といっても少し遅い朝――から見る情報バラエティ番組によくテレビに出ているらしいアナウンサーが出演していた。
この人の名前はなんだったっけ……。
考えを読み取られていたかのように、皿洗いが終わったのかエプロンで手を拭きながらこちらへとやって来る彼がポツリと、アナウンサーの名前を呟いた。

「詳しいんだ」
「これくらいは一般常識だろう」
「テレビ見ない人からすれば一般常識ではないと思うのだけれど」
「君の家は宝の持ち腐れだな」

エプロンを綺麗に畳みだすのは彼自身の所有物ではなく、私の所有物だからだろう。しかし、彼の所作の一つ一つに育ちの良さが垣間見えて私の癇に障った。
畳まれたエプロンは元の位置に戻され、私の隣へと座った彼と少しだけ距離を取る為に離れれば、ジロリとした目線が私に注がれた。
テレビ映像は通販番組へとシフトチェンジしており、しかも内容は女性ものの下着ときた。これはもう、気まずい空間一直線である。
しかしながら、相手は大人で私も大人だ。アラサーは人生経験多いので、気まずくなろうとも同じ空間にいる限り会話を続けなければならない。と、私は思うわけだが、……きっとこの男は違う。好きな時に帰るし、自分がしたいように行動すると思う。
昔からそうだ。自分の意思で行動するのは良い事と私も考えるが、しかしながらそれは時と場合によるものだと理解している人間とそうでない人間がいる。
今回は後者だ。私なんか昔馴染みだったとしても、良い歳した大人がぎゃあぎゃあ言っていると捨て置けば良かったのだ。彼の立場上出来ないのかもしれないが、そうやって切り捨てていかなければならない立場でもあるのだから自分に利が無いものを助けるなんて、私には考えられない。
こう考えているという事は、私は助けられたくなかったのだろう。弱みを見せたくなかったのだろう。……考えてくると、また泣きそうになってきたのでグッと堪えた。

「どうかしたのか」
「何も無いわ。気にしないで」

つっけんどんに突き放す。それしかない。
歯磨きしてくる、としなくてもいい報告を告げて立ち上がり、素早く洗面所へと向かった。
改めて自分の顔を鏡で確認すると、とてもボロボロだった。瞼は腫れ、唇は荒れ放題。こんな女を抱けるなんて、流石だな、降谷透。御見それしたよ。
興味本位やその場の流れで女を抱く人間でないのは理解しているが、私が男だったら今の私みたいな女は抱きたくない。なんか、こう、妄想とか想像が崩壊していく気がしてしまう。だって男は女を美化しているから。
 
「……長いな」
「……勝手に来ないでくれる?」
「吐いたのかと心配するだろう」
「そこまで呑んでないわ」
「泣き崩れた挙句、その場にいた異性の旧友を家に招き入れた女性が言うセリフじゃないな」

ぐぅの音も出ない。こういった時にいつも思う。本当に、こいつの性格は受け入れられない。
何が嫌なのかを明確にしろと言われると難しい。が、こういうところだ、と表現したい。昔の同期はそういう部分が面白いとか言っていたのだが、私にはその部分の面白さが理解出来ない。何が良いのだか。
そこまで言うのであればどうぞお帰り下さい、と恭しく申し出れば、渋い顔をされてしまう。
一体私はどうしたらいいのだ。説明してくれ。

「本当に辞めたんだな?」
「えぇ、つい最近。それがどうかした?」
「……」

いきなり考え込むのは止めていただきたい。考え込みたいのはこちらの方だ。この現状を打破したいのに打破出来ないのはとても息苦しい。早く一人になって考えたい事があるのに、空気が読めない自分至上主義人間か。
いや、違うな。この男は今も昔も御国第一至上主義人間だった。例えるなら、少し前の日本の人間だと勘違いしてしまいそうになる。ウン十年前だったらその思考は当たり前だったと思うよ。
――決して、正義を貶しているわけではなく、彼なりの正義と私の正義が相容れないだけだ。
どのくらい黙っていたのか。目の前の男は閉じていた瞼を薄く開き、私の本質を見据えたかのように。そして、音楽を奏でるように呟いた。

「名前、僕の協力者になってくれないか」

 
(2018/07/23)